第五話 未知との遭遇、何かの始まり。
あっ、まずい。これはまずい。非常にまずい。
ちっと、舌打ちのような音も聞こえた。
舌打ちだとすると相手はキレているということだ。
そうだと恐ろしいから舌打ちのようなと、意図的に暈し恐怖を和らげるようとした。
実習室に向かう途中にふと右を向くと、そこには全身が映る大きな鏡があった。
だいちゃんのおかげですっかり元気を取り戻した自分がそこには映っていた。
今朝のベンツのミラーに相応しい自分。やはり余裕と自信に充ち溢れている。
「よし」と、気合を入れ左を向いて歩きだそうとした時、反対側から歩いて来ている人に気付かずぶつかってしまった。
相手は携帯電話をいじっていたのだろう。携帯電話が廊下に落ちた。
ちっ。
恐る恐る相手の顔を見ると、髪の毛の色素が失われたほぼ白髪のピアスやらリングやらじゃらじゃら身に着けた派手な男が、血走った目でこちらを見ている。
やっぱり舌打ちだった。終わった。
一瞬にして絶望が全身を駆け巡り、諦めへと繋がった。
まな板の上の魚のようにその時を静かに待った。
がっしりと両肩を掴まれた。殴られる。親にも殴られてことないのに。と、有名な台詞を心の中で叫び、目を瞑り、歯を食いしばりその時に備えていたが、なかなか殴ってこない。
少しずつ目を開け、男の顔を見た。日焼けして黒くなった肌に白い歯が際立っていた。
歯が眩しいな。
あれ、なんで歯が見えているのだろう。
あ、なんてこと。男はキラキラとした満面の笑みを浮かべていたのだ。
「今日の夜、八時に合コンすっから、来い」
開口一番に唐突過ぎる。事故に巻き込まれた気分だ。
頭は真っ白になり、暫く何を言っているのか理解出来ずにただ、その場に突っ立っていた。
約束の場所に、約束の三十分前に着いてしまった。
流石に誰も来ていないようだ。
結局、ぶつかってしまったチャラ男の有無を言わせない勢いと迫力に屈し気づいたら「はい」と返事をしていた。それは、冤罪なのに長時間に及ぶ取り調べに疲れて、無実の真実と主張を諦め罪を認めてしまうような場面を何故か思い起こさせた。
僕は冤罪で捕まったら最後、刑事の思うがままに覚えのない罪を自供させられるだろう。
いい弁護士を今のうちに探しとかないといけないかもしれない。
いけない、また考え過ぎてしまったようだ。
焼けた肌によく映える白い歯と歯茎を剥き出しにしながら「よし」と、携帯電話をポッケから出した。
連絡先交換と自分の電話番号を言い始める。
ポカンと聞いていると、何やってるのケータイに登録してと促された。
言われるがままにケータイに番号を打ち込む。
ここで終わってくれればよかったのに。
打ち込み終えたタイミングで「かけてー」と、電話するように言われ、諦め発進ボタンに親指を乗せる。往生際悪くこの番号は、そうだお母さんに繋がっているんだ。そう、考えた。
繋がったらお母さんに愛していると叫ぶんだ。
強引な想像が盛り上がりをみせたが、目の前にいるチャラ男のケータイが振動した。
強引な想像は儚く散った。
「おっけーありがとう。したら、八時な」
そう言って、スタスタと去っていった。
お母さんに電話しようと、そう思った。
その時に本当にお母さんに電話していたら今日、此処には来ていなかったかもしれない。
名前も知らないギャル男との合コン。
ぎりぎりまで悩んだ末、行かなかった時に何をされるか分からない恐怖と、合コンへの好奇心が僕を此処へ誘った。
何処か言い訳がましいが、結局は此処へ来ることを選んだのは自分だ。
その選択を強く後押ししたのが先の二つの理由のどちらかといえばいや、この場にきて往生際の悪い。白状する。完全に後者だ。
合コンは初めてだった。
大学生になったら車の免許を取得して、輝かしいカーライフを夢見ていたが、実は密かに合コンへ参加することへも淡い期待を持って夢見ていた。
僕の両親はどちらもお酒を飲まない。
二人が飲んでいる姿を見たことは一度も無いし、どうして飲まないのか理由を聞いたことも一度も無い。
口数の少ない父が「お酒と女が居る場所には気をつけろ」と、まだ僕が小学生の確か低学年の時にぽつりといったことを覚えている。
口数が少ない故に、印象に小学生ながら残ったのだろう。
小学生の僕に何故そんなことを言ったのかは分からない。
