第二十六話 涙は流れ星
「流れ星見たら、なに願う?」
優子は最後の一枚のポスターを描く手を止めて、迷惑そうに僕を見た。
「なに、唐突に。そんなのいきなり言われてもわからないよ」
「なにを言っているんだ。流れ星はいきなり流れるんだよ。そんなこと言ってられないよ。さあ、何を願う?」
「ハル君がこの部屋から出て行ってくれるように願います」
優子は両手を顔の前で握り、頭を下げ祈る格好をする。
「願いを叶えよう。って、そうじゃないだろ。僕にも訊いてくれ」
今度は僕が両手を顔の前で合わせて懇願した。
「うわ。自分に訊いてほしいからって人に訊くの鬱陶しいわ。面倒くさ。なんでそんな必死なの」
「よくぞ訊いてくれた」
「僕はさ、牧田先生とまた会えるように願う」
「う、うーん。まあそうだろうね。意外性ないし、まだそこ訊いてないんだけどな」
優子は呆れたようにポスターを描く作業に戻った。
「栞に会った。昨日」
「栞って・・・」
「しーちゃん。優子の部屋に泊まった」
「うそ。会えたの」
「うん。もう結婚していた」
「そうだったんだ。いま、そっちを見つけたんだね」
「そうなんだよね。探してる時に見つからなくて、探していない時に見つかることって他にもあるよね」
「例えば?」
「例えばさ、レンタルビデオとか。借りたい映画を決めて探すと全然見つからないのに、ただぼーっと見てる時とか別の映画探している時に、探してた映画見つけるみたいな」
「うーん。そんな気もしなくもないけど」
気を使ってるのか、単に興味がないのか、いなくなった理由を優子は訊かない。
「でな、それはいいんだけど、最後のほうで一滴、涙零したんだ。その涙が凄く神秘的に見えて、僕にはそれが流れ星に見えたんだ」
「え?なんて?」
優子は、ニヤニヤしながらそう訊き返した。
「うんとね、栞の涙が、流れ星に見えたんだ」
「ねえ、お願い。流れ星ってなんのこと?」
今にも吹き出しそうだ。どうやら涙を流れ星と呼んでいるのを馬鹿にしているのかもしれない。これは真面目に理解してもらわないといけない。
「何かを心から願って流す最初の涙って、流れ星同等の神秘の力があると僕は思ってるんだ」
僕が真面目に答える程、面白さが際立ってしまったのか優子は口を押さえて体を捩らせ堪えているようだ。
「ハル君、それ本気?」
「もちろん。本気だ」
「涙は?」
「流れ星だ」
どっかーんと雷鳴の如く優子は大笑いを始めた。笑い転げる優子。完全に言わされおちょくられている。暫くしてやっと落ち着きを取り戻した優子の目にはうっすら涙が浮かんでいた。
「あー、笑い過ぎてなみ・・・流れ星でた」
わざわざ言い直す所に悪質さが表れている。そうしてまた笑い転げ始めた。ついに、優子の目から一筋の涙が流れ落ちた。優子はその涙を指差し、流れ星、流れ星と訴えてくる。
なんて冒涜だ。その涙が決して流れ星ではないと、首を横に振った。そんなヒーヒーと嘲りの気持ちの果てに流した涙など、流れ星の神秘的な効果を持つことはあり得ない。流れ星の神秘的な効果を持てるのは、
「心が清く、感謝とか誰かの為とかそういう優しい理由だったり、何か自分のことじゃなくて誰かのことを想って心からその人の為に願って流す涙だけが流れ星の神秘的な効果を持つんだ。優子のは失格」
「はあ、まあいいや。もっと定義定めなよ。で、牧田先生に会えるように願ったってことね」
落ち着きを取り戻した時の落差が激しい。
「違うんだ。その時は、栞のこれからが輝くようにって」
「なんだよ。違うじゃん」
「いや、でも牧田先生に会いたいってのはもう常に心の中にあって、言うなれば常に願ってる状態なのよ。電波ずっと出しっぱなし」
「それ、有りなの?」
「うん。たぶん受信してくれたはず」
「流れ星って送信、受信システムなんだ」
「たぶんな」
「なんか、神秘的さに欠けるんだけど」
「で、本当に話したいことは次から話すことなんだけど」
