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曲を奏でる無人のピアノ   作者: 志民 晃一
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第七話 リプレイ検証

「ごめん。待った?」

「ううん。今、来たとこ」

「良かった。昨日の夜からこの日が楽しみで眠れなかったのよ」

「奇遇だね。この俺様もさ。さあ、寝不足の姫、回るベッドで一緒に同じ夢を・・・ぐふっ、ぶはははっ」

「うはははっ、あーおもしれー。今日も調子良さそうじゃん。ハル。して、回るベッドってもう古いよ」

「今日の女の子はどうだろうね」

「心配ご無用。一人残らず金のエンゼル三枚クラス。はずれなし」

「さすが。リョウ」

「それにしても人ってのは変わるねー。ハルがこんな遊び人になるとは思わなかった」

「おかげ様で、リョウコースの道を歩ませてもらってますよ。先輩」

 つまりは、そういうことである。

 ここ最近は、ずっとキリン系ギャル男のリョウと一緒に合コン三昧な日々を送っていた。

 僕の中で何かが弾けた。

 そしたらもう何もかもがどうでもよくなった。

 こういった心境の時に女は最適だ。

 ぽっかり空いた何かを埋めてくれる。

 女と話し、女を笑わせ、女に触れられればそれだけで充分だった。彼女と呼べるものはいない。作る気も今は、もうない。世の中には可愛くて、会いたい時だけ会える都合のいい女は沢山いるのだ。

それを利用しない手はないだろう。真面目に恋すればするほど痛い目にあうのであれば、チャラチャラと気軽なファストフードのような恋でいい。決して健康的とはいえないが、裏切られることもない。若い自分は、健康を顧みたことはない。後先を考えるだけで無駄だ。

 将来、枯葉がごちそうと思える状況に追い込まれようとも、僕はキリギリスでいい。

 今が楽しければ、それでいい。


 目の前に座る女の子が、髪の毛先をくしゃくしゃしながら、上目づかいでこっちを見る。心の中でごちそうさまと、手を合わせる。こんなにも簡単に男女の関係を満たせるなんて。


 実に滑稽だ。


 頃合いを見て席を立ち店を出ると、案の定、女もついてきた。手を差し出すとぴとっと手を握ってくる。夜の街にお似合いの僕等は、迷いなく歩を進める。ちらりと彼女を覗くと、左手で毛先をくしゃくしゃとしていた。

 不毛な毎日だ。満たされないと知りながら止まることのできない自分の弱さを呪う。街燈の少ない路地に入ってぼんやりとした明りに気付いた。

 空を見上げると綺麗な月が浮かんでいる。

 過去の記憶から刷り込まれている景色、見上げなくてもそこにあると容易に想像がつく景色。それ故に月を見上げたのはいつ振りだっただろう。

 こんな綺麗な光景をどうして見なくなってしまったのだろう。

 優しい月明かりの中にいると意識した時、自然には誰かの愛が添えられているのだと発見する。


 こんなに美しい世界を創ったのは誰だろう。

 そして、それを覆い汚す人は誰だろう。


 左手に繋がる彼女の右手。世界で一番不正直な繋がりだ。そう意識した時、圧倒的な喪失感、虚無感に支配された。

 もう、やめよう。

 月に許しを請うように、そっと目を閉じた。そしてしーちゃんを探す決意を開いた。


 高橋栞。

 それが彼女の名前だった。お互いをしーちゃん、はーくんと呼び合っていた。しーちゃんとは、ほぼ毎日一緒だった。

 公園を散歩するだけの日もあれば、大学生で自動車免許持ちの彼氏、つまり高校生の男では味わえない魅力をアピールする為に、レンタカーを借りてしーちゃんの学校の前まで迎えに行ってドライブする日もあった。意味もなく夜景スポットや海までドライブした。車内で気の利いた音楽を流そうとレンタルビデオ屋でCDを入念に視聴した。

 夜景を見に行く時には、等身大の恋を歌う十代に圧倒的に支持を受けている歌姫の曲や、ネイティブな英語がセクシーな邦楽ロックバンドの曲を流したし、海に行く時には、浜辺でタオルくるくる回す系の曲を流した。