ただ、今になって思うのは、その言葉は僕に向けて言ったのではなく自分に向けて言ったことだったのではないか。
母の泣いている姿を初めて見たのは丁度、その頃だった。
まさか。
父は自分を戒める言葉として漏らした言葉だったのか。
もし、そうだったとしたら。
母の泣いている姿が鮮明に蘇ってくる。思い出しただけで未だに酷く動揺している自分がいる。
当時とそこは変わらない。きっとこれからも変わらない。
帰ろう。
踵を返し来た道を戻り始めた。母を泣かせたくはない。母の好きなアップルパイでも買って帰ろう。
急いた足取りで合コン会場から離れていく。
はやく。はやく。はやく、
ここまで来てしまったことを悔いた。この場から離れたかった。合コン会場が見えなくなるところまで。
大きな交差点が見えてきた。
そこを左に曲がれば見えなくなる。もう少し。もう少しだ。
はっ。
大きな交差点を左に曲がった時だった。
目に飛び込んできたのは、名もなきギャル男。
しかも早々にこちらに気付き、よおと、右手を挙げている。
最悪だ。何がよおだ。自分の運命を呪った。
「どこいくん、逆だよ。はい、回れ右」
両肩を掴まれ強引に方向転換させられる。
名もなきギャル男は青のテラードジャケットを羽織り中には黒地に白のドット柄のシャツを着ていた。首元には赤の蝶ネクタイが結ばれていた。下は白のショートパンツ。黒く焼けた足に良く映えている。足元はローファーで決めていた。
女子受けの良い服装かは分からないが、どうせドット柄を見てカワイイー、蝶ネクタイを見てカワイイーと言うのだろう。
オリエンタル系の香水の香りが鼻の奥を刺激する。
「俺と合って良かったじゃん。全く逆行こうとしてんだもん。うける」
「はは。まあ、そうね」
帰ろうとしていたとは言えず、めでたい勘違いに同調する。
「てか、ほんと来てくれたんだね。しかも、時間早めじゃん。なに、ちゃんと迷うこと想定して早く出てきたとか?案外気合入ってんじゃん。うける。そして、ほんとに迷ってるし」
ぎゃははと手を大袈裟に叩きながら、めでたい考察をする。愉快な人だと皮肉たっぷりに思う。
いつの間にか捲くられて露わになった手首には高そうなシルバーの時計が巻かれていた。
「いや、遅れちゃまずいかと思って早めに出たら案の定早く着いちゃって」
ギャル男のデフォルトであるテンションの高さと、馴れ馴れしさに気圧されながら同調して答えると、すかさず「まじめかっ」と、突っ込まれた。
突っ込んだ後にやはりぎゃははと大袈裟に笑っている。
本当は帰ってたんだよ。その一言を出しかけては、何度も飲み込んだ。
「今日って、全部で何人来るんですか?」
何故か敬語になった。
「敬語止めろよ。気持ち悪い。あ、で、今日はねー、男三人、女三人の計六人」
そう言いながら、右手の親指と小指をたたみ、残った指を立てて三を表した。それと同じ形を左手でも作り、自分の顔の両サイドに手を持ってきて、立っている左右の手の指を同時に二回折り曲げた。
なんだその動きは。まさか男の僕にも可愛いと言って欲しいのだろうか。
反応に困っていると名もなきギャル男は勝手に話し始めた。
「そんで、今日来る女の子ってのがさー、俺の高校の時からの知り合いで今はセフレなんだけど、そいつの後輩ちゃん。現役JK。もう、それだけで股間が疼いちゃうよねー」
「セ、セフレ?現役JK?そんなんいいのかよ」
「そうそう。でももう流石に飽きちゃってね。裸になられても何も感じ無くなってさぁ、だからセフレ解消宣言をしたのね。そしたら、わんわん泣かれてさ。見捨てないでって。もとき君がしたい時に合わすし、他の女の子も紹介するから。だからこの関係解消したくないとか、なんとか言われてさ。引っかかったのは他の女の子紹介ってとこね。そいつの周り可愛い子多いのは知ってたからさ。そんで今日があるみたいなー」
最低だ。クズ野郎だ。全く悪びれる様子も無く寧ろ、堂々と自分を誇るように話している。まず無条件でセフレという単語に嫌悪感を抱いた。
体の欲求を解消するためだけを目的とした、男女が相互同意の下で性交渉を行う関係を指す造語。
何が解消だ。そんな都合良く、用がなくなったら解消する蜘蛛の糸で繋がっているような希薄で脆い関係に友達という言葉を使ってほしくない。
また、どうしてその子はそんな都合のよい女に成り下がってしまったのだろう。
