5 弾けて、照らす
――結果として、ゲネ動画の公開は評判が評判を呼んだ。つまりは大好評となり、一躍SNSのトレンドを席巻した。
何かがすごい、何がすごいのかわからない。けれど、とりあえず黙って一度は見てほしい。そんな書き込みが一斉にされ、あまりの勢いに、釣られてやろうと野次馬根性で動画をクリックした人々を瞬く間に魅了し、そしてその人たちがまた新たな人々を呼び込む――口コミが連鎖し続けたのだ。
世間の評判は、プロデューサの当初の目論み通り大半がひっくり返ったと言ってもいいだろう。アイドル俳優とあなどる声、舞台演劇の神髄を知らぬ者、野次馬目的のガヤの声。対立した互いのファンの過激なSNSでの言動。それらすべてを「主演二人の演技映像」という名の実力行使で殴り、黙らせた。それは極めて蠱惑的な暴力を孕んでいたかもしれない。
それほどまでに、ゲネプロの映像は衝撃と過激の入り混じったものになった。
椎名水紀の、狂気と理性の狭間にぎりぎり立つ、同じ人間と思えない演技。あれは誰だと、舞台俳優対して興味の無い人々が、一気にはやし立てる。一大ムーブメントが巻き起こる。これは朱鷺があらかじめ予想していた通りの世間の反応だった。演技に一家言が無くても、大した知見がなくても分かる。没入した椎名の姿は、彼の名前も背景もすべてを忘れさせ、画面越しでさえ、自分の今いる現実世界と舞台上の世界を曖昧な境界線へと誘うほどだ。演じたキャラクターが事実、自分の目の前に実在し、呼吸している! 国の危機によって今まさに、自分の身に危険が及ぶのではないかと誤認させるほど。
だが、それと同時に朱鷺に対しての評価は、あの日あの時、弁当を食べながら椎名にふっかけられた通りだった。
ゲネの動画が公開されてから、朱鷺に付いているファンの子たちは、カッコイイだの演技がうまいだの、褒めてくれている。しかしながら世間の人々は朱鷺のことを、椎名のようにとびきり高く評価する様子はない。
――だが、誰一人として酷評をすることもない。物足りないと揶揄うそぶりも、影が薄いだなんて言う人もいなかった。椎名水紀と並び立つことに誰も、何も疑問を抱かない。それでいて、朱鷺の演技に対して「度を過ぎた」評価をすることも無い。それはちぐはぐで、傍から見れば可笑しな評価であった。あれだけ憑依型の俳優の隣に並び立ち歌い、演技する朱鷺に、それが当然で自然だと思わせている。演技の勉強に少しでも踏み込んでいれば、椎名と比べて演技力が足りていないと分かるはずの朱鷺は、それでも舞台上で並び立つことに物足りなさを出すことなく、そこにいることを許されている。
「あれだけ隣で、俺がぶっ飛んだキャラクターを演じても、劣ってるだとか存在感が薄いだとか、そんなこと何一つ言われない。あんたはそういう『人』だ」
平然と、そこに並び立つ。そこにあれこれ小難しい評価や演劇論は存在しない。しなくてもいいのだ。それがアイドルの皮をかぶったままの、俳優としての朱鷺なのだ。
「あんたはどんな主役を演じても、そのどれもが性格が似た人物でも、すべてを繊細に演じ分けてた。だから同じ演技だって誰も思わないし、思わないならわざわざ言う人もいない。なにを演じても同じだなとか、オマエそのもので役を作り切れて無いとも言わない。原作ファンからこけ下ろされることもない。それは、あんたの努力だ」
確かに言われてみればだ。よかったよと周囲の人々に褒められることは多々あるが、演技に対して酷評されたことは無かった。それは朱鷺にとって、無難に演じられているだけで、大して言及するほど特筆すべきものがないからだと思っていた。
けれど違うのだ。だからあんたは、俺の隣に宛がわれたのだと椎名は言う。平凡で素朴なキャラクターを演じる役者が、本当に平凡だったら霞んでしまう。椎名と対比するのに必要なのは、さも当然にそこにいる存在感とそれを補強する繊細な演技力。
「あんたの本当にすごいとこは、それを簡単に気づかせないとこだ」
「気づかせない……」
「すごい演技力! なんて思わせるのは、ある一定の努力を積めばたどり着ける。けど、その人がそこに居るのは当たり前としか思わせないような演技が出来る人なんて、そういない」
椎名はタブレットから動画をひとつ再生した。大きな画面に映し出されたのは、先日千秋楽を迎えたドームツアーの様子だ。グループのみんなと歌い、踊るいつもの、当たり前の朱鷺の姿がそこにあった。
「あんたがグループのセンターに立って歌って踊っているのを見たとき、衝撃を受けた。こんな人居るんだって。センターに立つしかできないような、センターに居ないと似合わないような、圧倒的な主人公を演じる人が居るんだって」
あんた、舞台関係者からなんて言われてるか知ってる? と首を傾げられて朱鷺は困惑した。そんな評判聞いたことない。
くっ、と椎名は喉の奥で笑った。朱鷺はその時初めて、椎名も朱鷺と同じように、腹の中に何かを抱えながらこの舞台に望んでいたことを察した。そうか、自分たちは似た者同士だったのかと。
「――”化け物”だよ。ステージの化け物。圧倒的ポジティブな光を持つ主人公をやらせたら、右に出る者はいない。それが当たり前に受け取られすぎてて、誰も改めて評価しない。けど、並び立つ者の視線を一身に集めすぎてしまう。だからあんたは選ばれ続けてるんだよ。主役にね」
ほんとに腹立たしい。あんたと会ったときそんな感想しか浮かばなかった。
そう告げた椎名は、不適に笑っていた。初めて会った際、朱鷺に向けられていた朗らかでチャーミングな笑顔はどこにもない。彼の顔に浮かんでいたのは、エンターテイナーとして、ライバルへ宣戦布告する戦士の顔だった。