第2講 変身学Ⅰ
「……逮捕されたのは神京市に住む19歳の大学生、稲見秀人容疑者です。今日の午前11時ごろ、ヒエロとなって神京大学で破壊活動を行いました。その際、ヒエロ・ウォーターと交戦して負けたことで変身が解除され、逮捕に至ったとのことです。この事件で27人が死亡、112人が重軽傷を負いました。警察は……」
蒲田はチャンネルを変えた。同じニュースだった。どの局に変えても自分の彼氏が逮捕されたニュースしかやっていない。結局、テレビの電源を切る以外することがなかった。
ペットボトルのお茶を一口飲むと、自室のベットに横たわる。散らかった床とは対極的に何もない天井を見ながら、これからどうすればいいか考えていた。
あんなに好きだった彼氏がヒエロだったこと、自分を守るという名目で殺戮を繰り広げたこと、何もかもが受け入れがたかった。
ヒエロと付き合っていた自分はこれからどんな風に見られるんだろうか。同情か、はたまた蔑みか、大学中退も考慮しなくては。
世界でも有数の偏差値を誇る神京大学。ここに入れば一流企業の社長から総理大臣まで、どんな願いも叶うと言われるほど安泰なのだ。
薔薇色の人生になるはずだったのに。
突然玄関のチャイムが鳴った。
「恵子ちゃーん、いる?」
サークルの先輩、安田の声だった。
「あ、はい今行きます」
玄関まで向かい、鍵を開けようとした時だった。稲見のあの言葉をふと思い出した。
『あのサークルには二度と近づかないでくれ……』
一瞬立ち止まり、冷静になって蒲田はあることに気がついた。
「なんで私の住所知ってるんですか?今まで連れてきたことも教えたこともないですよね?」
返答はなかった。代わりに少し間を置いてからドアノブがガチャガチャと乱暴に回され始めた。やがてドアを叩くのに切り替わり、突き破らんばかりの勢いになっていく。
絶対におかしい。ドアの向こうにいるのは先輩なのか?そもそも人間なのか?恐怖にたじろぐ彼女は、窓から逃げようと思いついた。ここはアパートの2階だがそれどころではない。急いで窓まで走り、カーテンを開けた。
ベランダには先輩の木嶋が笑顔で立っていた。
蒲田は叫んだ。後ろに倒れ、その拍子にペットボトルを倒してしまった。中身のお茶が、床一面に広がってゆく。
木嶋は腕を振り上げると、チョップで窓を枠ごと粉砕してしまった。それとほぼ同時に、安田がドアを蹴破って侵入してきた。
蒲田は助けを呼んだ。あの時と同じように。
「助けて!助けてえ!」
しかし、今は平日の昼間である。アパートには自分以外誰もいない。最愛の彼氏も今頃檻の中だろう。
誰にも届かない叫びをよそに、安田が飛びかかった。
こけた。
「ぐすっ、うぅ……。……え?」
泣きじゃくる蒲田の前に、安田がうつ伏せに倒れている。よく見ると、彼の左脚に何かがくっついてる。
手だった。お茶でできた水たまりから腕が伸び、安田の脚を掴んでいた。
もう一本の腕も脚を掴み、這い上がるように何者かが水面から現れた。
「あれ!また会いましたね!」
野富良だった。
「いやーヒエロがいると思ってきたら襲われてるところでしたか!大変でしたね!」
「なんだお前……!」
安田は倒れた姿勢のまま、脚を掴む野郎の腹を踵で蹴り上げた。
「ぐお!?」
水面から一気に引き上げられ、天井と背中をぶつけた後、水たまりのないテーブルの上に落ちた。
「いってー……。」
標的を変えた二人が襲いかかる。野富良は痛がる素ぶりを止め、テーブルから転がり落ちて拳を緊急回避。テーブルは真っ二つに割れた。
「これは使わないと勝てないですね……」
立ち上がった彼の右手には、いつの間にか何か持っていた。四角い銀色の小さな箱だった。ハンドルを展開して手の甲を覆うように持ち変えると、懐から何か取り出した。
ヒエロに変身するための羽ペン、グリフペンだ。
それを箱に開いた穴に入れると、箱の淵から水が溢れ出した。何かを察したように二人とも殴りかかるが、全て紙一重のところで躱される。やがて水の勢いが増して激流となり、野富良の全身を取り巻き繭のように包み込む。
水の繭がなくなると、そこには掃除屋のような姿をしたヒエロ、ウォーターがいた。
先輩ら二人がかりで彼に取っ組みかかる。しかしウォーターは逆に彼らの首根っこを掴み、割れた窓から外へ一緒に落ちていった。
水色の怪人は二人の背中をアスファルトの地面に叩きつけた。バキッと、硬いものが割れるような音がした。
「ん?」
妙な手ごたえに疑問を抱いた一瞬を狙い、拘束から逃れる安田と木嶋。お互い別々の方向に転がって距離を取り、野富良を挟み撃ちにする形で身構えた。
腕をダランと垂らし、交互に敵を見やるウォーター。目を離した隙に、木嶋が襲いかかった。そのチャンスを野富良は見逃さなかった。振り向きざま、相手のパンチをしゃがんで躱し、そのままアッパーカットで胴体に差し込んだ。
砕ける音と共に、拳が木嶋の胴体を貫いた。
「これは……」
彼の背中から飛び散ったのは、肉片や血ではなく木の欠片だった。
「なるほど、そもそも人間じゃなかったんですね」
腕を引き抜くと、木嶋だった何かは傀儡の糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。一撃で葬られた相方を見て、安田は二の足を踏んでいた。
「そんな……!お……俺の身体どうなってるんだよ!」
「え?知らなかったんですか?」
「あいつは俺たちを強くしてくれるって言ったんだ!こんなの聞いてねえ!騙された!」
「あいつって誰です?」
「それは……」
安田は突然押し黙った。名前を言おうとしたその口が開いたまま固まっている。
「あ……あ……」
徐に両手で自分の首を鷲掴みにする。握る力は次第に増し、メキメキと音を立てている。彼の苦悶の表情は、それが自分の意思に反することを物語っていた。
「まずい!」
駆け寄ったが間に合わなかった。頭はちぎれて地面に落ち、身体も背中から地面に倒れ込んだ。
「……参りましたね」
途方に暮れる野富良を、遠くの物陰から何者かが眺めていた。
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