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第七話 再会

「お前みたいなのが、アイドルと結婚するとはな、びっくりするわホントに」

同窓会が始まってから、まだ一時間ほどしか経っていなかった。二次会に向かうまで、あと半分もある。私は腕時計を見る度に絶望し、つまらない授業はいつもこうだったと思いながら、料理を食べた。高校を卒業してもう15年近く経っていて、この会場にいる半数は既に結婚しているはずで、彼らは皆何らかの純粋な祝福の言葉をかけられていた。その類の話は会場の至る所から聞こえた。彼らは皆幸せそうで、祝福されたりいじられたりしていたが、そのどこにも純粋な祝福以外の感情はないと思われた。

その中で唯一私だけが、純粋な祝福を一切受け取ることがなかった。そして延々と、私は同じようなことを両手で数え切れないほど、言われ続けていた。そもそも同窓会でなくとも、昔の知り合いと会えば、皆同じことを言った。妻はデビューしてからというもの、親友以外の昔の知り合いには会わないようにしていた。金をせびられたり、スキャンダルの元になるということが事務所から言われていて、私と結婚した頃には親友以外の友人は、芸能関係者だけだった。

だから、私だけがいつもうざったい思いをしていた。「久しぶり」や「最近どうなんだ」といった挨拶の後に私にかけられる言葉は、「アイドル」の部分が「芸能人」になったり、「お前」という部分が私の名前になったりしたが、それ以外のフォーマットはほとんど全てが同じだった。それらはまるで「アイドルと結婚した同級生への挨拶」というマニュアルに従っているように、あるいは志望理由を聞かれた就活生のように同じだった。理由もないのに皆が同じことをしていて、それは何もしていないよりも私に不快感を与えた。理由もなく、行動する意思もない。そこには選択も自由も存在しない。それは死んでいるのと同じだ。死んでいるのにもかかわらず、こうするのが当たり前だという顔をして行動している。それではゾンビ映画のゾンビと何も変わらない。

 ホテルの料理は、高くて少なくて不味かった。6人がけの円卓にはオードブルの大皿が2つ置かれ、広間の中央にビュッフェの長テーブルがあった。オードブルは揚げ物ばかりで冷めていた。揚げ物以外には、グリンピースと萎びたキャベツのサラダ、異常に塩辛いウインナーがあった。ビュッフェにはサラダと生ハム以外には汁物しかなかった。ビールもぬるく、赤ワインは消毒液にぶどうジュースを混ぜたような味がした。

 二次会はクラス別に別れて、クラスの誰かが店長をしているバーを貸切にしているという。私は3年間メンバーが変わらなかったクラスの副学級委員だった。であるから、二次会までは出なければならなかった。しかしながら、この不味い料理をあと一時間も食べ続けなければならないこの状況は、苦痛以外のなんの感情も呼び起こすことがなかった。

「久しぶりだね」

という声が背中側からかけられた。女性の声だった。聞き覚えのない声だった。特に高くもなく低くもなく、ハスキーでもなく、なんら特出すべき特徴がない声であった。普遍的で、ある程度の都会で耳をすまして雑踏の中に立てば、このような声は飽きるほど聞こえるに違いないとまで思った。私は、口に入っているフライドポテトを咀嚼しながら、振り向いた。どうせまた、アイドルと結婚したからなんだと言われるのだろうと、うんざりしていた。まるで私がアイドルと付き合うために飲み物に薬を混ぜ、既成事実を作って結婚しなければいけない状況に陥らせたかのような気分だった。

「誰だ?お前」

 私はこの女に関して、誰なのか全く見当もつかなかった。女はピンクがかったベージュのタイトなワンピースを着ていた。ストレートの髪を背中に流し、真珠のネックレスをしていた。背が高く、太っているわけでも、痩せているわけでもなかった。美しくなるにあたって肉がついたほうが良いところには肉が付き、痩せていたほうが良いところは痩せていたが、そうでないところは平凡であった。そして、それらに過剰なものはなく、胸や尻、ウエストなど部位だけを見れば、彼女より美しいものはあろうが彼女一人の肉体として考えたときに、ありとあらゆるもの(雑誌のグラビアからハリウッド映画まで)においても、これよりも美しい肉体を見たことがなかった。彼女の肉体には、何かしらの欠点が見つからなかった。太っていたり痩せすぎていたり、ホクロが多かったり、肌が荒れていたり、それらの何かしら普通ならば有るべき欠点が欠如していた。それこそが彼女の美しさだった。

 彼女は、太っているかどうかというアンケートをしたならば、回答が半分に割れるような見た目だった。身体の曲線が美しかった。乳房が膨らんでいて、ウエストがくびれて、腰骨が出ていた。

