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曲を奏でる無人のピアノ   作者: 志民 晃一
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第六話 プレイボール



 雑居ビルの四階にあるという今日の会場となるお店。店内に入るとまず目に水槽が飛び込んできた。

 その水槽を両サイドから挟むようにテーブル席が並べられている。

 他にもカウンター席や個室もあるようだ。ほんのりオレンジで薄暗い店内に青白く浮かぶ水槽。

カラフルで小さい魚がゆらゆらと泳いでいる。

 水槽にはリラックス効果があり会話が増えやすいと聞いたことがあった。その事が関係しているかは不明だが、若い男女がやっと地上に出て短い命を煌めかせ、必死に鳴く蝉のように騒いでいた。

 どうもこういった雰囲気は好きになれない。

 自分がいて良い場所ではないと、直感していた。


 何気なく泳ぐ魚を目で追っていると膝上の黒のタイトスカートに白シャツ姿の女性が現れ「こちらです」と、満点の笑顔をみせ案内してくれた。その快活で健康的な笑顔はこの場所ではどこか違和感を抱かせた。

 案内されるがままに奥に進んでいくと個室スペースに辿り着いた。案内された個室にも水槽がありそれに向けて縦に三人掛けのソファがテーブルを挟み対面に置かれていた。

 オーダー方法やメニューの説明をマニュアル的に済まし何も知らないチワワのように目を輝かせ満点の笑顔で去って行った。

 あなたの笑顔はここではない何処かで使うべきだ。

 例えば、青空の下とか、ドライブデートしている時の助手席とか、マクドナルドとか、そう、スマイル〇円。そうだ、こっちだなと勝手に一人で納得する。

 こういった夜の雰囲気の空間では、寧ろ料金を取った方がしっくりくるだろう。


「席は取り合えず最初は・・・」

 そう言ってギャル男もときは水槽側の奥の席に腰を下ろした。それに続きリョウが座ったので僕もそれに続いて座った。

「結構良い感じじゃん。この店」

「でしょ?先輩に一回連れてきて貰って知ったんだよね」

「流石もとき。お前は合コンの為に生きてるって感じだな」

「もち。あたぼーよ。合コンの為っつーか心と体を満たしてくれる女の為よ」

「お前はほほ体だろ」

「あ、ばれた?」

「今日は現役女子高生か。響きがもうエロいよね」

「今日は巨乳がいいな」

「なんだよ今日は巨乳って」

「そういう気分なんだよ。思いっきり揉みほぐしたい」

「きもっ、唐揚げでも揉んどけ」

「おまっ、それ俺の奴」

「何だよ俺の奴って。ま、俺はそんな気にしないんだよなー。そこは」

「リョウは脚とお尻だろ」

「そうそう。よく覚えてんね。女の子を寝かせて足のほうからのアングルで眺めるのが絶景」

「なんか昔から言ってるよな。さっきの店員の脚はどうだった?」

「いや、それね。綺麗な脚だったよね」

「さすが、ちゃんと見てる」

「いやもうそこは当たり前でしょ。ミニスカートだもん。見ないと逆に失礼でしょ」

「しかもさタイトだったからくっきりラインがさ」

「そうそう。お尻齧りたいわ」

 蛇口を捻ったようにどんどんと卑猥で有害な言葉が流れ出てくる。

 カルキ抜きされていない水道水で満たされていく部屋。

 魚の呼吸器は水道水に含まれる塩素で破壊されてしまう。

 自分が水面にひっくり返って浮かぶ魚の姿と重なった。


「こちらです」

 今度はパピヨンのような女性が、本日の合コン相手を誘導してきた。

「遅くなりましたー」

 高校生にはこれっぽちも見えない女性が鼻にかかった声で男性陣に向け会釈した。

 その後ろを、そろそろと着いてくる二人。緊張しているように見える。そして、緊張している二人の女子高生を見て、少し安心している自分の心の動きをしっかり認めた。

「おー来た来た。場所大丈夫だった?迎えに行くって言ったのに」

 ギャル男もときが手招きしながら盛り上げるように声を張った。

「場所はたまたま知ってるとこだったんで大丈夫でした。すみません遅れて」

「なんもなんも。座りー」

「いやーまじ、みんなかわいい」

 すかさずキリン系ギャル男のリョウが女性陣に大袈裟に言い放つ。

 鼻にかかった声の女性がそのまま水槽側の奥の席に座った。次いで、黒髪ツインテールの童顔娘。しかし、一際目を惹いたのが高校生とは思えない豊満な胸部の膨らみを持っていた。所謂、巨乳だ。服装もその胸部を前面に押し出す大胆な露出がある。雑誌やTVでしか見たことの無い見事な谷間だった。