自分を安く売る真似をして、終いには嬢斡旋業を開業してしまう始末。
全く理解に苦しむ。
分かったのは名もなきギャル男の名前がもときだということだけだ。
ギャル男もときは一人で何かを喋っている。
語尾を伸ばしていることだけが耳に付いた。
話し方のだらしなさ、反応の大袈裟さ、目の厭らしさ、笑顔の胡散臭さそして、発言の内容の下品で浅く薄っぺらい。ギャル男もときに感じたことを心で並べた。きっと、それらの形容ははそのままこれから行われる合コンにも当てはまるのだろう。
だらしなく大袈裟で胡散臭く下品で厭らしい。総じて浅く薄っぺらい会だ。
確信にも近い予感を感じ、予感を確信に転じた時、ギャル男もときのケータイが鳴った。
「もしー、あーわりい。もう店まで来ちゃったよ。・・・いや、お前がおせーんだよ。・・・まだ女の子は来てないよ。もう一人の男は来てる。・・・いいから早く来い」
話の流れから察するに合コンの男子メンバーだろう。どんな奴だろうか。不安がまた広がる。
「今日くるもう一人の男から」
そう言って、歯並びの良い白い歯を見せてニかっと笑った。
「あ、もう来るって」
メールが来たのだろう。そう言ってギャル男もときは、後ろを振り返った。
その目線を追うように顔を向けると信号待ちをしているそれらしき男が立っていた。それらしきというのは、遠目でもわかる程派手な見目で長身の男が、隣にいるギャル男もときと同じ匂いを感じさせたからだ。同じライブに行く人達を服装だけで分かってしまうようなそんな感じだ。
「いたいた」と、ギャル男もときが小さく呟いたので間違いないようだ。
同じカラーがあり、ファッションがあり、マストなアイテムがある。もう一人の男は長くて細い脚をスタスタと動かしこちらにやって来る。
その姿はキリンを連想させた。近づいてくるにつれ全貌が明らかになっていく。
黒く焼かれた肌に盛られた髪の毛、黒のVネックのシャツにネイビーのジャケットを纏い、下はジーンズで足元は先が尖がった革靴を履いている。
お兄系だ。
首から恐らくクロムハーツだろう。シルバーの十字架のネックレスを下げて、ダイヤ調にカットされた小ぶりのストーンのピアスを両耳につけている。すらっと背が高い。
一八〇センチメートルはあるだろうか。綺麗なぱっちり二重でグレーのカラコンが入っている。
同性からでも、異国のモデルのような風貌でかなりのイケメンだと思ってしまう。
「なんで先行くんだよ」
開口一番、長くて細い左足でギャル男もときの右腿に蹴りを入れながら文句を垂れた。
やはりその動きはキリンを連想させた。
「おまえ遅いんだよ。うんこ」
そう言って大袈裟に笑う。その笑い声そのものが切れの悪い糞のようにとても不愉快で不快なものだった。
笑い終わった後、僕を見てあぁと、思いだしたように言った。
「こいつ言ってた同じ大学の」
「ちわーっ、リョウっす。よろしく」
ギャル男もときが僕のことを雑にキリンへ紹介し、キリンはギャル男デフォルトの圧力で距離を詰めてくる。そうそう。こういった人達は下の名前だけで自己紹介するのだった。そのギャル男の流儀に倣い、挨拶を試みた。
「あっ、ども。ハ、春人っす」
中途半端な気持ちと覚悟で慣れないことはしない方がいい。噛んでしまった。
すかさず、ぎゃははと大袈裟に笑われた。笑いながら肩を組んできたのはキリンだった。
「自分の名前噛むとか懐かしいわ。昔の俺も自分の名前噛んでたよ」
「いつの話だよ。もしかして、あの時?」
「そうそう。初めてナンパした時の」
「あーやっぱり。あれは笑えたな。リョウめちゃくちゃ本気だったもんね。ナンパなのに」
「本気だったさそりゃ」
「ななちゃんだろ」
「名前はいうないうなー。うんこは待ってくれないし傷口ほじくるし性格悪いな」
「ハル。こいつな一年前、まだ俺らが高校生の時なんだけどさ、街で遊んでた時にさカラオケで働いている子に一目ぼれしてガチで告って玉砕してやんの。ウケるよな。あの頃毎日のようにそこのカラオケ通ってたもんね。名前ななちゃんって分かってからタバコ、セブンスター吸いだしたりして。健気で笑えるっしょ」
「もときお前殺す。うあーなんか思いだして来ちゃったよ。あの頃感情不安定だったしょ。オレ。毎日毎日彼女のことばかりだったもんな。心臓は彼女によってもみもみされていたようなもんだよ」