 僕一人では選ばない、聴かない曲だった。

 山道を下手な運転で、横走りする豆腐屋の真似事をした時に「調子に乗らないの」と、優しく諫めてくれる彼女が好きだった。

「レンタカーのくせに」と、悪意の無い意地悪を言う彼女も好きだった。

 三回目のドライブデート、海に向かう車内、曲と曲の間のその僅かな時間に初めてキスをした。

 芯を外させゴロを打たせる巧みな投球術により、簡単に補給された、そんな恋の始まりに半信半疑であった。

 自分の気持ちを正確に把握する前に始まってしまった恋だった。

 恐怖をトキメキと変換し、言い聞かせ始めた恋だった。

 しかし、それがどうだろう。

 毎日しーちゃんに逢いたいのは僕で、僕の心と頭にしーちゃんを敷金礼金家賃なしで住みつかせたのも僕自身だ。可愛い小物やアクセサリーを見るとしーちゃんにあげたら喜ぶかななんて想像している。しーちゃんと食べたら美味しいって言うかな、しーちゃんと行ったら楽しいって言ってくれるかな、しーちゃんと観たら感動して涙流すかな、しーちゃんにこんな姿見せたら嫌われるかな・・・。

 全ての僕の行動の基準がしーちゃんになった。

 行動の源が、動機が全てしーちゃんになった。

 しーちゃん満タンで動くアメ車のようになった僕は、一日も経たないうちに、しーちゃん不足になってしまう燃費の悪さを露呈した。

 メールの返信が少しでも遅いと不安になった。

 何しているのだろう。大丈夫かな。別の男と会っていないかな。そして、落ち込んだ。僕の全てがしーちゃんに染まった裏を返せば、余裕が無いということを意味していた。僕自身の心と頭に僕自身をも家賃折半にして同居させればよかったのかも知れない。

 しーちゃんはよく感謝を伝える人だった。

「漫画貸してくれてありがとう」「お迎えありがとう」「今日は楽しかった。ありがとう」「いろんなとこ連れてってくれてありがとう」「一緒にいてくれてありがとう」「わたしを好きでいてくれてありがとう」「はーくん・・・ありがとう」

 必ず感謝の理由を伝え、何に対して感謝をしているか明確に伝える人だった。

 けど、最後に耳にしたしーちゃんからのありがとうは、そうではなかった。


 ある日、しーちゃんが家出をしてきた。

 制服姿でスクールバッグ一つしか荷物は無い。

「どうしたの?学校は?」

「行ってない。学校行くふりして出てきた」

「学校に連絡もしてないの?」

「してない」

 何処か様子がいつもと違う。妙に落ち着いている感がした。今、思えばしーちゃんはこの時に既にもう内に思いを秘めそして、固めて来ていたんだ。

「学校から親にすぐ連絡いくんじゃない?そした・・・」

「ねぇ!海連れてってよ。海!」

「海?今から?」

「そーだよ。学校ずるした特権」

「ずるした特権って」

 あまりに勝手な理屈に笑ってしまった。

 しーちゃんもいつものように笑っていた。

 その笑顔に何処か安心した感を持ち、つい事情を深く聞かず、寧ろ愉快な気持ちを湛えながら海行きを承諾した。

 この時の自分が愚かの度が過ぎて滑稽に思える。

 いつものようにレンタカーを借りて、いつもの海に向かった。

 その車内でしーちゃんは珍しくよく話した。

 その時の話題は家族についてだった。

 家族の話を聞くのは初めてだった。

 しーちゃんの家族構成は父と母と弟の四人家族。弟は中学三年生で受験の年でずっと部屋に閉じこもりあまり口を利かないらしい。父は仕事でずっと家を空けていて、月に一、二回帰ってくるだけ。