「え、なに?」
まだ本題じゃなかったのとでも、言いたそうな顔だ。
「その涙で思い出したんだ。あの時の牧田先生の涙を」
「あの時って?」
「優子とここのニ階の部屋で牧田先生、一緒にいた時」
「あー、あの時。え、泣いていた?」
「え?泣いてなかった?」
「ううん。あの時、楽譜貰っただけよ。でも他の生徒さん達にはあげられないからこっそりあそこの部屋でって」
「え、それだけ?」
確かに一滴の涙が零れたはずだ。見間違いだったのか。
「うん。でも凄いんだからね。昔牧田先生がコンクールでる時に作った楽譜で、いろんなポイントとか沢山書かれていてとっても貴重なものなんだからね」
「なんでそれくれたんだ?」
「んー確か、部屋整理していたら出てきて、もう使わないからいるならって言われて貰った」
部屋の整理。もしかしたらその時にもう何処かに行くことを決めていたのだろうか。
あーーー。
突然、優子が叫んだ。
「なんだよ急に。びっくりした」
「わたし、それともう一つ貰ってたんだ。あの部屋に置いたまんまだ」
「楽譜?」
「そう。でもなんかなんの楽譜かは聞いてなかったかも。ついでみたいに渡されたから。凄い、よく思い出した。わたし」
「え、じゃあ、いまあんのかな」
「分からない。片山先生が片づけてしまってるかもしれないし」
「ちょっと、気になるな。二階行かない?」
「勝手にはまずいでしょ。片山先生帰ってくるの待とうよ」
片山先生は優子が描きあげたポスターを貼りに自ら出向いている。
僕が試験が近いからという理由で、片山先生が配慮してくれたのだ。帰ってきて、僕が勉強してないと知れば何を言われるだろう。
「その楽譜の曲をマスターすれば現れるとかないかな」
「ロマンテック」
「馬鹿にしないで。結構真面目」
そんな話をしていると、家の前から車の音がした。
「あ、帰ってきたかもよ」
「よし、テキストぺらっ」
テキストを開き、勉強している雰囲気を作り出す。
「ただいまー」
片山先生が帰ってきた。
「おかえりなさい。お勤めご苦労様です」
「ちゃんと、勉強はしたんでしょうね」
「もちろん」
得意気に机に広がるテキストを見せた。
「優子ちゃん、ほんと?」
「いいえ。ずっと、涙は流れ星とかって話してました」
「おい」
「これは、もう罰ね」
「勘弁して下さいよ」
「冗談よ。国家資格近いんでしょ?そっちのが大事よ。本当に勉強しなくていいの?ここで集中できるなら、全然使ってちょうだい」
「先生、甘いー」
「こんなに手伝って貰ってるんだからね。これで落ちたって言われても責任とれないわよ」
どうやら僕をピアノに大きく関わらせてしまったことに少なからず負い目を感じているようだ。
「大丈夫です。資格取れなかったらここで就職します」
片山先生は豪快に笑った。
「何か雇用つくらないとね」
「なんでもします」
また片山先生は豪快に笑った。嬉しそうだ。
「この教室の専属ピアノの調律師になろうかな」
「それじゃ食べていけないわよ。もう、それなら自動車の専門行かないで、そっちの専門行けばよかったのに」
「そんなことあの頃の僕の選択肢に一切なかったですもん」
「子供の内にいろんな経験させて、選択肢を持たせることは大切ね」
「その通りだと思います」
「あ、片山先生、二階の部屋入っていいですか?」
ポスターを描き終えた、優子が訊く。
「二階?いいけど、何処の部屋?」
「奥の部屋です。一度、入らせて貰ったことあるんですけど」
「ああ、いいわよ。どうしたの?」
「そこに牧田先生から渡された楽譜置きっぱなしにしてて、それまだあるかなって探したくて」
「あーそういうこと。多分あんまり入らない部屋だからそのままあると思うけど」
「ありがとうございます」
さりげなく優子の後をついて行く。
「なんであなたもついて行くの」
片山先生に突っ込まれる。
「なんかその楽譜気になっちゃって」
「なんか、その楽譜をピアノで弾けば牧田先生に会えるんじゃないかって思っているそうです」