「きも、唐揚げでも揉んでろ」
「うるせーよ。てか、ハル。せめて笑ってくれよ。惨めじゃんかよ」
「てか、元々自分で言いだしたんだからな」
「もときはもう黙ってろ。あー好きだーーー。ちくしょーーー」
似ている。
自動車学校の受付嬢に告白し無言で首を振られるという規格外のミサイルで木端微塵にされた自分に。
その見た目からは縁遠い人だったのに同じような玉砕経験を持っていることが判明したとたん一気に親近感を覚えた。
苦い経験の共有は強い絆となる。
その派手な見た目で空っぽな思考をもちノリだけで生きている彼らを軽蔑し自分のワンルームの狭い空間に彼らの居場所を設けようともしなかったが、ここに来て散乱している物を慌てて纏めて片づけ場所を作っていた。寧ろ、お茶でも飲んでってよと言わんばかりに歓迎体勢だ。
「分かるよ。その気持ち」
「ハルーお前良い奴だな」
「無理に合わせなくていいんだぞ。こいつ自己紹介で何回りょを言ったことか。りょりょりょって、バグだよあれは」
「うっせーよ。ハルはお前と違うんだよ。あーオレハルと仲良くなれそう」
「そうやって一〇年来の関係を簡単に捨てて今日、初対面の奴に心移りするんだ。悲しいなー。今日の女の子たちに慰めてもらわないとなー」
「今日の女の子レベル高いん?」
「いや、正直わからん。けど、セフレが集めてくれたから期待して良いと思う」
「お前まだあいつとそんな関係なん」
「いや俺言ったよ?もう飽きたから終わりにしよって。したら、まだこのままの関係でいたいって縋ってきたからさ。まあ、仕方なく」
何回聞いても不快な話だ。お茶を改め水道水氷無しだ。いや、やっぱ玄関にも入らせないことにしよう。
「下衆いなー。お前。オレとハル見たいに人本気で好きになったことあんの?」
「お前に言われたくないけどな。今はチャラチャラ遊んでるくせによ。さり気無くハルと同じ括りにしてんじゃねーよ。俺のセフレともヤッてるの知ってんだかんな。てか、ハルも玉砕したことあんのか?」
「ハルを舐めんなよ。男だったら玉砕の一つ二つあるだろうが」
「いや、ハルが正直女の子に声かけてるの想像つかん」
何がそんなに可笑しいのか、確かにと盛り上がっている。
「いやいや、あるよ。夏休み中に自動車学校の受付嬢に告白したよ。声を発することなく首を横に振られて終わった。猛ダッシュでその場を離れてさ。苦しかったなそれからも。今もまだ少し残ってるもんね。彼女がさ」
このギャル男達は下品に大袈裟に笑うけど、音は不快だけれど、人を馬鹿にしたようには笑わない。単純に面白いという感情だけで笑っている。そこに腹黒い他意は無く素直で自分に正直に生きている印象を受けた。
その軽いノリとほぼ初めましてと近くもない関係が相まって、彼らに対し話しやすくなっていたのかつい失恋の話をしてしまった。そこまで悪い奴らじゃないと感じていた。とは言え、それは彼らの笑ってる姿の極限られた部分に対してだけであり、やはりまだ彼らを成す根本の女性に対しての尊重に欠け、性に対して理性の無い動物的な彼らを、やはり侮蔑の対象としてみていた。
「まじか。それは辛かったな」
リョウが直ぐに笑うのを止め、僕の肩に手を乗せ同情の意を示してくれた。
「なーに大丈夫だ。女は五万といるって。一人の女にそんな固執したって良いことないべ。男を楽しまんと」
「あいつには分からないよな。な。ハル」
「一人の女に縛られる気持ちなんて分かりたくもないわ。沢山の女とヤッてこそ男だろ。男の楽しみだろ。な、ハル」
「それハルに振るな。困らせんじゃないよ。ハルは俺らと違うっつーの」
「うーん。正直その感覚は持ち合わせてないな」
自分なりに感情を抑え、控えめに彼らを牽制する。
「だよな。でもハル、いつまでも過去に縛られるのは勿体ないと思うよ。失恋を乗り越えるには新しい恋だよ。今日そのチャンスが来るかもしんないしさ。気にいった女の子被らなかったら俺らサポートするから。今日楽しむべ」
「そうそう。もし被っても廻そうぜ」
「お前と何人の女で兄弟にならないかんのよ」
そう言って下品に笑い声を響かせお腹を抱えるまで笑っている。
何がそんなに可笑しいのか。
彼らが笑えば笑うほど冷めていく。
二人が笑い終わるまで顔だけの筋肉で工作したタイトル「笑顔」を飾っていた。