第二十四話 手掛かり
弾き終わった参加者が通される部屋は、また別にあった。扉を開くと、母と父と優子そして、片山先生がいた。皆、大きな笑顔と、拍手で迎えてくれた。
「本当にお疲れ様」
そう言って、片山先生から大きな花束を渡された。
「びっくりです。こんな花束貰ったの生まれて初めてです」
「あら、初めてが私でよかったかしら」
先生ったらと、母を筆頭に笑いに包まれる。
「本当に素晴らしい演奏だったわよ。型にはまらないあなたの月の光だったわ」
「もう、無我夢中でよく演奏中のこと覚えてないです」
「ふふ。最初はそういうものよ。これであなたもピアニストの仲間入りね」
「そんな、ピアニストだなんて、恐れ多いです」
花束を持つ手が今になって震えている。なんの震えなのかわからない。ただ、自分の力以上のものがでたのは間違いない。
「ハル君、凄かったよ」
「ありがとう。ほんと今でも信じられないんだ。自分じゃなかったみたい」
「ビショビショーマンになったか?」
いやだ、お父さんったら。そう言って、母と片山先生は笑っている。
「優子、牧田先生捜すよ。多分、待ってちゃいけないんだ。演奏する前に牧田先生の声が聞こえてさ。覚えてるかな。前に、車で牧田先生が好きな男のタイプを話した時。その時の、牧田先生の声が聞こえた」
「なんて言ってたっけ?」
「いつも傍にいてくれる安心感がある人って。だから僕が見つけないと。そう思ったんだ」
「それ、なんか凄いね。わたしも手伝うよ」
トントンと肩を叩かれた。振り向くと片山先生だった。
「牧田先生を想って弾いたのよね」
「そうです」
「あれは、告白ね」
「え、いや」
分かりやすく戸惑う僕に、笑顔を見せ何も言わず、うんうんと頷かれた。
届くかな。牧田先生に。
コンクールから数日経っても、あの時の自分は、本当に自分だったのかそう思ってしまう。弾いてる最中は、記憶が無く覚えていない。
演奏中ずっと、牧田先生のことを思い浮かべていた。目を閉じればそこにいて、指は勝手に動いた。
「ピアノは嘘をつけない楽器なの」
片山先生は、そう言って続ける。
「作曲家は何かしらの気持ちを背景に誰かに伝える為に曲を作るから、残された曲の裏には、必ず気持ちがあるの。その気持ちを忠実に正確に表現することがピアノには出来るのだけど、あなたはその作曲家の気持ちを無視して自分の気持ちを上書きしたわね」
片山先生が、僕の演奏の様子をビデオで録画していてくれた。それを観に今日は来ていた。
「コンクール向きではないですね」
「そうね。でも、分かる人には分かるし、届く人には届くと思うわ。一概に不向きとも言えないわよ。どう?ピアノ続けない?」
確かにこのままピアノを辞めてしまうのは勿体ないような気がした。
「趣味程度にやり続けます」
「ふふ。それでもいいわ」
「と、いうか片山先生騙しましたよね?ちゃんとしたコンクールだったじゃないですか」
「ごめんごめん。まさかあんなに認知されているとは、わたしも知らなかったのよ」
ほんとうですかと、疑いの目を向ける。
「せんせーい、こんな感じでどうですか?」
優子が片山先生を呼んで見て貰っているのは、片山ピアノ教室の宣伝ポスターだ。優子は、コンクールで見事入賞を果たした。それを好機と見た片山先生は、優子の写真と功績を大々的に載せたポスターをこっそり作成していた。流石に優子はそのポスターの使用を断固拒否した。悲しむ片山先生に優子は手書きでオリジナルポスターの製作を買って出たのである。
「うーん。まあ、いいわ」
あからさまに不満そうな片山先生に、笑ってしまう。
「ちょっと、せっかく作ったのに。もういいもん。破る」
優子が拗ねて破る仕草をすると、片山先生は慌ててそれを止めた。
「うそよ、うそ。作ってくれてありがとうね。素敵よ」
優子が作成したポスターは、黒の画用紙に白のマジックで紙面の中央にピアノが描かれ、そして必要最低限の情報が書かれただけだった。芸術的に上手いというわけではないが、味のあるイラストとその配色が目を惹く魅力があるポスターだ。
「じゃあ、これをあと十枚作って、馴染みのとこに貼ってもらうわよ」
「え、そんなに作らないといけないの?」
「そうよ。さ、描いて描いて」
「人使い荒いんだから」
優子がぶつくさ文句を言いながらも、なんだかんだ楽しそうだ。
「お兄さんは、馴染みの所、回ってちょうだい」
「え、僕もっすか」
「当たり前じゃない」