帰ってきてもお酒を飲むだけで会話という会話はしない。

 母も仕事人間で人材派遣会社に勤め、新事業立ち上げの責任者を任され、仕事に奔走していて、帰りは遅く顔を合わさない日もあると教えてくれた。

「もう嫌になるよね。家族ってなんなんだろうね」

「それで、家出てきたの?」

「うーん。まあ、そんなとこかな。よくさあるじゃない?ドラマとかでこういった状況の家族描いているやつ。昔は、ドラマの大袈裟な演出と思ってたんだけど、気づいたら自分の家族が大袈裟な演出と思っていた悲惨な家族になってて。あれだよね、親と喧嘩できるなんて恵まれてるよね」

 最後の言葉に一瞬心が反応するのを感じた。

「ねえ」

 耳に入れたい次の言葉を期待させる言葉ベスト5の言葉だ。

「もしうちら家族作れたら子供にそんな思いさせないようにしようよ。夕食は家族揃って食べて、ゲームの日を作って、家族でゲームしたり、旅行したり。イベントもちゃんと家族で参加して沢山の想いでと経験をさせてあげられるようにしたいな。はーくん優しいから良いパパになるよ。絶対」

 しーちゃんが語るさり気ない未来に僕がいて、そして家族になることを想定していてくれていることに胸が跳ねた。

「しーちゃんもいいママになるよ。こう、仕事帰ってきてしーちゃんにおかえり言われるの想像しただけできっと僕は満たされるよ。外出する理由が、そのおかえりを言われる為になってるよ」

「なにそれー。でもおかえり言いたいな。想像だけでなんかいま、幸せ」

 そう言ってふふっと照れて笑う彼女。とても可愛いと思った。

 どうか今日がその未来に繋がりますように。静かに心で祈ったことを覚えている。


 海に着いてから、海沿いにある洒落たカフェでランチを食べた。

 僕がシーフードカレーを頼み、しーちゃんはロコモコプレートを頼んだ。

 洒落た空間で洒落たランチ。

 平日ということもあって、店内も海も僕等の他に見当たらない。なんて絶好のデート日和なのだろう。

 車内の幸せ未来トークも相まって心の内に猛烈な勢いで出てくる温かい幸せの感情に戸惑いながら贅沢に浸っていた。

「はあ。食べた。お腹一杯」

「美味しかったね」

「うん。お腹ぺこぺこだったから、がっついちゃった。こんなオシャレな空間で」

「ハハハっ、そう言えば最初に会った時もさ、がっついてたよね」

「あー牛丼!」

「そうそう。覚えてくれていた」

「もちろん覚えているよー。あんなに美味しい牛丼は忘れない」

「最初全然喋んないしさ、この世の全てに興味持っていないような雰囲気でてて、探り探りだったけど、あの牛丼の食べっぷりでなんか、安心したんだよな。あっ、良かった。普通の女子高生だって」

