第二十五話 見つけた、暇乞い
来てしまった。すごく迷ったけど。今でもまだ、迷っているが。
もときから最後に教えてもらった情報は、僕を酷く動揺させた。
教えて貰えて良かったのか、はたまた迷惑だったのか、今の僕には分からない。もうすぐに迫っている試験の勉強に全く集中できなくなったから、迷惑だったのかもしれない。
栞の場所、分かったぞ。
それを聞かされた時の感情は、説明しにくい。安堵なのか、怒りなのか。
隣町に引っ越していて、その町のファストフード店と、ファミリーレストランを掛け持ちして働いているらしい。もときと、共通の知り合いが、たまたま立ち寄ったファミレスで発見したという。
元気にしているみたいだぞ。
それなら良かったと素直に思った。だから、会いに行かなくてもいいと、自分に言い聞かせた。
元気にしているならいいじゃないか。今更、僕が会いに行って何を求める。何を話す。不思議だな。あんなに栞を求めて探していたんだけどな。その時は、見つからないで、違う人を探している時に、見つかるなんて。
栞が働いているというファミリーレストランの駐車場まで来て、自分の意思が定まらない。もし、僕が現れたら栞は困るだろうか。
困らせらたくはない。
それでも、ここでこのまま帰ったら後悔するだろう。勉強にも集中できず試験にも落ちるだろう。探していた人を、それはもうかつてとついてしまうけど、見つけて、どうして何も言わず僕の元から消え去ったのか理由を知ることは、これからにプラスに働くと思った。別にまた、あの頃に戻りたいわけではない。
緊張しながらやっと店内に入る。この時間のホールは、一人らしい。もし栞が、今日も働いていたならここで確実に会える。
「いらっしゃいませ・・・」
情報通りそこに現れたのは、栞だった
「久し振り。覚えてる?」
呆気ない再会に、久し振りの感動が自分で思ったより表せない。
「うそ。なんで」
栞はその場に立ち尽くし、驚いた表情を浮かべている。
「ごめん。急に。もときからここで働いていること聞いて来た」
困惑したような表情のまま頷く。
「いや、もし迷惑だったらこのまま帰る。ただ、あの時のこと訊けたらと思って。元気にしてるって聞いてたから、それならいいなって思ってたんだけどさ。やっぱ、気になっちゃって。ごめん。仕事中に。やっぱ、迷惑だよね。今更。ごめん」
栞の困惑した表情を目の前にすると、大変迷惑なことをしてしまっていると、申しわけなくなって慌てて言葉を紡ぐ。そのまま耐えられず、じゃあと、店を出ようとした。
「待って。あと、一時間で終わる。もし、待っててくれるなら・・・」
「ほんと?ごめん、なんか。ありがとう」
「そんなに謝らないでよ。本当に驚いて頭真っ白になった」
「ごめん。あっ、いや、うん」
栞が笑った。
その笑顔に安心して、懐かしくて、込上げてくるものを我慢した。
「え、違うところで待つ?食べてく?」
外に右半身が出ている状態の僕に、そう訊いた。
「じゃあ、せっかくだから食べてこうかな」
「うん。じゃあ、煙草吸わなかったよね」
そう言って、禁煙席へ案内しようとする栞。
笑みを浮かべていると「え、今は吸ってるの?」と、訊いてきた。
「ううん。吸ってないよ」
「なんだ。びっくりした。何も言わないから、吸ってるかと思った」
禁煙席に案内され席に着く。形式上、メニューのオーダー方法や注意事項を案内され「また」と、戻って行った。
良かった。本当に元気そうだ。
些細なことだけど、煙草を吸わないことを覚えてくれていて嬉しかった。緊張から解放されて食欲の抑制も解かれた。
ピンポーン
メニューが決まりボタンを押す。押す前から栞はメニューが決まったことを察知し向かって来てくれていた。
「ガーリックステーキのライスセット」
「ライスは普通でいい?」
「あ、じゃあ、大盛りで」
「ふふ。食べるねー」
「緊張から解かれたからね」
「ふふ、じゃあちょっと待っててね」
他に客は疎らであったが、閉め作業があるのか栞はテキパキ作業している。そんな、栞の様子を密かに見る。
あっ、思わず声を上げそうになる。
栞の左手の決定的な印に気付いてしまった。
