第三話 カウンセリング
豊胸と脂肪吸引などの費用を合わせると、全部で一千万円には及ばないということがわかった。子供もおらず、年収にもかなり余裕があるとはいえ、何千万もすぐに用意できるほどの財力はない。私は、アイドル時代から体型の管理に努めていた妻と、平均からすればやや大きめの乳房の遺伝子を受け継いできた妻の祖先たちに、心のなかで感謝した。彼らの働きがなければ、私がこの行動を遂行することは叶わなかったのだから。
担当の医師は、中学から私立だった人のような品の良さと、男としての弱さを兼ね備えたような風貌をしていた。肌の色は白く、髪はサラサラで背が低く、鼻筋は通っていてメガネを掛けていた。そして、外見だけではなくその身振り手振りや話し方にも、一種の弱さを感じることができた。それは例えば、話しながら唇の先を指でつまむようにする仕草や、説明しながらページを捲る仕草に現れた。それらの弱さに気づく毎に、この男はおそらく一番の顧客であろう水商売の女に、バカにされているだろうという想像を膨らませた。社会的に弱い立場でありながら、生物的に強い彼女たちにとっては、この医者は、正反対に位置する人間だと考えたからだ。
しかしながら、整形というのは長所を伸ばすためのものではなく、短所を目立たないようにするものだ。であるならば、より正反対の存在であるほうが、メリットになるのかもしれないと私は考え直した。それならば、学校の先生がそうであるように、それらの弱みに対しての適応力を見せることがクリニックの発展につながるだろうと思った。
診察室の椅子はひどく硬い皮でできていて(あるいは、ただ単に古いだけなのかもしれない)、おまけに背もたれがなかった。私は、大学生ながら風俗嬢をやっている女が、豊胸の手術をしに来たときのように落ち着かなかった。見るからにそうであろう女が待合室の椅子に座っていた。茶髪で髪が長く、座っても膝が見えないほどの長さの半袖のワンピースを着ていた。その女はファッション誌とスマートフォンの画面を交互に見ていて、たまに周囲の目を気にするような素振りを見せた。
私は女の様子を見ながら、私も間違いなく同じくらい落ち着きがないのだろうということを考えた。というのも、私は何かを待ちわびるような種類の興奮(最も近いのは、運動会で自分が走る順番が、近づいている時だろうか)を感じていた。まあそもそも、病院というのは大多数の人にとって落ち着く対象の場所ではないだろう。負わなければいけないリスクに関する説明の間も、私はずっと上の空だった。医者の声は小さく、ページを捲る音はその何倍も大きな音で私の耳に届いた。耳鼻科に行けば鼻や耳のイラストが、眼科に行けばそこら中に目の写真やイラストがあるように、壁には顔や腹や胸や尻の写真が貼られていた。写真はおそらく、施術の説明に用いられているもので、同時に成功例を示すことで、広告のような役割を持っているのだろうと私は推測した。医者は写真を指さしたり、パソコンの画面に映したりして、何やら私に説明しているようだった。私に聞こえた彼の声は明瞭な意味を持ったものではなく、ジグソーパズルを一ピースずつ投げつけられているかのような気がした。彼の声は少し高く、そしてほんの少し鼻声だった。そしてそのただでさえ聞き取りづらい特徴を持った声は、上の空になっていた私の脳みそによって、授業中に前の人がひそひそと内緒話をしている場面を想起させた。音は聞こえるものの、自分のことかもしれないと聞き耳を立てても全く内容は不明であるあの雑音。私はそんな音を聞きながら、写真を眺めていた。写真の中には、空気を抜かれてしまったかのように垂れて萎んでいた胸が、空気を入れ直したようにパンパンになるというものもあった。一方で小さいが美しい形を持っていたものが、大きさを得ることによって美を失ってしまったものもあった。そして、写真のどれもが何センチあるいは何カップという数学的かつ幾何的で、それ自体は何も持っていない数字に、実例を添えるという役割を持っていた。