第7講 銀行総論
家具は倒れ、物が散らかった室内、その真ん中で自分は宙に浮いていた。状況を理解すると、首に巻き付いた縄でぶら下がっていることに気づいた。
自重で首がきつく締まる。抜け出そうと綱と首の間に指を通そうとするが、できない。
足が宙を掻く。足場にしていたであろう台が転がっているが、届かない。
なぜこうなったのか、わからない。死にたくない。死にたくない。そんな想いにも関わらず、苦しみと共に少しずつ身体が動かなくなっていく。
突如、全身に力が入り、床から起き上がる。乱れた呼吸を整えながら辺りを見回すと、完全抹消会の部室だった。
「……夢……」
悪夢から覚めたことを理解した会長は、また寝転がり、何もない天井をぼうっと眺めた。
「……早くアルコールキメないと……」
朝方、サークル棟付近で大量の紙幣が散らばっているのが掃除に来ていた清掃員らによって発見された。ただちに大学職員が一帯を封鎖・回収し、事件性を鑑みて警察に通報することとなった。
「なんなんでしょうねこれ」
「さあ……またヒエロなんじゃない?」
「あ、まだそんなところに残ってたんですね」
警察より先に、ヒエロ・ウォーターが到着した。肩に担いでいるゴミ袋には、大量の紙幣が詰まっている。
「うわあああ出たあああ!」
「そのお金くーださい」
「い、いやこれは警察に……」
「お?何されても良いんですか?」
「わかりましたわかりました!差し上げますのでどうか命だけは!」
「へっへっへ、助かります」
夜露に濡れて皺だらけになった札の纏まりを取り上げ、袋の中に入れると、悠々自適にその場を後にした。
「……こんなお金あるのに一切使えないなんてねえ……」
ヒエロは自らの願いを遂行するため動く。あの場で見せた、投資というか手品も何かしらの意図があるはず。
輩がやろうとしていたのは、とにかく分裂したお金を持たせることだ。発言から察するに、能力で増やした貨幣を、参加者に「掴み取り」させていたらしい。そうなるとあのお金はなんらかのトラップなのではないだろうか。
大学内に散らばったものは一通り回収した。残すは参加者だが、あの数や薄暗さでは誰がいたのかもわからない。叩くべき主犯格は行方をくらましている。事態は想像以上に重い。
「手がかりになりそうなのは……あの人だけど名前と所属聞いてなかったなあ……」
あの人とは、あの集まりに来ていた一人、沢倉だ。一方的に攫ってついて来ただけの関係なので名前など知りようがない。唯一ここの学生らしいことが伺えるので、このままでは手当たり次第探すことになる。
「またバラ撒いてんのかなお金……」
「見つけた」
変身ガジェットニコーズから会長の声がする。
「あ、わかった?」
「理学部3年生の沢倉ってやつ。今日は2コマ目にゼミがあるから今から理学部棟に行けば会えるはず」
「……なんか不機嫌だね」
「酒入ってないからね」
淡々と語る会長の声色は、酒以上の何かを渇望するようであった。
「ま、今回の事件解決したらちゃんとしたバイト見つけて酒代……じゃない、会費出すよ」
「本当に?」
「大丈夫、安心して。絶対会長との約束は裏切らない」
「全ての抹消を願った、あの誓いがある限り」
2コマ目前の休憩中、理学部棟に到着した。念のため沢倉に変装し、本人がいないか調べることにした。
すると、一人の男子学生がこちらに歩み寄って来ている。顔を真っ赤にし、一歩一歩踏みつけるような足取りで。
「沢倉あ!こんなところにいたのか!」
「ああどうも、兄がお世話になって……」
「うるせえ!適当こいてるんじゃねえ!」
近づいて早々、顔面に右ストレートをお見舞いする。当然、ヒエロに生身の人間の攻撃など通らず、全く動じない。
「……!?」
「失礼ながら兄が何かしました?」
「な……何って騒ぎじゃねえよ!あいつから金をもらったやつがどんどんおかしくなってるんだ!」
「りんちゃん!もうソシャゲに突っ込むのはやめようよ!何万つぎ込んだと思ってるの!?」
「大丈夫!いくら使っても健斗くんがお金くれるの!」
「すいません……在庫のパン全部ください……」
「い、今出てる物で全部です。お客様が全部買ったじゃないですか……」
「じゃあこのここにあるお菓子全部ください……」
理学部棟内にある購買、そこでは十数名の学生が店内のものを買い漁っていた。その勢いたるや凄まじく、食品・プリペイドカード・本・その他あらゆるグッズが棚から消えていく。
「なんじゃこりゃ……」
「あ!健斗だ!」