食べ終えて、お会計を済ませ車で待ってることを告げた。
「わかった。もう少しかかるけど大丈夫?」
「全然。待ってる」
そう言って、店から出た。
結婚しているのか。
少し、複雑な気持ちになった。
車の中で待って暫くすると、仕事を終えた栞がこちらに歩いて来るのが見えた。車の中から手を振ると、それに気づき小走りでやってくる。助手席のほうに近づき開けていい?と、ジェスチャーをする。
どうぞと、手でドアを開けるように促した。
「ごめん。お待たせして」
「全然だよ。お疲れ様」
「ふふ。お疲れ様」
「乗っていいよ」
「お邪魔します」
「どうしようか。ここ大丈夫?」
「あ、いや、ここチェーンかかっちゃうから移動したほうがいいかも」
「そうか。何処行こうか。あ、ご飯食べた?」
「あ、食べてないけど、大丈夫。帰ってから食べる」
「了解。じゃあ、適当に走らせるか」
車を走らせていると、栞が笑った。
「ほんとびっくりしたんだから。今でもなんか不思議な感じ」
「ごめん。驚かすつもりはなかったけど、まあ、でも驚くと思った。てか、寧ろ本当に会えてこっちが驚いた」
「あ、あそこの信号左に曲がって、少し行ったら休憩スペースみたいな所あるからそこに行きましょ」
「りょーかい。詳しいね」
「よく通るからね」
一緒の空間にいることが、信じられない。本当に不思議な感じだ。言われたとおりに車を走らせると、栞の言うように休憩スペースが見えてきた。長距離トラックの休憩場所として利用されているようで、トラックが既に何台か止まっていた。
「じゃあ、ここら辺で」
中に入ると、トラックで見えなかったが、同じように車内で話している人達が何組かいるようだった。
「結構、話している人達いるんだね」
「あ、そうかも。無料で止められるから結構使う人たちは多いかも。車内でコソコソするからよく、パトカー見周りにもくる」
「へえ、そうなんだ。あれ?いま、一九歳?」
「そうそう」
「大丈夫よね?」
「なんでさ。大丈夫よ」
「未成年どうたらこうたら、引っかからないよね」
「よくわかんないけど十九は全然大丈夫でしょ。あんま歳、変わらないでしょ」
「はははっ、そうだけど」
そこで、用意されていたように沈黙が訪れた。
フランスでは沈黙が訪れた時、「天使が通った」って言うんだ。デートで使えるようにと、本を沢山読んで得た沈黙になってしまった時の使える知識を披露しようとした。
「ごめんね」
天使のような声が車内にふわっと浮かんだ。
「いや、いいんだ。本当に今日会いに行こうかめちゃくちゃ悩んでさ。駐車場きてからも車から出るまでどれだけ時間かかったか。元気そうで安心した。正直、なんであの時何も言わずにいなくなってしまったか訊こうと思ってたんだけど、なんか訊けなくてもいいかなって思えてる」
「はーくんらしいね」
懐かしい呼び名だ。
「結婚してるんだな」
栞は笑って、左手の薬指に嵌まってる指輪を触った。
「気づいてたんだ」
「うん。おめでとう」
「ありがとう」
そこでまた沈黙がやってきた。今度は「天使が」と、言おうか考える余裕もなく言葉を紡いで沈黙を追いやった。
「もときも結婚するんだよ」
「え、あのクソチャラ男が?」
「言いかた。でもそう。びっくりだよね」
「あんまよく彼のこと分からないけどずっと、遊んでるイメージ」
「いやさ、そうなんだよ。僕もあれ以来、会うこともなかったんだけどさ、この前学校で話す機会あってさ。そこで教えてくれたんだけど、もう別人みたいに落ち着いてた」
「うそー。そんなことあるんだね」
栞が何か話そうと悩んでる様子が分かるから。僕はそれが怖いのか関係ない話しで誤魔化している。訊きたいと言っていたのに本当は訊きたくないのだ。栞も、もときの話に返してくれるけど、心が無いようだ。
「そうなんだよね」
心の無い返事をさせることを知っていて話すのも辛い。意味もなく同調の言葉を発すると、三回目の沈黙がやってきてしまった。
僕のスタミナ切れによる戦意喪失で、沈黙が勝利を収めた。この沈黙は、栞からこれまでの経緯を話す勇気を与えるだろう。
僕はもうそれを邪魔しない。
「ごめんね」
