犯行の理由
とある取調室にて――。
「先月のホームレス殺害事件……現場に残されていた指紋から、お前の犯行だということはもうわかっている。なぜ殺した?」
刑事は机に拳を押しつけ、ぐっと身を乗り出して男を睨みつけた。
対する男は、うっすらと笑みを浮かべたまま、落ち着いた声で応じた。
「練習ですよ」
「練習……だと?」
「ええ。殺人犯の多くは小動物の殺害から始めるという話をご存じありませんか? ……いや、刑事さんのほうがお詳しいでしょうね。人目のない場所でぐっすり眠っているホームレスは、練習台として最適でした。それだけのことです」
刑事の眉がぴくりと動いた。顔にわずかに戸惑いの色が浮かぶ。
「……それで、先月の通り魔事件。駅前で通勤中の会社員が刺された。防犯カメラの映像で、あれもお前の仕業だとわかってる。彼が“本番”だったのか?」
刑事が低く険しい声ですごむ。だが男は肩をすくめ、首を横に振った。
「いえ、それも練習ですよ。眠っていたホームレスから、次は歩いている成人男性へ。順調にステップアップしているでしょう?」
「そして本番が、女性アイドルか……。ふん、動機は『彼女を自分だけのものにしたかった』といったところか? 失敗に終わったが、そんな身勝手な欲望のために、二人の命を奪っていいと思ってるのか!」
刑事は声を荒げ、机を叩いた。乾いた音が取調室に響き、沈黙が訪れる。男は静かにため息を吐き、小さく首を横に振った。
「違いますよ」
「……なに?」
「あれも練習です。関係者、スタッフ、ファン、警備。多くの目をかいくぐり、標的に接近して殺す。その練習でした」
「確かに、ライブ中の犯行だったな……じゃあ、次は誰を殺すつもりだったんだ?」
男はふっと唇を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「総理大臣ですよ」
刑事は思わず息を呑んだ。男が冗談ではなく、本気で言っていることが伝わってきたのだ。だが――。
「まあ、それも練習でしたけどね」
「練習……? 総理大臣を殺すのが練習? じゃあ、お前の本番はなんだ? 大統領か?」
馬鹿げている。刑事は吐き捨てるようにそう言った。男は静かに言葉を継いだ。
「……神ですよ」
「神……? はははは! 神? 神を殺すだと? これではっきりしたな。お前は完全にいかれてる」
「どうですかね。僕からすれば、見えもしない神という存在を、当然のように信じて疑わないあなた方のほうが、よっぽど不可解ですけどね」
「ははは、しかし、神をどうやって殺すつもりだったんだ? 近づけもしないだろう。死刑になって、天に昇って刺しに行くのか?」
「いえ、神そのものに会う必要はありません。代弁者を殺せばいいんです。人々は疑問を持つでしょう。『神の加護があるはずなのに、なぜ死んだ?』とね。その揺らぎだけで、十分だったんですよ。いや、それが限界だったというべきか……」
男はゆっくりと天井を仰いだ。蛍光灯の淡い光を受け、目を細める。そして、深く静かにため息を吐いた。
「なるほどな。代弁者……つまり、お前の最終目標は教祖様ってわけか。まあ、近づくことすら無理だっただろうがな」
「いえ、それはたぶん、できたと思います」
「なに?」
刑事の眉間に皺が寄ったその瞬間――ノックもなく、取調室のドアが勢いよく開いた。警官が一人、足早に入ってきて刑事の耳元に何かを囁いた。
刑事は目を見開き、唇を震わせながら言った。
「あ、あ、あなたは教祖様のご子息だったのですね! いやあ、早くおっしゃってくださればよかったのに……。どうぞ、お帰りになってください。あとはこちらで処理いたしますので。ええ、お任せください。あなたの尊い犠牲となった信者たちも、きっと天で喜んでいることでしょう。ははははは!」
男は静かにうつむき、小さく呟いた。
「いかれてる……」