「健斗!またお金くれよ!」
続々と健斗こと変装した野富良に集ってくる学生たち。あっという間に取り囲まれ、身動きがとれなくなった。
「うわー!俺は健斗って人じゃないです!弟!弟!」
「あとちょっとで学費全部払えそうなんだ!頼むよ!」
「この前競輪でスっちゃってさあ!」
大声を上げても、周りの金を求める声にかき消されてまるで通じない。仕方なく変身を解除し、野富良の姿になって人混みから抜け出した。
「健斗?健斗どこいったの?」
「探せ探せ!」
金蔓を求め、学生たちは方々に散らばっていった。ようやく解放され、床に大の字に寝転がる。
「なるほどこれが狙いか……」
バンクの目的は自らへの依存だろう。大金を渡すことで対象の金の糸目を壊し、あげた額以上に購入させる。そこで金をダシにすればその人は思い通りになるだろう。
ふと視線を上げると、購買前にある休憩所のテーブルの下に誰かがかがみ込んでいる。渦中の真っ只中にいる男、沢倉だ。
「あれいるじゃないですか」
「……た、頼む。誰にも言わないでくれるか」
「言いませんけど、その代わり次の集会場所ってわかったりしませんか?」
「も、もしかしてヒエロ・ウォーター?」
「はい」
一大事なので、正体を隠すよりも情報収集を優先することにした。
「俺もわからない……。本当なら投資が終わった後に次の場所を教えてくれるんだけど、そのままいなくなったからどうしようもないんだ……。」
「うーん万事休す……いや、一つだけ方法があります」
お昼時、金に狂った人間以外はある程度平穏に過ごせていた。スマホで動画を見たり、バラエティを見たりと思い思いに過ごしていた。
そんな平穏に、異物が差し込まれた。
「ごきげんよう皆様!」
突然、世界中のテレビやスマホの画面が別の映像にすり替わる。そこに映っていたのは、スーツに身を包んだオールバックの男、"先生"だった。
「皆様に大事なお知らせがあります!私がお配りしたお金ですが、実は時間経過で消えてしまいます!更新すれば問題ないのでお時間ある方は神京大学中央広場までお越しください!今日の13:30まで!」
それだけ告げると、画面は元の映像を映すようになった。
「……今の何?新手の詐欺広告?」
突然の電波ジャックに、多くの人は内容も理解できず戸惑っていた。しかし一部の人は違った。
「嘘だろ!?早く行かなくちゃ!」
正午を過ぎた神京大学に、学外からの人間が続々と集まって来た。異様な雰囲気に警備員が追い出そうとするが、全くいうことを聞かない。
「皆様お待たせいたしました!」
大声を張り上げて"先生"がやって来た。その瞬間、群衆から大歓声が上がった。
「それでは皆様お金は用意したでしょうか!交換するんで列になってお並びください!」
「ふざけんな!」
突如、歓喜一色の人だかりから、罵声が飛んできた。声の主は、注目を集めている男と全く同じ容姿をしていた。
「おいお前、何勝手なことをしてくれたんだ!俺が本物だ!」
「いえいえ私が本物です」
「お前はヒエロ・ウォーターだろ!乗っ取ろうとしやがって!」
「あら、バレちゃいましたか。でもまあ、探し人が来てくれたのでよしとしましょう」
変装を解除し、掃除屋の姿に戻る。すると群衆は一転、恐怖の悲鳴をあげて散り散りに逃げていってしまった。
「さて、昨日の続きでもしましょうかね」
「俺の手柄を横取りしようとしたことを後悔させてやる」
「先手は譲ります」
本物の"先生"はポケットから100円玉の塊を鷲掴みで取り出し、宙へ放り投げた。回転する硬貨から無数の弾丸が放たれる。昨晩の攻撃を見切った野富良でも、この弾幕は避けられない。命中しようとしたその時、どこからともなくバトルホーキが現れて間に割り込み、回転して100円玉を全て弾き飛ばした。
「なっ……!?」
ヒエロ・ウォーターには別形態がある。ウォーターのグリフペンとニコーズで変身すればウォーターニコーズ、ファイアワークとバトルホーキで変身すればファイアホーキといった具合に。
「今回はこれですかね」
ホーキからファイアワークのペンを取り出し、腰に下げたスプレー型拳銃、スプレイヤーガンに挿し込む。小型の花火が無数に弾け、ファイアスプレイヤーとなっていた。
"先生"に向かって花火弾を連射する。が、全て足元に着弾し、火花を散らすだけだ。
「ひぃぃ!!」
「次は当てます。ヒエロの姿にならないと勝てませんよ」
銃口を上げ、照準を胴体に合わせる。そんな状況に置かれても、変身する気配がない。