 正直なところ顔はお世辞にも際立ったものがあるとは言い難い。しかし、男とは妙なもので巨乳で童顔で決して可愛いわけではないそこに、性的な部分を強く刺激されてしまう。

 対面するキリン系ギャル男のリョウは、あれだけ胸には拘らない、脚だのお尻だの言っていたのに、童顔巨乳娘を凝視し、分かりやすく舌なめずりをしている。

 そして、自分の対面に座ったのが黒髪ロングの前髪ぱっつん娘。表情は多くなく一番無愛想だったが、綺麗な二重の目がとても魅力的だ。少しミステリアスな雰囲気で怒っているようにも見える。


「じゃあ、まず自己紹介しよ」

 一通り飲み物をオーダーし飲み物が運ばれてきたタイミングで、ギャル男もときが声を張る。そして、そのままオレからするねーと、ゆるくだらしなく前置きをして自己を紹介し始めた。

 聞くに堪えないものだった。

 名前と趣味までは普通で良かったのに、武勇伝を語りだし状況は変わった。内容はよくある単車で少し悪をしていたとかそういった類の痛々しい話。ギャル男もときと対面する鼻にかかった声音娘はすごーいと明らかなお世辞を偉いことに笑顔で手を叩いている。童顔巨乳娘は、静かにすごーいと口に手を当てながら呟いた。

 キリン系ギャル男のリョウは、相も変わらず童顔巨乳娘を凝視している。ぎらついた光をそんなにに焦点を絞って集めてしまうと童顔巨乳娘は焼け焦げないか心配になる。

 そして、僕の対面のミステリアス娘はあろうことか、僕の心をいや、少なくともここにいる女性の本音を表すように頬杖をついて無愛想を貫きギャル男もときを見ようともしない。あからさまな態度にこちらがハラハラしたがしかし、正直な態度に好感を抱いた。

「じゃあ、次オレ」

 キリン系ギャル男のリョウが、その細くて長い脚をすらっと伸ばし立ち上がった。アカシアの木の葉があるのかと、上を見上げるも、そこにはやはり天井しかなかった。

 キリン系ギャル男リョウの自己紹介はシンプルなものだった。まとまっているが固くなく、親近感と興味をもたせる。実に好感だ。ちらりと童顔巨乳娘を覗くと明らかに色をもった視線を送っている。

 なんだこれは。まさに、国立のキックオフ直接ゴール、甲子園の開始サイレン鳴りやまないうちのホームラン。ミステリアス娘は依然、無表情で我関せずモード。

「じゃあ次、とり」

 とり。気持ちは蟻の巣の麓に投げ込まれたバッタだった。この完全アウェーな舞台で僕に何ができる。気のきいたフレーズも知らないし笑わせるギャグもない。

「えっとー、和山春人です・・・えー、こういった会は初めてなんでお手柔らかにお願いします」

「対局か」

 ギャル男もときがすかさずツッコミを入れる。そこで一つに纏まった笑いが発生した。手を叩いて笑う鼻にかかった声音娘、口元を隠し肩で控えめに笑う童顔巨乳娘。そして、対面のミステリアス娘に目を向けると目が一瞬合い、すぐに逸らされてしまった。

 それは、とても予想外なことだった。


 ギャル男もときが落ち着いてきたところを見計らって、自己紹介を女子に番を移した。甘えた声で返事をし立ち上がった。細く女性らしい丸みのある線が柔らかさと女性らしい印象を与えてくれる。ストレートジーンズが映える長くて細い綺麗な脚だ。顔も小さく茶髪のセミロングの髪は巻かれていて綺麗で控えめな膨らみにかかっている。

 オフショルダーのブラウスから露わになっている肩から二の腕に色気がある。その視界の情報から派生し制服姿を想像する。ミニスカートから伸びる脚・・・。いけない。何を想像しているのだ。積極的に色のある想像を始める自分を改める。


