両家の出来事
それは私とガオが小学校2年生、そしてナルたちが1年生になり、年度替わり直前の春休みに入る直前に起こった。
私たちはまだ学校に居たので、警官さんが息を切らしてウチの店に駆け込み、ウチのお父さんに「事故がありました。至急市立の病院へ」と言った時には、私たちは事件が起こった事すら知らなかった。
警官はその後直ぐ、瓦工場の方へも知らせに走ったらしい。
私たちが学校から帰ったら、お母さんもお父さんもナルママもガオパパもいなかった。
ウチの食堂は客が一人もおらず、管理人のおばあさんが入口に近い席にポツンと座って私達を待っていた。
「お前たち、これから行く所があるから学校の鞄を家に置いて来な」
管理人バ~バに言われ、素直な私たちは直ぐに鞄を部屋に置いてバ~バの元へ戻った。
バ~バは予め手配してくれていたのだろう、21号館のお店屋さんが持っている小さなトラックに私たちを乗せた。
団地を出てこの国第二の都市の方へハンドルを切り、そのまま走って行く。
バ~バが運転免許証を持っていたとは知らなかったよ。
私とガオは助手席に座らされて、ナルは私たちの足元にしゃがんでおきなさいって言われて、体育座りしていた。
バ~バが言うには助手席には2人までしか座らせられないが、荷台はもっと大きな違反になるので見つかると大きく減点されるとのこと。
だからナルには絶対頭が外から見えない様に座っておきなっと厳命が下された。
減点を恐れるとは、バ~バはこの年なのに、これからも車を運転する気なのだろか。
小型トラックを市民病院の正面玄関に停めて、「お前たちはここで降りな。ほら、あそこにお前のてて親が見えるかい?あそこへお行き」と私たちを降ろした後、どこかへ行ってしまった。
そこが病院だと言う事はすぐに分かった。
たくさんの看護婦さんが見えたし、医者らしい人も何人か行ったり来たりしていたので、家族か知り合いに何かあったのは幼心にも分かった。
青い顔をしたガオパパは「タオさんが中で待っている。おいで、行こう」と言い、私たち3人がちゃんとついて来ているかどうか、ちょくちょく振り返りながら病院の中に入って行った。
それは1階の奥の通路だった。
固いビニールで覆われた背もたれの無いベンチがちょっとずつ離して4脚置いてあり、一番奥、白色の扉の前のベンチにお父さんが頭を抱えて座って居た。
他のベンチに何人もの大人が座って居たり、その横に立っていたりしていた。
「タオさん、子供たちが来たよ」
ガオパパが言うと、弾かれた様に頭を上げたお父さんは滂沱の涙を拭う事なく直ぐに私を抱え込んだ。
お父さんの胸の中で大人しくしていると、まだお父さんが泣いているのがその息遣いで分かる。
それからどれくらい時が経ったのだろう・・・・。
白衣を着たお医者さんが出て来た。
「ミナさん、ミルさんの御親族の方・・・・」
お父さんは弾かれた様にベンチから立ち上がった。
言葉を発するでも無く医者の前に立つと、「手は尽くしましたが残念ですがお二人とも・・・・」と言われ、お父さんはその場で崩れ落ちた。
ガオパパが慌ててお父さんを後ろから抱えて、さっきまで座って居たベンチまで引き摺って行き座らせた。
お父さんは痛いくらい力を入れて私を抱え込んだ。
ぎゅっとされ続けて痛かったけど、今はそれを口にしない方が良い事は分かっていた。
今、お父さんは声を出しては泣いていない。
でも、声を出すよりももっと激しく泣き喚いている様な、そんな錯覚を起こさせる雰囲気があった。
それから10分くらいして別のお医者さんが同じドアから出て来て、誰かの名前を言った。
その人の家族なんだろう。
お父さんと同じ様に医者の前に立つと、「命は助かりましたが」と言われた所で、その家族らしき人たちはとってもほっとした様子になったが、「背中の骨が損傷を受け、一生歩く事は難しいと思われます」と言われ、何人かがお父さんの様にその場で崩れ落ちた。
父さんは小さな小さな声で言った。
「それでも良いじゃないかっ。生きているんだから」と。
私は父さんにぎゅっと抱えられていたから、父さんが発した言葉を聞き取れたけれど、恐らくあそこの通路に居た他の人達には聞こえなかったと思う。
それくらい消え入る様な小さな声で言ったのだ。
このお父さんの言葉で、私はお母さんと妹のミルが死んだのだと分かった。
ただ、ガオパパが父さんと同じ様な、嫌、同じと言うにはもう少し何かを期待する様な様子でベンチに座って居るのを横目で見ていた。
それから20分くらいして4人目の医者が例のドアから出て来て、「ナミさんのご家族の方」と言った。
ガオパパは直ぐに医者の前に立った。
「手は尽くしたのですが、残念ながら・・・・」とウチの時と同じ様に言われた。
つまりナルママも死んだって事?
ガオパパは崩れ落ちる事は無かったが、ベンチに戻って来てガオとナルを両腕に抱きしめた。
その通路では似た様な事が繰り返されていたが、私たちは看護婦に言われ、その場を後にした。