第1話 いきなりソレは終わる
俺、直と咲良の関係を、一言で表すなら「異常に健全な両片想い」だと思う。
小学校の頃からの幼なじみ。隣の家に住んでて、誕生日も二週間違い。小中高すべて同じ学校。部活も塾も一緒で、成績もなぜか同じくらい。
それだけでもう十分面倒くさい関係なのに、さらにややこしくしてるのが——
『好きって言ったら負けゲーム』だ。
名前の通り、先に“好き”って言ったら負け。どっちが先に自分の気持ちを認めるかの勝負。
発端はくだらない。小学校二年のバレンタインの日、俺にチョコを渡そうとしたとき、周りの女子にからかわれた咲良が「好きじゃないもん!」って否定したのが始まりだった。
なんでか俺もノリで「俺も!」と乗っかって、そこから誰が先に言うかのゲームになった。
で、それが今も続いてる。高校二年の春まで、約八年。
毎朝の挨拶は「おはよう」じゃない。「今日も好きじゃない」だ。
弁当の時間は隣で食べるけど、「別に気を使ってないし」。
雨が降れば相合い傘。でも「一本しかなかったからしょうがなく」。
家族も先生も友達も、全員「お前ら付き合ってるだろ」と思ってる。けど、俺たちは口を揃えて「違う」と否定する。
そう、俺たちは付き合っていない。好きとも言ってない。
これは、プライドと意地と、ちょっとした怖さが入り混じった、終わらせ方を見失った恋の戦争だ。
正直、ここまで来ると俺も自分の気持ちがわからなくなるときがある。
本当に好きなのか?
それとも「ゲームに勝ちたい」だけなのか?
咲良も同じことを思ってる気がする。
それでも、この日常は居心地が良かった。
変化しないことが、安心だった。
でも——
「ねえ直くん、このゲーム……終わりにしない?」
——その言葉で、すべてが揺れ始めた。
******
四月の放課後、教室に差し込む夕陽は妙に赤くて、咲良の髪がいつもより色っぽく見えた。
二人きりの教室。みんなが部活に行ったあと、俺たちはいつものようにダラダラと喋っていた。
他愛もない話。昼飯の唐揚げが冷たかったとか、数学の先生が新しいネタ滑ってたとか、そんなくだらない会話をしてたのに——
「ねえ直くん、このゲーム……終わりにしない?」
咲良がぽつりと言った瞬間、俺の思考は停止した。
「……は?ゲームって……」
「この“好きって言ったら負けゲーム”。そろそろ終わらせようかなって。もう、十分じゃない?」
その顔は、どこかすっきりしてて、でもほんの少し、寂しそうだった。
「――ちょ、待て待て、急にどうした? 何かあったのか?」
「ううん。別に何も。でも、なんかもう、疲れちゃった」
疲れた、って。
八年間続けてきたんだぞ?
最初はただの遊びだった。子どもの頃のじゃれ合いだったはずだ。
それがいつの間にか、関係の“ルール”になってた。
「付き合ってないこと」が前提の、強制的に恋愛を保留するための言い訳。
そんなの、おかしいって気づいてた。
でも、崩したら戻れなくなるのが怖くて、俺も、咲良も、踏み出さなかった。
「じゃあ、やめたら……誰か他のやつと付き合うとか、そういうつもり?」
思わず口に出た言葉に、自分で驚いた。
嫉妬なんて柄じゃない。でも、今の俺はまるで——
「ううん。そういうのじゃない。ただ……直くんと、ちゃんと向き合いたいなって。ずっと“好きじゃない”って言い合ってるの、変じゃん?」
咲良の目は、まっすぐだった。
その目を、俺は八年間見続けてきた。でも今日だけは違って見えた。
「じゃあ……つまり、お前——」
言いかけた瞬間、咲良がにっこりと笑った。
「私、直くんのこと、好きだよ」
——心臓が止まりかけた。
呼吸を忘れた。
頭が真っ白になって、何か返そうとしても声が出なかった。
「……あーあ、負けちゃった。ずっと我慢してたのになあ」
咲良は冗談めかして笑うけど、目の端は少し潤んでた。
「だから、もうこのゲーム、おしまいね」
その言葉が、まるで世界の終わりみたいに聞こえたのは、たぶん、俺の中で“日常”が崩れたからだ。
******
帰り道、隣を歩く咲良は、何も言わなかった。
俺も言えなかった。
何をどう返せばいいかわからなかった。
ゲームは終わった。
咲良は好きって言った。
じゃあ俺は——何を選ぶ?
黙ったまま並んで歩く道のりが、こんなにも遠く感じたのは初めてだった。
でも心のどこかで、ずっと待っていた気がする。
この日が来るのを。
この関係が終わる瞬間を。
そして、本当の“始まり”が来ることを——。