 ぼこぼこと気泡がもれた。


「相澤かすみです。はーどうしよ。恥ずかしいちょっとてんぱってる」

 ややうつむき加減で顔を手で仰ぐ仕草をしている。

「いまさらかよ」

 すかさず対面のギャル男もときがツッコむ。そのツッコミの早さからギャル男もときはよく集中している。

「さっきまでゲッラゲラめっちゃ手叩いて笑ってたじゃん。チンパンジーかと思ったもん」

「ちょっと。ひっどーい」

 そういって脹れっ面を作り、ギャル男もときを叩く素振りをする。二人の距離が縮まっている。場の空気ももう一段階和らいだ。ギャル男もときは場数を踏んできているだけあって上手だ。

「チンパンジーじゃありません。現役女子高生でーす。よろしくおねがいしまーす」

「ノリいいねー。最高―」

「おっけおっけ。現役女子チンパンジーね」

「ちょっと、違うから」

 現役女子チンパンジーは、身をテーブルに乗り出して拳を作っている。ギャル男もときが左肩を差し出し、そこに肩パンする格好になった。ギャル男もときの肩にパンチを放つ現役女子チンパンジー。もちろん本気ではないそのパンチに女らしさをみた。

「で、はいはーい。質問いいですかー?」

「だめです」

「初キッスは何歳?」

「ちょっと、だめです」

「初キッスくらいいじゃん。肩パンしたんだから答えてよ」

「なに。その理由。うち遅いですよ。高校入った時だったんで一五かな」

「リアルー」

 初キスで盛り上がる男二人。それに合わせて手を叩く僕。僕が知っているこういった盛り上がる場に合わせる唯一の方法だった。また内心の緊張を紛らわす為でもあった。


 キスなどしたことなかったからだ。電気技術者として務めている勤勉で真面目な父と、保育士として働いていた明るく陽気な母に良質な教育を受けることそして、貞操観念について強く教えらてきた。

 両親はお酒も煙草も飲まない。父がお酒は悪魔の飲み物だと言っていた。喧嘩は全く無かったわけではなかったが、喧嘩している姿は出来るだけ子供には見せないよう配慮し、父はよく伴侶を大切にし愛していることを言葉や行動で母に表していた。 そしてその姿を子供たちにも意識的に表していた。外出するときは手を必ず繋ぐし車道側には必ず父が立った。時には手をさり気無く繋ぎ変えてまで車道側に立った。誕生日と結婚記念日には花と手紙とプレゼントを必ず準備し、よく感謝の言葉を言っていた。母も同様に父を愛し尽くしていた。その両親の薫陶により育てられらたので女性に生半可な気持ちで接するなんて考えられないことだった。飲みものもビールやらシャンディガフやら注文されるなか、僕はジンジャエールを頼んだ。僕は自分の価値観や生き方にそれなりに満足して生活してきたが、この場ではそれがとてつもない不利となる。


「最近はいつ?」

「ちょっと」

 照れを隠しながら満更でもない様子。

「二か月前に彼氏と別れたのでそれで察してください」

「じゃあ今、更新しとく?」

 素早い身のこなしでかすみの隣に移動し、腕を回して自分の元に引き寄せている。びっくりするように見上げるかすみ。見下ろすギャル男もとき。距離が近い。キスの距離だ。急展開に目を見張った。前後に脈絡のない箇条書きの恋愛映画を観ているようだ。

「はいはい。そこまで」

 キリン系ギャル男リョウが二人を制する。意外にもその健全的な動きに好感を持てた。ギャル男もときも舌をペロッと出し、ニヤッと笑った後、かすみの耳元で何かを囁き頭をポンポンと叩きやっとかすみから離れた。

