第五話 手術
携帯電話の契約のごとく、長々と続くと思っていたカウンセリングは、画像を見せると、スムーズに進んだ。私はこの日のために、約一週間かけて完璧な体を持つ女の画像を合成した。胸の形は特にこだわり、サイズを決めた後に四十種類ほど形を作り、それに乳輪と乳首を組み合わせ、最も美しいものを選んだ。私は胸の大きさや形、同じように尻の大きさや形を説明し、その都度医者は妻の身体を確認してメモを取った。カウンセリングは30分にも満たないもので、カウンセリング後に手術のはずが、その間に少し休む時間をもらうほどの余裕が出来た。
妻は何度か服を脱ぎ、ペンで何本か線を引かれた。画像を見ながら身体に線を引くのは、何やら作戦会議でもしているような雰囲気があった。妻には若干ではあるが、緊張が垣間見れた。首筋は汗ばんでいて、膝の上で宇宙船のドッキングのように組んだてを何度か組み替えた。反対に医師は落ち着き払っていた。医者は私が見せた写真を診察室のパソコンに送り、何度もディスプレイと妻の身体を見返した。その様は、まるで日曜大工で板に線を引くようであった。少しの緊張も性的興奮も見られなかった。私は彼の股間を何度も見たが、黒いスキニーパンツの股間には少しも隆起する瞬間がなかった。彼は妻が診察室に入った時に眼鏡の奥で少し目を細めていて、ここにサインをお願いしますと紙を出したときに、手が震えていて、私は彼が妻のことを知っているのだと確信していた。しかしながら、彼には性的な興奮の色は見えなかった。 乳房を右に左に引っ張り、バランスをとって線を引いている。その間、妻は恥ずかしそうな表情や動きを全くしなかった。あるいは、それは私が単なる一般人だから気づかないだけで、FBIか何かその類の専門家(少し話しただけで、レズビアンかどうかまでわかるような連中のことだ)が見れば、妻は明らかに恥ずかしがっていたのかもしれない。けれども少なくとも私には、妻は恥ずかしがっているようには見えなかった。女というものは病院で医者に裸を見られることに慣れているのか、特に恥ずかしがるようなそぶりは見せなかった。
医者は話を聞きに行った時と同様に、品の良さと男としての弱さを持っていたが、それだけではなく、それらの特徴を生かすすべを持っていた。メスを入れる箇所を説明した後には、必ず炎症を抑えるための軟膏の説明をした。真面目そうな顔でリスクの説明をし、笑顔で軟膏の説明をした。
弱々しいからこそ、心配している患者に寄り添うことが出来るのだろうと私は思った。
選んだのは、一番高額のコースだった。予算の二倍弱だが、各種のリスク(失敗して胸を全部切除することになってしまった人の話も聞いた。私はあまりの皮肉さに吹き出しそうになった。胸を大きくしに来たはずが、胸を失ってしまうなんて、まるで童話や中国の思想書に出てくるような内容ではないかと思った)を抑えられることや、仕上がりが自然であることというのがそのプランの売りだった。プランごとに違うのは、パックの中身や縫合の方法らしかった。
身体をより美しくするということは、テレビに出るときに役に立つかもしれず、妻の貯金からも金を出すことになった。妻は事務所に連絡し、美容代という経費で落とすことが出来るかを聞いたが、全額とまではいかなかった。
「揺れることで劣化が早まるので、65のIの下着は今のうちに買っておくことをお勧めします。すぐに気に入ってデザインのものが手に入るようなサイズではないので」と医者に言われ、私は手術室の外で待っている間に、妻の下着をAmazonで買った。ひとつは脇高の黒いプッシュアップブラと黒いTバックのショーツ、もう1つは首の後ろと背中で紐を結ぶタイプの三角形のすみれ色のセットだった。胸を固定するようなものが必要なものが必要だろうと考えたのと、単純な私の好みだった。すみれ色のものは、下着ではなく水着であるのかもしれなかった。モデルの女は、リゾート地にありそうなプールを背景にしていた。入道雲と絵の具で塗ったような青い空、プールを囲っている金網の向こう側には白い砂浜も見える。背中の後ろで紐を結ぶタイプで、ショーツも腰骨の辺りで紐を結んでいる。サイズはS,M,L,LLの四種類しかなかった。下着であろうが、水着であろうがそれが衣服の下に、あるいは、全裸の上に、着るものであって、なおかつ乳首の形が服の上に浮き出ないものであれば、妻はどんなものを買ってきても着ていた。
私は、下着に装飾の少ないものを好んだ。装飾の多い下着は、無駄な飾り付けがなされたせいで一口程しか食べられない高級料理を連想させた。「カウンタックにステッカーを貼るやつがいるか?俺ならナンバープレートすらつけたくないね」ということを、村田がよく言っていた。肉体が美しいならば、下着に装飾はいらない。逆に、肉体が酷く醜いものであったなら、装飾された下着はその醜さを際立たせることになる。醜かろうが美しかろうが、装飾はいらないのだから、私は下着に装飾があるものを好まなかったのだ。
