表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星が爆ぜる先  作者: makase
2/7

1 宇宙の怪物

「……オファー、ですか」

「そうよ。先方から直々に。すごいわ、大先生からのご指名だなんて」


 朝一、日本でもトップクラスに忙しいと謙遜抜きに自負している、男性アイドルの朱鷺(とき)を叩き起こしたのは、いつも起床時に使用しているアラーム音ではなく、スマートフォンからの着信音だった。腫れぼったい瞼を擦りながら電話を取ると耳に飛び込んできたのは聞きなれたマネージャーの声。ただし、電話口では具体的な内容は何一つとして告げてもらえず、「とりあえず準備を済ませて事務所に来てほしい。対面で伝えたいから」とだけ言われたのだ。

 一体全体どういうことだ。自分は何かやらかしただろうか、と頭の中でここ数週間分の自分の振舞を朱鷺は振り返ってみたものの、思い当たる節は何もない。頭がパンクしそうになるまで、うんうん唸りながら振り返りをしていると、すっかり目が覚めてしまった。さて何事か、と戦々恐々しながら向かった事務所にて報告されたのは、新規の仕事、それも大きな仕事のオファーだった。


「内容はミュージカル。やったことないわよね? ミュージカル初挑戦で主演に抜擢して頂けるなんて、すごいことだわ」

「それはそうですけど……」


 きらきらと顔を輝かせる前向きなマネージャーの言葉を、朱鷺は真正面から素直に受け止めることはできなかった。マネージャーの言う通り、光栄であることには違いない。だがこっちは、正真正銘ミュージカル畑に足を踏み入れたことも無いど素人である。アイドル稼業の傍ら、ドラマや舞台の経験は積ませてもらってはいる最中な訳だから、演技については全くのど素人だというわけではない。だがミュージカルは、舞台演技とも、映像演技とも、またかけ離れた一歩別世界にあるように朱鷺には思えていた。そんな場所へ土足で立ち入り、踏み荒らしかねない状況になってしまったら、と思わず尻込みしてしまうのだ。マネージャーの期待を目いっぱいに受けながらも、朱鷺は視線を落とした。


「普段のアイドル活動の歌や踊りとか、ドラマに出演させてもらったときの演技とか。自分のパフォーマンスをある程度評価して頂いたからこそオファーだと思うので、すごく光栄で……けど、ミュージカルって、未知の世界すぎて。正直あまり観劇経験もあるほうではないですし……」

「ええ、なあに? こないだ月9主演を務めた男が、新しい仕事にびびってるんだ」


 ふいに後ろから、からかうような声が浴びせ掛けられた。朱鷺は眉間に皺をよせ、あからさまにうんざりした表情で振り返れば、後ろでメイク中の同じグループのメンバーが、鏡越しににやにやと笑っていた。言葉通りに受け取れば大層な嫌味にも聞こえなくもないが、朱鷺からしてみれば長年付き添った仲間の軽口ではある。聞こえないふりを決め込んでやろうかと思った朱鷺だったが、メンバーは追い打ちをかけてきた。


「ねえねえ、ボクたちCD出せば週間一位は当たり前、コンサートチケットもプレミアもの。ドームツアーだって満員御礼。正真正銘スーパースターだよ。そんなスーパーアイドルグループのセンター様でドラマの主演も映画の主演も果たした男が、なあに実力不足を気にしてるの、嫌味に聞こえるよ」

「嫌味……ではないけど」

 

 素直にオファーを頂けたことは嬉しいよ、ともごもごと返す言葉も無く狼狽える俺がよっぽど面白かったのか、メンバーはゲラゲラと腹を抱えて笑い続けている。きっとファンはびっくりするね、まごうことなきスーパーカリスマ王子様のお前にも、極度の謙遜癖があったなんて、と煽り立てる様にはしゃぐメンバーに、まあまあ、とたしなめるマネージャーは苦笑を浮かべた。


「現状に天狗になるよりも、謙虚な心を持っていた方がよっぽど良いと思うわよ。未知の世界だとは思うけれど、成長するいい機会じゃない」


 マネージャーからのフォローは率直な意見に聞こえた。それ受けて、朱鷺はほっと肩をなで下ろした。しかしそんな朱鷺の束の間の安堵は、「嗚呼、伝えそびれていたんだけど」と続けた言葉に、霧消することになる。


「主演、貴方だけじゃないわ。今回W主演なのよ」

「W主演?」

「別事務所の子ね、その子もオファーされたんですって。その子は舞台一筋の俳優さんみたい」

「……そうなんですか」

「……ねえ、それってヤバくない? めっちゃ荒れそうな予感がするね」


 朱鷺が返答に一拍遅れたのは、瞬時に懸念を覚えたからだ。だがさすが長らく苦楽を共にしたメンバーだ。彼も朱鷺と同じことを考えたのだろう、少々トーンダウンした声音で、的確に朱鷺の心を読んだような言葉をぽつりと漏らした。

 超大御所脚本家の話題作。そこに抜擢された主演は、”本業”が「アイドル」と「俳優」の二人。純粋な演技力では朱鷺の力が劣ることが目に見えている。しかも舞台一筋、ときた。板の上に立つことをこなし続けた胆力のある俳優と肩を並べて立たなければならない。

 このキャスティングが正式発表されたときの、ありとあらゆる反応が目に見えるようだった。朱鷺のファンの純粋な歓喜の声、だが混じるのは俳優側のファンの不満の声。脚本家を贔屓にしている者からの、「アイドル俳優」というレッテルを貼られる未来。そして対比されるように実力を持ち上げられるであろう、もう一人の主演の俳優。その世論の声の広がりを、きっとよく思わないであろう、自分のファンたち。結果としてファンたちが怒り、暴走する姿。

 だがそんなに危ういキャスティングは、古今東西珍しいものではない。事務所はこの目に見えたリスクよりも、仕事を受けるメリットを取った。ただそれだけだ。


「その俳優の子は、ミュージカルの経験はあるんですか?」

「何度かあるみたいよ。椎名さんっていうの、知ってる? コスモ・プロモーションの椎名(しいな)水紀(みずき)さんっていうのよ」

「さあ……聞いたこと無いですね」


 正直なところ、テレビによく露出している芸能人や、同業のアイドル以外のタレント名はあまり覚える機会がないのだ。朱鷺が首を横に振ると、後ろからも「ボクもしらなーい」というお気楽な声が聞こえた。


「界隈じゃあ名の知れた子なのよ。コスモはうちより小さな事務所で、所属俳優も十かそこらだけれど……私も彼のことは知っていたわ。……それじゃあ朱鷺くん、知らないのね。椎名さん、なんて呼ばれてるか」

「呼び名? ああ、キャッチフレーズ、みたいなことですか」

 

 そんなところかしらね、と頷いたマネージャーは彼の呼び名を教えてくれた。だが告げられたフレーズに、朱鷺は自分の耳を疑うことになる。なんだそのフレーズは。ギャグか何かですか? そう聞き返したかった朱鷺だったが、告げたマネージャの表情は、至極真面目な顔つきだったものだから、朱鷺は、ただ受け止めるしかなかった。


「彼についたあだ名は、――”コスモの怪物”よ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