 かすみは顔を赤らめ照れ笑いを浮かべている。

 何故だかその笑顔が官能的に映った。

「じゃあ、次いい?」

 ギャル男もときが童顔巨乳娘に自己紹介を促した。あからさまに視線を胸元に送る二人。

「やだー。こっちですう」

 左右の腕でしっかり胸を寄せながら両手の人差し指を立てて自分の顔を指す。大胆であからさまな誘惑に笑えた反面、その童顔巨乳娘の開き直った欲望に恐怖を感じた。

「寺島萌です」

「萌ちゃん。凄いお胸」

「よく食べて、よく寝てたら育ちました」

 そう言って自分で自分の胸を持ち上げる。

「何カップ?」

「あ、待って。オレ当てていい。見ただけでバストのサイズ当てるわ」

「それ、自分のほうが得意だわ」

「いいですよ。当ててください」

 必要以上に自分の胸を揺らす萌。

「D」

「F」

「ぶー。Eでした」

「まじか。最近激しく揉まれたんでしょ?最近までDだったでしょ?」

「中三の頃からもうEでした」

「あれ。ちょっと揉んでいい?すぐFにしたるわ」


 手を伸ばすギャル男もとき。

 萌は照れ笑いを浮かべ胸を両手で抱くように隠した。

「ほんと凄く柔らかくて気持ちいいの」

 かすみがそう言って萌の胸を鷲掴みに揉む。

 んっと、すこし声が漏れ体を捩る萌。

 その瞬間、怪しい視線を交わせる二人のギャル男を見逃さなかった。ニヤニヤと何をアイコンタクトしていたのか。

 まさか二人で廻そうということではなかろうか。

 童顔巨乳娘から寧ろ望んでいるかのような男に性の挑発する言動、行動にあきれる半面、正直に反応してしまう体。理性と本能の狭間で行ったり来たり終始落ち着かない。いつの間にか胸を凝視している自分にはっと気づき慌てて目線を変更した。

 その引力の強いこと。

 どうやら本能の勝ちのようだ。

 本能と理性の試合は毎イニングコツコツと本能に点を取られ、結果二桁得点を許し大差で大敗した試合のように思えた。


「ちょっとかすみやめてよ、もう」

「まじ今のエロいね」

「絶対、感じたよね?」

「違いますよー。恥ずかしい」

「性感帯どこ?」

「もときくんストレートすぎ」

「オレ、球種ストレートしか持っていないからさ。あ、じゃあこれも当てようか?」

「いいね。これはオレの得意分野だわ」

「したらさ、当てたらご褒美」

「そうだね。ほっぺにキスでどう?」

「いいですよ?当てれるものなら。ね?萌」

「えー萌、今のでばれてない?」

「よーし。萌ちゃんからのチュー確定」

「じゃあ、もときお前から」

「いいよ。まず萌ちゃんはお胸。で、かすみちゃんは、んー、足の裏」

「ちょっと、わたしのテキトーすぎ」

「え?違う?」

「違いますよ。なんでそんなマニアックな部分攻めたんですか」

「あ、何?ごめん。そういうこと。かすみちゃんオレにキスしたかったんね」

「ちょっと、もう。違います」

「はいはい。次オレね。萌ちゃんはお胸といっても乳首でしょ。かすみちゃん揉んでたとき、指の腹で乳首転がしてたもん。で、かすみちゃんは、やっぱ・・・足の裏?」

「もう二人ともきらーい。違うって言ったじゃないですか」

「うそうそ。ごめんね。正直見た瞬間に想像ついたんだよね。ここを攻められて喘ぐかすみちゃん。ズバリ、耳」

「え?うそ」

「え?当たってんの」

「当たってます。びっくりー」

「まじかリョウ。すげーな」

「でしょ。オレ分かるもん」

「で、萌ちゃんは?あ、聞くまでもないか」

「いや、お前胸だろ?オレ乳首だからね?そこ一緒じゃないからな」

「え。そこ分ける?」

「もちろん。胸と乳首じゃ全然違う」

「まじ?で、萌ちゃんどうなん」

「足の裏・・・」


 萌の隠されたるユーモアにより場の盛り上がりが一段上がった。萌は結局乳首が性感帯だったと白状し、リョウの凝視力が物を言った形になった。

 何の捻りもないクイズ方式の性感帯当てゲームにリョウがかすみと、萌二人からのほっぺにキスを受けご満悦な表情を見せるなか、必死に胸も正解にと抗議するもときを見兼ねて萌はもときにもほっぺにキスをした。