「あー恥ずかしい。なんかさ、あの合コンは最悪だったけどでも、行って良かったって思うよ。はーくんとあの時出会えて本当によかった。出会ってくれて、ありがとう」

 若干の胸騒ぎをそれより強い感情が掻き消した。

「なんか照れるよ。しーちゃん。僕もしーちゃんに会えて良かった」

「ほんと?」

「ほんと」

「ねえ、海行こうよ」


 柔らかい砂浜に足を取られる。両手でバランスをとりながら砂浜の中央付近へ向かう。

 風が吹いてしーちゃんの髪が横になびく姿を少し後ろから見た。


 波の音がする。


 眼前に広がる海を背景にしーちゃんがいる。この世界に僕らだけしかいない錯覚を起こす。しーちゃんはどんどん海の方向に歩いていく。

「しーちゃん!」

 自分でも驚くほど大きな声が出た。

「ん?」

 振り返り首を傾げるしーちゃん。

「そんな近づいたら濡れちゃうよ」

 こんなことを言いたかったんじゃない。海に向かうしーちゃんが一瞬遠くに吸い込まれる錯覚を見た気がした。

「大丈夫だよ。あっ、貝殻!」

 しーちゃんは、どんぐりを見つけるメイのように、貝から貝へと歩いていく。そんな無邪気な姿をそっと写真に撮った。

「はーくーん。こっちきてー」

 満面の笑みで手招きするしーちゃんの元へ呼ばれるがまま行った。

「じゃーん」

 しーちゃんの手が示す場所に貝殻でハートの形が作られていた。

「おお、凄い」

「はい、このハートを真ん中にして寝ころぶよ。写真撮ろ」

「わお。流石、女子高生。センスある」

「はい、撮るよー」

 しーちゃんの見事な自撮りで写真を撮った。

「それ、後で送ってくれる?」

「もちろん。後で送るね」

 しーちゃんはそのまま大の字に砂浜に倒れた。

「あーーー、このままずっといたいなー」

「しーちゃん、そんな海好きだったっけ?」

「変なとこで鈍感ださないでよ」

「鈍感?え、僕?」

「はーくんとずっと一緒居たいってこと!こういう感じで言い直すの恥ずかしいんだからね」

「あ、ごめん。そーゆうことね。それは、僕もだよ」

「ほんと?」

「ほんと」

「ねえ」

 風が吹いて、波の音がする。

「また幸せ未来トークしよ」

「はははっ」

「何が可笑しいのよ」

「いや、ごめん。幸せ未来トークって車の中でした話だよね?」

「そうだけど?」

「いや、僕も同じネーミングつけていたからさ。それが可笑しくって」

「えーうそ?だんだん似てきてるのかもね。私たち」

「僕もびっくりだよ」

「そういうのもなんか嬉しいな。同じ感覚でいられたり、同じ気持ちでいてくれたり、そういうのってなんか凄い幸せ」

「長年連れ添った夫婦の暗黙の了解の範囲が増えていみたいなね。話さなくても成立する空間みたいな」

「えーしーちゃんは話したい」

「はははっ、うん。話そ。これからもずっと話そう」

「お、上手。いつの間にか幸せ未来トーク始まっている」

「とっておきのあるよ」

「なに?」

「授業参観」

「あーー。いいね。若いお母さんでいたいな」

「わかる。理想は友達の子に和山のお父さんとお母さん美男美女って褒められることね」

「そうそう。それ」

「二人で行ってさ、子供の成長を見届けて、帰りは外食にして」

「やっぱりいま、幸せだ。本当になればいいな」

「なるよ」何の根拠もなく、そう言った。

「ほんと?」

「ほんと」

「はーくん・・・、ありがとう」

「え?」

 脈絡のない礼を言ってから、すっと立ち上がり海に走り出すしーちゃん。

 靴のままお構いなしに海に入って行く。

 手で高く海を掬い、上にしぶきをあげる。空に浮いた海が重力に従い落ちてくる。

 顔を仰ぎしぶきを受けとめるしーちゃん。

 顔がびしょびしょになっている。キラキラとオレンジが反射している。

「なにやってるんだよ」

 無邪気な姿に笑みがこぼれる。

「はーくん、こっちきてー」

 愛おしいと思った。はやく愛おしい対象に近づきたい。靴を履いたまま海に入る。

「つめたっ」

 しーちゃんの近くに来た。

 水位は膝の手前、しーちゃんは完全に膝まで浸かっていた。

 しーちゃんがゆっくり体勢を僕に向き直す。

 海、夕日、見つめ合う二人。

 しーちゃんの顔は海水で濡れて夕日が反射してキラキラ輝いている。


 綺麗だ。


 波の音がする。


 この間の先を僕は知っている。しーちゃんも知っているだろう。

 二人は、海の中で夕日に染まる頃、唇を重ねた。

 二回目のキスは自分の想像を超え、一回目のキスより長くそして、深かった。

 ようやく離れ、目が合うとお互い照れて笑ってしまった。

 舌がじんじんと名残をしばらく知らせてくれていた。


 帰りの車中、舌先の名残は無くなっていたが頭の中で何度も夕日が照る海の中で交わした情熱的な行為に思い浸っていた。

 その度に鼓動が速くなった。

 浮かれて甘美な刺激だけに集中してしまった低能な自分は本当に愚物だった。

 しーちゃんの思いを計ることもせずに。


 しーちゃんは自分の家に帰りたくないと言ったので今日は僕の家に泊めることにした。

 舌の絡みからの流れで否応無しに男の期待が宇宙規模の広がりをみせていた。事情を前もって話していた母と、母から事情を聴いた父と優子も快くしーちゃんを迎えてくれた。しーちゃんも安心したように穏やかな表情で終始くつろいでいる様子が嬉しかった。