もう一度栞はそう謝った。声が震えている。
「はーくんがあの頃のまま優しいから、凄く辛い」
沈黙が、合いの手だ。
「わたしのお父さんがさ・・・」
そこで言葉に詰まる。
「捕まっていたんだよね?」
「知ってたの?」
「ごめん。聞いた」
「ううん。知っててくれたほうがよかった」
「伯母さんに面倒見て貰っていたんだよね」
こくりと頷いた。
「はーくんと出会って付き合った年に、出所が元々決まってて。でも、わたしはずっともう父はいないもんだと思うようにして生きてきたの。今思うとそれって大好きな感情が、そうさせていたんだと思う。たった一人の肉親が突然いなくなってしまったから、そう思わないとやっていけなかったんだと思う。一種の防衛本能みたいな」
沈黙が間を保つ。辛い過去を話させてしまっている。辛そうな栞を見ているのは苦しかったが、今、もう話さなくていいと止めるのは違う気がした。栞は、頑張って話そうとしているんだ。
「帰ってきた父と話している自分が、全く想像できなくて、父が帰ってくるということが、恐怖に感じてて、そんな時にあの合コンに誘われて。いつもは合コンとかは断っていたんだけど、気を紛らわせたくて。でも、やっぱ行ってみたら全然楽しくなくて、すぐ後悔した。でも、ここからありがとうの話し」
栞が薄く笑う。
「耐えられなくなってその場を出たの。そしたらね、走って追いかけてくれた人がいたの。誰だと思う?」
「いや、それ僕だよ」
「せいかーい。なんか一生懸命話してきてね、牛丼奢ってくれた」
「はは。そうだったね」
「まず、そこありがとうでしょ」
「いや、牛丼の話はいいよ」
「だめ、大事なの。で、そこから話していって嫌な場所に行ってしまってイライラしていたのにいつの間にか、なんか安心してて。その合コンでのイライラだけじゃなくて、いつも悩みの種だった父のことも忘れて安心してたの。それに気づいた時に、もうこの人しかいないって。今のわたしを助けてくれるのは、この人だって」
「ほんと急展開だったもんな」
「ニ個目。告白してくれて付き合ってくれてありがとう」
「なんか、ちょっと・・・」
そう一つ一つ思い出していくと込上げてくるものがある。
「でね、それからの日々は本当に楽しかった。大袈裟じゃなく人生で一番楽しかった。一番心が安定していた時だと思う。なんでだと思う?なんでわたしそう感じれたと思う?」
僕の嗚咽する声が車内に蔓延する。
栞も泣いていた。
「それ・・・訊くなよ・・・」
ちゃんと聞こえたかは分からない。涙でぐちゃぐちゃな声しかでない。
「三つ目、好きでいてくれて、愛してくれてありがとう」
栞も言葉が涙で濡れていた。
一頻り泣いて、栞が次はと呟いた。
「次は、ごめんなさいの話し」
ちょっと待ってと話を遮り、栞にダッシュボードを開けて貰った。そこに入ってるポケットティッシュを取って、数枚引き抜いた。そして、残りを栞に渡した。
二人同時に洟をかむ。
なんだこれと、二人は笑う。
じゃあ、どうぞと話の続きを促す。
うんと頷き、話し始める。
「わたしが学校さぼって、海に行きたいってわがまま聞いてくれた時、あの日もう去るって決めていました」
あのねと、下を俯きながら言葉を繋いだ。
「最初は父から逃げる為に安心を与えてくれたはーくんの傍にいた。そして、このまま将来はーくんのお嫁さんになれたらって思っていたんだよ。わたしね、そうやって将来のこと思ったこと初めてで、浮かれていたんだと思う」
「浮かれていたって?」
「将来を考えることは、自然と自分に向き合わせてくれて、そうしたら、そうしたらね段々と自分の気持ちに気づいていったというか、このまま父を見捨てて、考えないようにして生きていくのは良くないなって思って」
ふうーっと、息を吐く音がする。
「はーくんが、わたしをちゃんと真っすぐ想って大切にしてくれてから、ちゃんと自分のこと向き合えたんだよ」
向き合えたことによって、栞に新しい価値観と選択肢をもたらしてくれたようだ。
「はーくんとの将来を考えれば考える程、父のことがもう無視できなくなって。父にとっては、わたししかいないし。なんだかんだお母さんが死んじゃってから、頑張って育ててくれてたから。そういうことがどんどん見えてきて。それで・・・ごめん。なんか上手く言えないけど」