 ほっぺより胸が腕に当たってそっちを意識してしまったとリョウともときが共感し盛り上がっている。

 彼らが盛り上がれば盛り上がるほどやはり白けてくる。

「ちょっと、端の二人も参加しーよ」

「待て、もとき。ハルは初だし、まだ全員紹介出来てない」

「衝撃的な事実。そうだ。じゃあ、最後」

 もときが言い終わらないうちにガタっと立ちあがったミステリアス娘。

 皆が一斉に視線を向ける。

「帰る」

 そう一言は放つとスタスタ部屋を出ていってしまった。

 突然過ぎる出来ごとに呆然とする五人がその部屋に残された。束の間、もときの「まあ、いっか」という一言により、何事もなかったように再開された。


 僕はまだ止まったまま、呆然と出て行った彼女のことを眺めていた。もう見えないのだけれど。

再開された四人はまたすぐに盛り上がりを取り戻し何やら騒いでいる。運ばれてきたサラダに入っていた豆腐と萌の胸の柔らかさ一緒説というのを立てているようだ。


 その瞬間に何かが弾けた。


 自分でも驚いたが立ち上がり彼女を追いかけるために部屋を出た。

「ドラマか」

「いけいけー」

 応援してくれているのか、からかわれているのか分からなかったがそんなことはどうでもよかった。それはきっと、あちら側にとっても同じことなのだろう。

 ビルの外へ出た。

 右、左と彼女を探す。左方向の遠くで信号待ちしている彼女を確認した。

 良かった。見つけた。

 真っすぐ歩いていてくれて良かった。走ったら追いつけるだろう。

 彼女まで全力疾走。走っている最中、何故自分は走っているのだろう。そう自問が舞い降りた。息を切らし彼女を引き留め一体僕は何を言う。

 答えが出ぬ間に彼女に追いついた。


「ちょっと、待って」


 ハァハァと両膝に手をかけ少し前のめりに屈む僕を彼女はゆっくり振り返り何してるのと口ではなく目で訴える。

「なんか・・・なんか分からないけど・・・湧き上がる力の源を追っていたら、君がいた」

 何を言っているのというキョトンとした目。

 それはとても正しい反応だ。自分でも何を言っているのか分からなかった。

 気まずい沈黙を繕うように言葉を続けた。

「名前も知らせずに行くなよ」

 はっと、彼女の表情が変わったような気がした。

 咄嗟に口をついたドラマのセリフのような言葉を余裕が無かった分、照れもなく必死に真剣に投げかける僕に、キュンというトキメキの音を奏でたような、そんな表情に。


 追い込まれた鼠は時に、猫をも噛むのだ。


「お腹減ってない?」

 我ながら気の利いた言葉だと思った。

 彼女は伏し目がちに小さくこくりと頷いた。

 当たり前だが、女の子なんだと改めて実感する。

 可愛いじゃないかとも。


「お待たせしました」

 食券を渡して五分も経たないうちに料理が運ばれてきた。・・・牛丼。

 お腹すいてない?と、気の利いた問いかけまでは良かったが、気の利いた店となると全くと言っていいほど無知だった。戻れば何かしらの飲食店はあるはずだが、飛び出してきた場所付近では、落ち着かない気がして戻るに戻れなかった。

 取り合えずそのまま進行方向へ歩を進めた。

 家電量販店やパチンコ屋さんしか無いと思えてしまう場所を十分ほど歩き回らせてしまった。その間会話らしい会話は全くなく、永遠と思われる程気まずい時間だった。

 いつまた帰ると言われてもおかしくない状態であったと思うが、奇跡的に彼女は黙ってついて来てくれた。


「よっぽどお腹すいていたの?」

 意外にも気持ち良く牛丼を頬張る彼女は健康的で愛らしく微笑ましかった。

 僕の質問にこくりと頷いた。

 黙ってついてきた理由はお腹が空いてたからなのか。少し寂しい気持ちがした。

 改めて無我夢中で牛丼を食す彼女を見れば高校生の女の子という実感を与えてくれる。

 完食し水を飲み干しコップをテーブルに置いて彼女は初めてこちらに目を向け、そして照れているのか顔を俯かせ「ごちそうさま」と、言った。

 合コン時のクールでミステリアスな彼女の印象は薄れ、今此処に居るのは、思春期の終わりを迎えかけた女子高生なのだ。聞きたいことは沢山あったがここではあまり長居出来そうもない。時計を見ると二十一時を回っていた。

