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星が爆ぜる先  作者: makase
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3 主役と役割

 椎名水紀の簡単なプロフィールも、どんな仕事をしてきたのかさえも、ろくに調べずに打ち合わせに行ってしまったのが悪かったのだ。朱鷺はそんな風に自分自身を振り返った。あの後ただぼんやりと意識を漂わせているうちにうっかり寝落ちしてしまい、朱鷺はカーテンが開けっ放しにされた部屋から差し込む強烈な朝日によって強制的に覚醒させられた。

 ろくに着替えもせず、風呂に入らず体をリラックスさせることもせずに、だだっ広いベッドに体を沈ませていただけでは十分に休息を取ったとはいえない。寝起きだというのに朱鷺の体には倦怠感が纏わりついていた。こびり付いた煩わしいそれをそぎ落とすためにシャワーを軽く浴びて、濡れたままの髪の毛から滴り落ちる雫がTシャツに模様を作っていくのも気にせず、朱鷺はキッチンへと向かった。

 眠気覚ましのコーヒーを淹れながら、ふと朱鷺は自分の手元を眺めた。ぼんやりとした視界に入るのは、驚くほど血の気のない色白な指先だ。朱鷺は近くに置いてあったスマートフォンを操作して、検索バーに「椎名水紀」と打ち込んだ。

 その名前を検索窓に入れた瞬間、情報の海に溢れかえる、まとめサイトや参考動画。何から手に付けたらいいか分からない。インタビュー記事やドキュメンタリーの予告映像までありとあらゆる様々な情報が、スマートフォンの板の上に躍った。その中に、彼が出演した舞台作品が円盤化された際の販促動画があった。動画サイトに一場面を切り取って上げられたものだ。コーヒーの香りが朱鷺の鼻をくすぐる。一瞬、朱鷺はその動画の再生ボタンを押すのをためらった。親指が板をタップする直前、空中で静止した。だが、もう一度、今度は強い意志を持って、朱鷺は親指を再生ボタンへと誘った。

 ぷつん、と映し出されたのは小さな劇場だ。客席は百にも満たないだろうか。それでも、その舞台の上は丸ごと異なる世界が作り出されており、奥行きを感じた。それは緻密な舞台セットや照明、音響の影響もあるだろう。だがそれだけではない。舞台の上に躍り出たその人が、客席を丸のみにするほどの世界を作り出していた。

 駆け抜けるように舞台にやってきた彼は、まるで戦地に赴く勇者かのように、ステージ上で勇ましく吠える。腰から抜いた剣はぎらりと鋼を光らせて、そのきらりとした光が彼の顔面を照らし、青白く光らせる。響かせる歌も、体全体を使ったダンスも、一定以上のスキルがあるのは当然も当然。ただ、それだけではない。その場面、状況、役に当てはまる声と歌を作り出す。昨日会議室で見た変貌する椎名そのものだ。朱鷺は、ひとつ動画の再生を終えると、次から次へとおすすめに登場してくる動画を再生し続けた。くるくると変わる椎名の役。椎名と言われなければ分からない程、容姿が一変しているのでは、と錯覚してしまうほどの彼の役の入り方。椎名がひとたび役に入り込むと、そこに椎名水紀は確かに存在しているが、どの場面にもどの瞬間にも、無邪気な素顔を見せていた「椎名水紀本人」は存在していない。

 コーヒーを一口啜り、朱鷺は椅子に腰かけた。背もたれに体を預け、深い溜息を吐く。どうにもならないやるせなさが、血流のように体中を巡っていた。

 W主演という冠の、いざ蓋を開けてみればその裏に隠された正解が分かる。ここまでに明確に、演技に対して実力差と才能差があれば、朱鷺自身が”賑やかし要員”であることは明確だった。それを監督からも、マネージャーからも、誰からもはっきりと明言されないことがこんなにも酷だとは、朱鷺は思わなかった。いっそお前は踏みつぶされる側だと屈辱を受けたほうがましだった。何も言われず現実だけを突き付けられ、背中から押され崖に突き落とされるのは時として酷だ。