「ううん。話してくれて嬉しいよ。なんだろ。嫌な訊き方になってしまうかもしんないけど、父を迎えいれながらも、僕と続けることは考えなかったのかなって」
「考えたよ。もちろん。本当にそれよね。けど、あの頃のわたしは、何か迷惑がはーくんにいかないか心配になって。はーくんが夢見る将来を壊してしまうんじゃないかってそれが、今度は不安になってて。わたしたちと関わったことによって、はーくんが歩めたはずの幸せな将来が無くなってしまうんじゃないかって。そんな考えがどんどん出て来たの。今でも纏まった考えとは言えないくらいだから、当時は本当に色んな気持ちが錯乱してて、話す自信も勇気もなくて、何も言わずに去る形になっちゃて・・・ごめんなさい」
「そんなこと・・・」
「普通の父だったらとか、この気持ちをあの時、はーくんに話せていたらとか考えたらキリがないけど、あの時のわたしがあの時の全てだった。なんで、父とはーくんどっちかって思ってしまっていたんだろうな」
「そうだね。なんか聞いてて思い出したことあるんだけど、幸せ未来トーク覚えてる?もしかしたらそれがさ、なんか理想を強要してしまってて、圧力かけてしまっていたんじゃないかって思うよ」
「まさか。覚えてるよ。その話するの好きだったよ」
「僕もさ、後悔したんだよ。栞がいなくなった朝、これからも当たり前にいてくれるって思ってたから、あ、ごめんね責めてるわけじゃないからね。その、なんか自分のことばかり考えていたんだなって。結局。栞がそんなに思い詰めていたことも、今の今知ったし、あの時、少しでも栞のこと気にかけていたら違ってたんじゃないかって思う。まあ、これもキリがないんだけどね」
「でも、凄い迷ったの。去ることを決めて行った海が楽しすぎて、印象的すぎて。あの日が今までで完璧なデートだったと思う。そして、これからも」
「いやいやいや。嬉しいけど。旦那いるんでしょうに」
「ふふ。彼も素敵な人よ。はーくんみたいに優しい人」
「良い人に出会えてて、本当に良かった」
「そういうこと言えるの凄いよね」
「え?なんでさ。そう思うよ。心から」
「はーくんの家族も好きだった。本当に優しいお母さんと妹さん」
「全然だよ」
「あ、でもその優しい家族と知って尚更、、去る決意強めたかもしれない」
「きっと、そうだろうね」
「そうそう。上手く伝わったか分からないけど、あの頃のわたしはそういうことでした。勇気を持てず、何も言わずに去って本当にごめんなさい」
「全然だよ。僕にも責任はある」
「はーくんに会えてよかった」
「僕もだよ」
「はーくん」
「ん?」
「愛をありがとう。分かったのがね愛を貰うと愛を必要な人に気づけて、愛を伝えたくなるの」
「なんんだそれ。素敵だな。愛の連鎖」
「そう。父もいま社会に復帰して、一から頑張ってくれてるの。それは今の彼のおかげなんだけど。こんな未来があるってこと全然想像できなかったよ。はーくんがくれたものだと思ってる」
「いやいやいや、そんなことは・・・」
「いやいやいやじゃないの。大袈裟でもないし本当に真面目にはーくんはわたしの人生に大きな良い影響をくれたんだよ。これ、はーくんが自分で思っている以上に凄いことをしているからね。それに気づいたほうがいい」
「なんだよ。それ。照れくさいな。とにかく栞、幸せにな。それだけを願ってるから」
「はーくんもね」
「おう。ありがとう」
栞のケータイが着信を知らせる。
「あ、彼からかも」
「まじか。時間ごめん。近くまで送るよ」
「ありがとう。さっきのファミレスのとこまで乗せてくれる?」
「もちろん。じゃあ行きますか」
「ありがとう。はーくん」
「なんもだ。話せて良かった。話してくれてありがとう。ほんと。勇気出して会いにきて良かった」
「ほんとね。はーくん。今日もだけど・・・」
声が上ずる、栞を見た。
「あの時、走って追いかけてきてくれて・・・」
ありがとう。
一滴流れる栞の涙を見た。
僕の、初めての別れ話だった。