優子の言葉にまた豪快に笑った片山先生は、笑いながら行きなとジェスチャーを見せた。その部屋は確かにあの時と変わってる印象はなく、あの頃のままと言われればそうだろうと思える範囲の状態だった。そもそもその変化に気づけるほど見ていないし、記憶も怪しい。
優子が記憶を頼りに探している。
「あれ、やっぱ無いかも」
「まじか。なんかきっかけになりそうな感じしたのにな」
うーんと、優子は記憶を遡り自分の行動を再現しているようだ。家具は椅子と机くらいで、後他は、段ボールで埋まっている。中には書籍や衣服そういったものが入っている。
物置見たいな部屋として使われているようだ。
「なんかこの段ボールのどっかに紛れてたらもう分かんないよね」
「うーん。いやもしかしたら、持って帰ったのかな」
記憶が錯綜している。
「何処に置いたつもりだったの」
「ここ」
優子が指示した場所は机の上だった。
「え、そんな分かりやすいところだったら、片山先生知ってるんじゃないかな」
「そうかな」
「ちょっともう一回訊いてくるよ」
「あ、これあれじゃない?さっきの原則を適用させる時なんじゃないの?」
「さっきのって?」
「自分で言ってたじゃない。探し物は探さないで見つかるって」
「なんかそれだいぶ変わってるよ」
「でもそれなんじゃない」
「て、ことはこの場合楽譜を探さないで、別の物探したらいいのか」
「なんかもう、この原則既に破綻してる気がする」
「そして僕は、この教室で働けるように別の雇用を探すことにします」
「んーなんか無理やり」
「そうと決まれば一旦、片山先生に訊きこもう」
「いま、真面目なの」
「もちろん」
はあと、優子が溜息を大きくついた。
「わたしはもうちょっとここ探しているわ」
「わかった。じゃあ僕は片山先生に訊いてくる」
そう言って部屋から出ようとすると、片山先生が段ボールを持って部屋の前にいた。
「うわ、どうしたんですか」
「ごめんね。そういえばこの部屋の牧田先生が置いていったもの別の段ボールに集めてたんだったわ。この中にないかしら」
顔を優子と見合わせた。
「ちょっと見させていただきます」
優子が中の物を次々と出してくる。ケータイの充電器やリップ、筆記用具、ピアノの書籍が数冊、あとは薄手のパーカーやカーディガンといった衣服まである。その一つ一つを調べるも手掛かりになりそうな物は無い。
優子があっと、声を上げた。
「あった?」
「あった」
優子の声が響く。
「まじ。よかった。ほら、あの原則だ」
「いや、なんか違う気がするけど」
「なんの楽譜だった?」
ちょっと待ってと、優子は茶封筒から楽譜を取りだした。
「これは・・・」
「チャイコフスキーじゃない。くるみ割り人形に眠れる森の美女ね」
「僕でも知ってるやつっすね」
「なんでわたしにこれ、渡したんだろう」
「これ僕弾けますかね」
んーと、片山先生は楽譜を見ながら顔を顰める。
「この前の演奏があったからね、無理とは言わないけど、この楽譜自体が上級者向けだから、時間はかかるかもね」
「これは、僕も片山ピアノ教室に入らなければなりませんね」
「嬉しいんだけど、まず本当に勉強は大丈夫なの?」
「あ、そうだった。まずはそっちやらないとですね」
「本当、責任負えないからね」
段々、本当に責任を気にしたのか、その言葉に力が入っている。どうやらここに就職は厳しそうだ。
「チャイコフスキーのバレエ曲。わたしになんでこの楽譜なんだろう」
「全然思い当たることないの?」
「うーん、そんな話をした覚えはないんだけど」
「これ、なんで白鳥の湖は無いのかしらね」
そうぽつり、片山先生が言った
「白鳥の湖?」
「あなたチャイコフスキーで、くるみ割り人形、眠れる森の美女ときたら白鳥の湖も無きゃ気持ち悪いでしょう」
「あー確かに」
優子が同調し僕を見た。白鳥の湖。
何か引っかかるものを感じた。