 片や演技もこなす日本を代表する大人気アイドル、片や誰もが認める憑依型の実力者の舞台俳優。その二人が話題作間違いなしのミュージカルにW主演として大抜擢された。世間の初見の印象はきっとそうだ。そして朱鷺の隣に立つ椎名水紀は、舞台に精通している人ならば知っている、だがテレビ等のメディアが主な情報源の人たちは知らない、そんな俳優だ。だから、キャスティングとして並ぶ字面だけ眺めた際、椎名水紀こそが朱鷺の引き立て役に見えてしまうだろう。

 だがきっと、トップアイドル「朱鷺」の名前に釣られて舞台を鑑賞した人間は、舞台の世界に入り込んだその瞬間、誰も彼もが椎名水紀に釘付けになる。そしてそのタイミングで、朱鷺はただの影となってしまうだろう。月9で堂々と主役を張ったって、ドームを軽々埋められるくらいの幾万人のファンがついていたって、この舞台の上では椎名の魅力が爆発する。誰も彼から目が離せなくなる。釘付けになる。

 今回、朱鷺に与えられた台本もそんな背景を色濃くしたものにしか思えなかった。昨夜タクシーの中でぐしゃぐしゃにしてしまった台本は、帰宅後冷静になった際、重しを載せて伸ばしておいたが、悔し紛れの皺だらけだ。あの監督お得意の、SF要素の色濃い世界観。とある世界で生きる人々と国の行く末、波乱と動乱の時代の駆け巡る様子を目いっぱい映し出す舞台。椎名が演じるのは戦闘狂だが愛国心に溢れた若き国王。対して朱鷺はなんの地位も持たない、一般平民だ。立場も性格も、歩んできた人生も異なる二人が偶然の出会いを果たし、運命により手繰り寄せられた二人が織りなすストーリーが作品の醍醐味だろう。だが朱鷺の役には、はっきり言ってなんの色もない。薄い色の役どころに、朱鷺は何を見出せばよいのだろう。


「はあ……」


 重い溜息が零れ落ちた。台本をよく読み込めば読み込むほど。朱鷺は自分の役割を痛いほど実感する。舞台の上に出演する時間も台詞も、主演二人の露出は平等に与えられているように思う。だが舞台の中の印象深く人々の記憶に残るような台詞を吐くのは椎名。重要な場面で世界観をがらりと変える歌を歌うのも椎名。明らかに、舞台の世界の中での中心は椎名。観衆の注目を惹きつけるタイミングは、すべて彼が持って行ってしまっている。これじゃあ、W主演といえども二人の役者としての立場は対等なんてもんじゃない。このW主演は、所詮見せかけのものでしかないのだろう。朱鷺の名声によって引き寄せられた客たちに、「椎名水紀」という隠れた主役を晴れてお披露目するような、一気にメジャーに仕立て上げるような、そんな隠された大人たちの、本当の狙いの匂いがぷんぷんした。

 朱鷺にこんな立ち回りをさせることを、事務所は分かってて引き受けたのだろうか。今まで事務所に自分なりに貢献してきたつもりだったのに、と子供の様に地団太を踏みたくなってしまう朱鷺は、自分が大人として割り切れていないのだろうかと疑念に駆られた。事務所は、著名な監督とのコネクションと引き換えに、朱鷺に影の役回りをさせることを選んだのだろうか。朱鷺は事務所の看板を張るものとして、しずしずと頭を下げ、その指示に従うべきなのかもしれない。立派な大人なのであれば、ぐっと弱音を飲み込み腹に抱え込むべきなのかもしれない。朱鷺の我慢のおかげで、グループとしての次の大きな仕事に繋がるのかもしれない、けれど。

 事務所から下された評価によって朱鷺はぐさりと、胃を内側から串刺しにされるような痛みに襲われた。この役を引き受けることによる事務所のメリットは、朱鷺に舞台上で惨めな思いをする苦しみを味あわせてでも手にしたかったものなのだろうか。


 与えられた役も、限りなく貴重なこの仕事も、絶対に最後までやりきりたいと朱鷺は思った。けれど、オマエにはこれがお似合いだと暗に告げられた配役は、朱鷺の腹の奥にぐるぐると渦巻く、どろりとした薄暗い感情を生んでしまった。

 コーヒーはマグカップの中で、ついに半分残ったまま冷めた泥水になってしまった。

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