突然、野富良は身を翻し、明後日の方向に発射した。その先には物陰に隠れた誰かがいた。
「うわっ!?」
遮蔽は粉々に砕け、隠れていたものの姿が現れた。
「あなたに忠告したんですよ、沢倉さん」
「……はは、バレたか」
自分が撃たれると思っていた"先生"は、立ったまま気絶して倒れてしまった。
沢倉はグリフペンをコイントスの要領で弾き飛ばす。ペンは宙を漂うと首に文字を書き、そこから身体が崩れ落ちてヒエロ・バンクの姿が現れた。
「よくわかったな」
「まあ、なんとなくです」
野富良が違和感を感じたのは、昨晩最初に撃ち抜かれた時だった。あの暗さとあの人数で正確に自分だけを撃ち抜いたのはなぜか。ましてや変装もしてて本人と区別がつかない。ヒエロ同士の探知能力は近くにいるかどうかわかるだけで、具体的にどこにいるかはわからない。
その状況で、正確に位置を知れるのは一人しかいない。
「楽しかったよ。人がお金で破滅していくのは。じゃ、俺はここでお暇させてもらうよ」
大量の万札を手にし、札束の紙吹雪を展開。また逃げおおせようとした時だった。赤熱した光弾が、バンクの脇腹を貫いた。
「え……?」
「もう逃しませんからね」
紙幣で視界を防がれているにも関わらず、正確に弾丸を命中させていく。左脚、右脚と次々に撃ち抜かれ、結局紙吹雪が晴れるころには地べたに倒れ込んでいた。
(そういえばやつは隠れていた俺の位置を見抜いていた!何か俺を感知する方法があるんだ!)
沢倉の推察どおり、ファイアスプレイヤーには熱源探知能力がある。±0.01℃の差も正確に見抜き、標的の位置を把握することができる。
「終わりです。」
「うう……うおおおおお!菫コ縺ッ驥代′縺ェ縺上↑縺」縺ヲ莠コ縺ョ遐エ貊?′隕九◆縺?シ∬ヲ九◆縺?シ?俣霑代〒隕ウ蟇溘@縺溘>繧薙□縺ゅ≠縺ゅ≠?」
<コンクルージョン バンク>
日本のとある場所、神京大学でのヒエロ騒ぎなどつゆほども知らないコンビニ。いつも通り、お客が商品を持ち込んでレジで会計を済ませようとした時だった。
「327円になります」
「はーい、1000円で……うわっ!?」
取り出した1000円札が風に舞うようにコンビニの外へ飛んでいく。それだけではない。他のお客様のお札や小銭もどんどん外へ飛び出していく。
日本中、いや世界中のお金が神京大学に向かって飛んでいく。集まった貨幣の塊は、太陽を覆い隠した。
「ふはははは!これで世界中の人間が破滅して俺だけが億万長者だ!」
「なんかやり方が強引になって来ましたね……」
スプレイヤーを持ち替え、必殺技シーケンスに移行する。銃口が高温になり、蜃気楼で揺らめく。
「金に溺れて死ねええ!」
大量のコインや紙幣がウォーターに降り注ぐ。野富良は一切動じず、引き金を引いた。
流れ星のような花火弾は一瞬でバンクの身体を貫いた。弾痕は弾と同じように熱せられ、耳障りな高音と共に一気に拡大した。
「うわあああ!!」
花火のように爆ぜ、人間の姿に戻った。能力で複製されたお金は消え、集められた貨幣も元の場所へ転送された。
「よし、撃破完了……あ、そうだ」
グリフペンの残骸を拾い終えると、気絶した沢倉と"先生"を脇に抱え、警察が来るのを待っていた。しばらくするとパトカーが到着し、拳銃を構えて出て来た。
「どうもこんにちは」
「か、帰ってなかったのか!?」
「いやあ、今回はちょっと相談がありまして」
「相談?」
完全抹消会部室、テーブルには相変わらず、会長がエネルギーが切れたように突っ伏している。
そこに、ビール缶でパンパンになったビニール袋を両手で持った野富良がやって来た。
「はい会長、ビール」
会長の前に、水滴滴る銀色の缶が置かれる。彼女は震える手でプルタブを開けると、ゴクゴクと喉を鳴らしながら体の中へ流し込んだ。
「ああ〜これこれ〜」
「いやー今回は特例ってことで謝礼貰えてよかったねー」
「会費も取れたしビールも飲めたし、今日は最高!野富良くん大好き!」
機嫌が戻った会長を見て、野富良は一安心した。
「……ねえ、野富良くん」
「何?」
「全てを消す方法、思いついた?」
「……まだ」
「……そう……まあゆっくり考えていいよお!わかったら報告してくれればいいから!じゃ!今日は打ち上げってことで!」
「大学もお休みになったことだし俺も飲むよ」
「それじゃ、かんぱーい」
「かんぱーい」
野富良もビール缶を持ち、小突き合わせる。軽い金属音が、部屋に鳴り響いた。