付き合い始めた時から、下着を買うのは私の役目の一つだった。妻の両親はセックスレスが原因で離婚していて、そのセックスレスの原因は下着が地味すぎるというものであった。つまり、下着が地味すぎるが故に離婚した、少なくとも妻はそう思っていた。「大した身体でもないくせに、下着も地味なやつなんて抱けるわけないだろ」というのが妻が聞いた父親の最後の言葉だった。この言葉を聞いた時、妻はひどく危機感を覚えたそうだ。それから妻は、派手な露出の多い下着しかつけなかったという。その時はまだ中学生で、下着をつけ始めたばかりの時期だった。年齢にはふさわしくないであろう、Tバックのショーツやハーフカップのブラジャーを好んだ。制服のスカートから下着の紐が見え、生徒指導の教師に注意されたこともあった。それでも妻には、地味な下着を履くことに対する恐怖があり、派手な下着でなければならないという強迫観念があった。
だったら、セックスレス防止というよりも、このような下着をつけなければ落ち着かないのかもしれないと私は思った。何かに慣れると違うことをするのが怖くなり、保守的になる。
付き合うことになった三度目のデートの帰り道、「生理の時はTバックとかは履けないけど、基本は乳首が出てなければなんでもいいから、できるだけ抱きたくなるようなやつにして」と妻は言って、私にサイズを教えた。アンダーとカップ数、ウエストとヒップ。妻はそれらの数字を、本能寺の変は1582年だということを暗記している受験生のように、淡々と述べた。細かいのがないやつは、SかMだったらいいと思うと。その頃妻が持っていたのは、スポーツブランドの下着だけで、生理以外の大抵の日はTバックを履いていた。私はそれらの下着を身につけた妻に対して、それほどの性的な魅力を感じ得ることが出来なかった。
他の役目は、仕事が早く終わった時には買い物に行って夕飯を作ること、タクシーや粗大ゴミやレストランの予約、親族や友人以外への電話だった。彼女は電話を毛嫌いしていた。仕事以外で他人と話すのを嫌がった。それは、デビュー以前に声が変だとからかわれ続けて生きてきたことや、デビュー後に声によって正体がバレてしまったことが何回もあったという経験に由来するものだろうと私は考えていた。
ダウンタイムが終わった日、妻は無言でバスローブの紐を解き、肩から露出させていき、全裸になった。ベールを脱ぐという言葉の意味を、私に認識させるかのような脱ぎ方であった。その様子は、私にはスローモーションに見え、私は妻が脱ぎ始めてから全裸になるまでの間に、少なくとも五回は生唾を飲んだ。想像の中では、三回ほど妻の中で射精した。妻は、まず蝶結びになっているバスローブの紐を外した。右側の紐を引き、次に左側の紐を引いた。バスローブの前を閉めるものはなくなったが、バスローブのサイズは妻の身体と比べるとかなり大きめのものであり、妻は少し猫背になっていた。それだけではなく、乳房が、バスローブがはだけるのを止めていた。妻は、右手で右肩からゆっくりとバスローブを脱いだ。その動きは、幼い頃に旅行に行った時に見た舞妓の動きを想起させるような滑らかな動きで、肩と同時に乳房が露出した。右の乳房は銃口のように私だけを見つめていた。照準が定められ、私は乳首に生殺与奪の権を握られているかの錯覚に襲われた。指一本でも動かすこともできず、目をそらすこともできなかった。乳房は何かで私よりも圧倒的優位に立っているように思えた。まだ左の乳房は見えていない。次に、右手で左肩からバスローブを脱いだ。今度は、効果音が付くほどの素早い動きだった。妻は全裸になった。
なんとも形容しがたい、それでいて今まで感じたことのない興奮が私を襲い、勃起した。それは高校生の時の初体験の、あのなんとも言えない喪失感と失望(中学校の卒業式の後、小麦粉まみれになった時も同じ種類の感情を抱いた記憶がある)によく似ていた。それはおそらく、想像の中の産物に過ぎなかったものが現実となったことに対する、喜びと失望なのだろうと私は思った。
妻の体からは、あの痛々しかった内出血も腫れもなくなっている。腰から胸にかけての曲線は、海辺の野良猫のような自然さを保ちながら、しかしながら宋代の青磁器のような異常なまでの妖艶さを備えた人工物の美も醸し出している。
妻は私に近づき、くちづけをした。それが妻と私の何度目のくちづけであったのかは定かではない。最後にしたのが何日前なのかもわからない。初めて妻を抱いてから5年以上たっているから、もう何百回もしてるはずであろうが、このくちづけが初めてのものであると言われても、納得するほどの興奮と支配欲が私を包んだ。
風呂に浸かるように、私は興奮と支配欲に浸かった。それらは私の四肢や身体の表面の至る所から、私の体内へと進撃した。私は、世界史の教科書に載っていた、古代ギリシアのファランクスを想起した。血管や腸の中を通り、白血球を押しのけて進んだ。そして私を犯した。犯された私は快感を覚えた。その快感は足をふるわせ、よだれを分泌し、眼球や鼓膜を外に押し出そうとした。焼き魚の背骨を剥がすように、快感が私の脊髄を侵食していった。後頭部から首筋を通り、尾てい骨まで下った。そしてその後をたどるように冷たい汗が流れた。尾てい骨まで至ると進む方向を変え、肋骨に沿って身体を侵食し始めた。一本一本の毛細血管がどこにあるのかわかったような感覚になった。侵食の速さはスプーンからはちみつを垂らすときのようだった。それが指先にまで至った頃、私は妻を抱いて寝た。