「いやいや、こんなんで悪い」

 謙遜でも何でもなく本心だ。彼女は小さく首を振った。こんなんじゃないです。と、言うように。

「じゃあ、帰るか。送るよ」

 それにはコクリと頷いた。

 食事中も黙って牛丼を食べたから、未だお互いよく知らない。それでも、クールで大人びたイメージだったが、本当は素直で年相応の普通の女の子なんだ。

 妹と重なる。

 妹か。

 光が射した瞬間だった。

 彼女を妹と思うようにしたところ、単純な自分に驚いたが効果は大きかった。催眠術に掛りやすいかもしれない。

 妹に話す感覚に任せ、訊きたいことを訊き、愚痴を言ったり、夢まで語っていた。挙句の果てに、下らない冗談まで飛ばしていた。その甲斐あって彼女も少しづつ心を打ち明けポツリポツリと自分のことを話し始め、時に笑顔まで見せるようになった。合コンは数合わせだったこと、ああいったノリだけの場が苦手なこと、僕に親近感を抱いていたことも話してくれた。

「もしかして、私と一緒の気持ちじゃないかなってね」

「うん。似てるね。僕ら」

 彼女に目をやると目が合って、お互いすぐ逸らした。

「僕も同じようなもんだよ。ひょんなことから彼らと知り合って、半ば強引に連れて来られたんだ。興味が無かったと言ったら嘘になるけど、あまり良いイメージが無くて。案の定すぐ後悔したよ。来なければよかったって」

「ふふ。そんな感じしてたよ」

「まじか。やっぱわかるんだ」

「うん。わかる」

 少しそこから間が空いた。二人の足音だけが響いている。スニーカーの音とヒールの音。

「ねえ」

 不意に彼女が言った。

「ねえ」ドキドキさせる言葉じゃないか。

「ん?なに」

 努めて普通に返した。「ねえ」耳に入れたい次の言葉を期待させる言葉ベスト5に入るだろう。

「ねえ、私はどう見えてた」

 脳裏に憮然とした表情でつまらなさそうにしている彼女がよぎる。

「どうしてここに来たんだろって思ってたよ。だって、あからさまにつまらなさうだったし、全てにおいて反応なかったしさ。一人でハラハラしてたのと反面、笑っちゃいそうになってたよ。もときが笑わそうとしても真顔だからさ。そのギャップが笑えた」

 今となっては笑い話だ。彼女も笑っているだろうと、彼女を見ると笑ってはいなかった。彼女は僕の視線に気づいたのか、ゆっくりこっちを向いた。

「それだけ?」

 酷く淋しそうなその表情にはっとさせられた。

 その淋しさで包まれた彼女に答えあぐねていると「じゃあ」と呟いた。

「じゃあ」耳に入れたい次の言葉を期待させる言葉ベスト5だろうか。

「じゃあ、どうして私を追ってきたの?」

 彼女は真っすぐ僕を見つめた。その視線に僕は気付かされた。


 彼女が抱く恋心に。


 真っすぐストレート勝負でくるのであれば、こっちはフルスイングと決まっている。

「あのままいかせたら、もう会えないと思ったから。そうはしたくなかった。そして、何よりそう思う前に体が勝手に動いていた」


 彼女は何も言わず、照れと笑みを含んだ目でこちらを見つめている。つまり?とでも言うように。


「好きなんだ」


 カキーン。片側二車線の幹線道路の歩道という甲子園に金属音が鳴り響く。

「私も。好きだよ」

 あれ。どうしてこうなったのだろう。なんで告白してるのだろう。派手な金属音の割に打球はコロコロとピッチャーの前に転がっている。

 真っすぐストレートに見えた彼女の言葉は手元で若干変化していた。ツーシームか。

 誘われた。彼女がメジャー屈指のグラウンドゴロピッチャー、ロイ・ハラディに見えた。

「ど、どうしてこんな急に?なんか早くない?」

 色んな感情が混じっている。その中でも怖さが感情に訴えてくるのを認めていた。

 上手い話しの裏の何かに恐怖を感じているのか、彼女そのものに恐怖を感じていたのか判別できない。

「私も一緒よ。このまま別れたら男と女の距離まで近づけない気がしたから。私のこと妹みたいに思っていたでしょ?そう思われたくなかった。そして、そう思う前に・・・」

「ちょっと、それ僕の言葉」

 僕の真似をして悪戯っぽく笑う彼女。ああ、こんな笑顔も持っているじゃないか。

 僕よりも大人で上手で、僕よりも子供で。

 そんな不思議な女子高生を隣に月夜の家路をゆっくりと歩いた。

 ああ、これは恐怖じゃない。恋のトキメキだったんだ。そう思うことにした。



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