 彼女は名前を答えた。私は久しぶりと声をかけられるほど、彼女と親しかった記憶がなかった。久しぶりという挨拶は、少なくとも何らかの関係性(友人とか同僚とか)を持っている、あるいは持っていた人物に対してする挨拶だと思っていた。三年間も同じクラスだったのだから、彼女のことは知っていたし、彼女も私のことを知っていたのは間違いない。しかし、授業ではほとんど寝て、放課後になるとすぐ体育館に走っていってバスケットをしているという印象しかなかった。地区や県の選抜に選ばれていて、良い選手だったというのは知っていたが、それ以外は知らなかった。それは、野球部のキャプテンや生徒会長や教頭先生や用務員を知ってるようなもので、彼らの内面の個人的な部分について全く知らないのと同じだった。私には、彼女と話した記憶もなかった。話していたとすれば、それは消しゴムか何かを落としたり、たまたま掃除当番が同じだった時くらいではないかと想像した。それは話していると言えるのか、疑問の余地がありそうだと思い、他に何か話すような出来事があるかどうか思い出そうとしてみたものの、結局何一つ思い出せなかった。彼女と僕の間には、クラスが同じという以外になんの繋がりもなかった。

それに彼女の身体は、そんなことを考えながら見ていられるほど、生半可なものではなかった。

そして、彼女は学生時代とは全く異なる外見をしていたことも、私が彼女のことを誰なのか認識できなかった要因の一つだった。バスケットボール部らしく痩せていた彼女は、太ってこそいなかったものの、学生時代と比べればだいぶ肉が付いた体になっていた。しかしながら、そのボリュームは主に胸と尻に上乗せされ、タイトなニットドレスが、肉体を際立たせていた。高校時代、眉毛も整えないほど地味ながら、何世代も前にロシア人の血が入っていて、やや色素が薄く白人のような雰囲気を持っていたということを思い出した。私の記憶が正しければ、彼女はおそらくクラスで五番目に人気があったはずだ。「地味系美人」「大人になると化ける」などという言葉を何度も聞いた記憶が蘇った。

よく見ると、髪と眉毛は茶色がかっていて、鼻の形や額の膨らみから、外国人の血が入っていることがわかる。肌の色は白く、Vネックのワンピースの首元には、小ぶりな真珠のネックレスが胸の谷間に華を添えていた。黒のローファーから細い足がしなやかに伸びていた。徐々に太く肉付きを帯びながら、膝丈のワンピースの下に消えていった。私はいつか居酒屋で見た、白いニットの女の足を思い出した。あの足も美しかったが、あれは生物として優れている美しさであった。ライオンやトラ、ワニやクマなど、大型の肉食獣が美しいのと同じだった。生物として強者であり、生まれ持った遺伝子と、日々の訓練によって養われた肉体美である。

 しかし、眼の前にいるこの女は全く真逆の美しさを持っていた。これほどの違いがあるのにもかかわらず、日本語には美しいという形容詞しかないということが私を混乱させた。彼女の足の美しさは、クラシック音楽のようであった。少なくとも私には、クラシック音楽を想起させた。ある者には、ゴシック調の建物や高級フレンチや平安時代の女房装束を連想させるのかもしれないとも思った。それらは、たった一人で無人島に放り出されたならば、もっとも不必要なものだ。ナイフもないのにモーツァルトのCDを持っていても、何の役にも立たない。ピカソの絵を見ても腹は減るし、喉は乾く。逆に言えば、それらは文明社会において、人に鑑賞されることによってのみ価値が生じるものであった。彼女が着ているニットのワンピースは、世界でもっとも忌むべき存在に思われた。面と向かって、「このワンピースは必要なものだ」等と言われた暁には、そいつを殺してやろうとさえ思った。核兵器や麻薬よりも、この女が服を着ることを禁じるべきだと思った。そして、私にはこのニットの向こう側にはいったいどんな身体があるのかということに関して、全くの断片的なイメージすらも浮かばなかった。これは初めての経験であった。

私はそれが生物的に女であるならば、必ずその身体を想像することができた。通りがかりの主婦や、登校中の小学生に関してもだ。乳房の大きさや尻の形といった基本的なものだけではなく、陰毛の量や形、乳首の色や大きさまでも想像できることもあった。しかしながら、この眼の前にいる女においては、そのようなイメージは断片的なものでさえ浮かんでくることはなかった。タイトなワンピースが強調している身体の曲線以上のものは何もわからなかった。

 「二次会の後ちょっといいかな」

彼女は首を斜めに傾けながら「いいよ」と返事をした。


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