確かに僕の場合は、月賦も払わずタダでこの教室を使わせてくれたり教えてくれた恩がある。なんだかんだコンクールに誘ってくれたおかげで、望んで目指さないと経験できない経験をさせて貰えた。そして、そのおかげで牧田先生を待つのではなく、見つけると思えた。きっと、あのままだったら、女々しく溜息をついて空を見ながら、牧田先生を想っている自分にその場で酔っていただけだろう。
「はい、じゃあ今日は・・・、優子ちゃんもうそれ出来る?」
「もう少し」
「じゃあ、今日は取り合えず、あれ出来たらこれと合わせて二枚貼ってきてくれる?」
そうして馴染みの店である場所の住所が書かれた地図とメモを渡された。どちらも近所なので地図がなくても場所が分かった。
「了解です」
優子から出来たてのポスターを受取り車へ向かう。
行先は、近所の昔からある夫婦で営んでる理髪店と、地元の小さいスーパーの二軒だ。ちゃんと近い住所で固めてくれている。どちらも小さい頃、行ったことがある。
最後に行ってからどれくらい振りだろう。最初に理髪店を訪れた。店内は海外の小物や人形、像が沢山置いてある。そこは昔から変わっていない。いや、昔より増えている気がする。小さい頃は、インドの像が怖くて泣いていたことを、思い出した。
「おお、久しぶりだな」
面影を残したまま、白髪になったオーナーが床を掃いていた。
「お久しぶりです。あの、今日は片山ピアノ教室のポスターを貼らさせて頂きたくお伺いしたんですけど」
「おう、いいぞ。どこでも」
「ありがとうございます。あの、僕を切ってくれてた奥さんは?」
「かみさんか、あいつは三年前亡くなったんだ。病気でな」
全く知らなかった。何て声をかけていいか分からない
「そんな。申しわけないです」
「いいんだよ。お兄ちゃんのほうもピアノ弾いてたんだな。知らなかったよ。妹のほうは弾いてるのなんとなく知っていたけどよ」
「ご覧なられていたんですね。まあ、僕は全然素人で多分コンクールは最初で最後です」
「なんでよ。勿体ないな。凄い良かったぞ」
「そんなそんな、恐縮です」
「じゃあ、ここいいぞ。目立つとこ」
そう言って、入って真正面の目立つ場所をわざわざ空けてくれた。
「え、ここいいんですか?」
「ああ、いいぞ。こんくらいの所に貼らないと片山のボスに後から、どうせ文句言われるからな」
そう言って笑った。皺が年を感じさせた。
レジが置いてあるスペースにお邪魔し早速、ポスターを貼らせてもらう。ふと、レジの横の写真が目に入った。
「これって・・・」
「ああ、これか。かみさんと最後に東南アジアに旅行に行った時のでな。観覧車からみた夕日が綺麗で思わず撮った写真なんだ。実際のほうが何倍も綺麗だったぞ」
この写真は楽譜の中に挟まれていた二枚の夕日の写真の一枚に似ていた。あれも何か乗り物の中から撮られたような写真だった。
「この写真撮っていいですか?」
「え?」
「この写真を写真に撮らせてください」
「おお、おかしなことを言うな。別に、それでいいなら構わんよ」
「ありがとうございます」
あの写真の場所が分かったからと言って何が分かるわけではないけど、何も分からないより分かったほうが、次の何処かに繋がるかもしれない。
二枚目も近くの小さいスーパーにすぐ貼らせてもらい、急いでピアノ教室に戻った。
「おかえり。良い場所に貼らせて貰ったかい?」
「ええ、ばっちりです」
「お腹空いた。かえろー」
優子が甘えた声を出す。ポスターを既に数枚新しいのを描き上げていた。
「残りはまた次描くね」
「ありがとうね。お疲れ様。また、宜しくね」
そう言って、小さい袋を優子に握らせた。
「やったー。お菓子だ」
「今日はよく働いて貰ったからね」
「ありがとうー。片山先生大好き」
「おいおい、お菓子で買収されるなんて安上がりな」
「優子ちゃん、お兄ちゃんにはあげなくていいからね」
「わかりました。あげません」
「そういう時だけ、素直に聞くなよ」
それではと、外に出たところでそっと片山先生が小さな袋を渡してくれた。片山先生を見ると、満面の笑みを浮かべている。この人は誰からも慕われる人だろう。そう思った。
僕は自動車の専門学生だ。あと二ヶ月も無い内に卒業をする。卒業式の前に自動車整備士二級の国家資格の試験があった。忘れていたわけではない。けど、ピアノに全てを捧げてきた僕は、国家資格取得の為に時間を費やさなかった。心の弱い僕は、その日が来ることを考えないようにした。しかし、その日は無くならずむしろどんどん存在感を大きくした。
どのカレンダーを見てもその日はあるのだ。ついに、観念して勉強に着手した。試験日二週間前のことである。