 そろそろ就寝の時分に差しかかったので、銘々、床に着く準備を始めた。

 緊張が差し迫って来る。

 しーちゃんと夜を明かす未知な経験への妄想は先のビックバンにより追いつかず、具体的な行為については考えることもできなかった。最終的に、それは単に自分がその行為の経験が一切無かったということに帰着した。

 ただ非常な力をもつ興奮の感が体中を熱くしていた。

 その強い力に支配されるがまま、まるで悪魔が人を滅びの入口に誘うか如く、しーちゃんを自分の部屋に誘導するタイミングを見計らっていた。歯磨きを終え、戻って来るしーちゃんをタイミングと捉え、早鐘を打つ心臓とは裏腹に努めて冷静にそして、当たり前のようにしーちゃんを誘う。

「僕の部屋こっち・・・・」

「栞ちゃんは、優子の部屋ね」

 絶対天使母の一声が響いた。僕にはその一声が雷鳴の如く感じられた。

 母は貞操に厳しかった。

 若い男女が一つの部屋で夜を明かすことを許されるはずがなかった。

 高校生の家出には寛容の気持ちを持つのに、そこには依然徹底していた。

「しおりちゃん、こっちだよ。ハル君に着いてっちゃダメだよ」

「はーい。優子ちゃんよろしく」

「本当に連絡しなくていいの?」

「全然大丈夫です。一晩なんてざらにあるので。むしろまだいないことに気づいてないかもしれません。明日には帰ります」

「そう?それならいいけど、なんだったら私たちの連絡先親御さんに伝えてもいいからね。今日はゆっくり休みなさい」

「はい、ありがあとうございます。おやすみなさい」

「優子は明日ピアノ教室見学だからね」

「はーい」


 絶対天使母は最後に僕に意味があるように、先が鋭角な視線を向け寝室に姿を消した。しーちゃんはニヤニヤと笑い口パクで「はーくんのエッチ」と言って、優子の部屋に入っていった。

 僕は暫くその場に立ち尽くしていた。

 色々な感情が交錯していた。興奮、安心、落胆・・・。

 しーちゃんの家庭の事情をこの時、どうしてもっと考えなかったのだろう。

 彼氏という立場で立ち入っていいか判断がつかなかったということでもなく、勇気が無かったということでもない。それ以前に、僕はしーちゃんのことを考えていなかったのだ。色々な感情の交錯をひとつひとつ解くように自己に試みようとするも、強い感情が主張を始め、そして支配を伸ばしそれを邪魔した。この瞬間僕は、しーちゃんを分厚い生物学の教科書に男女を定義する一節の女として捉えているということだ。ただの性欲の対象として、生物学的にいうと狭義の性欲の目でしーちゃんを捉えている自分を認めた。

 ベッドに横になってもその感情はしぶとく残りジリジリと心身両方に訴えかけてくる。ついに我慢できず立ち上がり意味もなく鏡で自分の顔を映すことを繰り返した。

 一向に落ち着かず冷静になれず悶え苦しんだ。

 自分でいくらかの解消をする術を知っていたがいざ手を伸ばすと頭にしーちゃんが過りそれを制した。

 矛盾ともとれる感情の動きに混乱し、心と体が完全に分断されたような感覚に陥り葛藤に拍車がかかった。

 やはりあてもない行動をひたすら繰り返した。

 刻は進み未明から空の濃さがだんだんと薄れて明け方に達していた。

 ようやく睡魔が力を伸ばしウトウトし始めた。

 薄れる空に合わせるように意識が遠のいていくのを感じた。

 ここで睡眠の始まりを意識してしまうと振り出しに戻ってしまう。

 薄れゆく意識の中で抱いた僅かな懸念は影響を持たず、ついに眠りに着いた。


 もう一度キスしたいな。

 また、しーちゃんに会える。それが前提の愚かな思いと知る由もなく。

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