家に帰ってしまうと、誘惑が多く勉強に手がつかないことが予想された為、この頃は、学校に残って勉強をすることが多くなっていた。
この日も図書室で勉強をしていた。隣に気配を感じ見るとニヤリと笑う、もときだった。
「うえっ、久し振り」
「久し振りじゃーん。元気?」
「元気だよ。どうしたの?」
「最近図書室で勉強頑張ってるだろ。前見かけてよ。今日もいるかなって思って寄ってみた」
「まじか。全然学校で会わなかったね」
「学校ほとんど無いようなもんだったからな。ノリ悪くなって遊ばんくなったしな」
「ああ、まあね」
「で、なんで焦って勉強してんのよ?俺でも多分余裕ぜ?」
「いやさ、全然勉強してなかったんだよ」
「はあ?どういうことだよ。俺らと遊ばんくなってなんで勉強してないんだよ」
「いやあ、ちょっとさ」
「女か?」
「いや、うーん、いやー」
「なんだよ。言えよ」
面倒くさかったが言わないと終わらなさそうだったので、消えた想い人を見つけるためにピアノを練習し、コンクールに出たことを手短に話した。
「なにそれ?超すげーじゃん。映画だよ」
「そんなんじゃないんだよ」
「お前はなんかずっと女探してるよな」
「いや、それな。自分でもそう思う。でも、ちょっと聞こえ悪いのが気になるな」
「うはは。お前はほんと一直線だな。変わってなくてなんか安心したわ」
「もとき、なんか前より話しやすくない?」
「うはは。しらねーよ。あー、でもちょっと変わったかもな」
「なんかあったの?」
「まあなー。実はさ俺も女遊び控えてんだよ」
「まさか。合コンキングだったのに?」
「そう。自分でもびっくりなんだよ」
「なしたの?女?ついに本気の女に出会ったの?」
「まあ、そんなとこだ」
「まじ?凄いじゃん。よかったね。なんか変な感じだけど、なんか嬉しいな」
「なんか多いよ。てかさ、あずさって子、覚えてない?」
「え、あずさ?・・・いや、ごめん。わかんない」
「まあ、そうだよな。お前さ、リョウとよくつるんでた時、結構女と遊んでたろ?」
「あ、うーん、まあ・・・」
「そうだよな。そんな反応になるよな。お前女の子とそういうとこ行って、指一本も触れずに説教してたんだろ?」
「え。なんで」
「まじクレーム入ったからな。説教されてほんと面倒くさい男連れてこないでって」
「まじ?狭い世界だな」
「俺たちが広いんだよ。まあリョウとつるんで遊んでた子なら確実に遅かれ早かれ俺も遊ぶよ」
「ああ、そうか」
「ある時凄かったぞ。五人呼んでその内の三人がお前に説教されたって言うんだよ。リョウと大爆笑したよ」
「なんか、迷惑かけてたんだな。正直さ、今だから言うけど、栞が居なくなってリョウとつるんでたのも、もしかしたらどっかで栞とつながるんじゃないかって。でも気持ちは本当に荒んでて遊び人のように女をみようと頑張ってた時期ではあるけどな」
「遊び人のように女をみれるように頑張ってた時期って笑えるわ」
「こっちは大真面目だからな。一時の関係でいいとか、肌の温もりだけがほしいとか、自分の都合に当てはめて女性に接していこうとしてた」
「まじ笑える。無理してたんだな」
「無理だったね」
「なるほどね。まあ、でもそれがおまえらしいよ。でさ、話し変わるけど俺さ結婚しようと思ってるんだ」
「へ?」
「うはは。まあ驚くよな。そのあずさってのと、結婚する」
「びっくり。もとき結婚って言葉が、発せられるなんて。一体どんな家庭を作るのやら」
「だろ?俺もじぶんで驚いてる。子供にはパパやママじゃなくて下の名前で呼ばすんだ」
「あ、でた。そういう感じね」
「なんだ?文句あんのか?まあ、とにかくそのことお前に伝えたくて機会探してたんだ」
「え?なんでわざわざ?」
「確かにそこまで仲良いってわけじゃないと思うけど、そのあずさってのがお前に説教された内の一人なんだよ」
「えー、まじ?なにこの展開」
「ほんとだよな。なんか自分を大切にとかどうとか言ったんだってな。内容はよく教えてくれなかったけど、お前が話してくれたことがずっと残ってたんだって。それで考え方とか改めたんだって。お前それ凄いよな」
「いや、全然思い出せなくて、ほんとに僕のことか疑わしいよ」
「馬鹿かそんなこと言う奴、お前くらいしかいないわ」
そこで、もときはリュックからノートを取り出した。
「困ってんなら、これ使えよ。試験対策のプリントとか過去問、板書一通りあるから」
「え。まじ。凄い助かる。ありがとう」
「礼を言うのはこっちのほうだ。お前のおかげで自信持ったあずさのそこに、本当の愛を教えてもらったもんだからさ」
「本当の愛」
柄にもない臭い言葉に笑ってしまう。
「ふざけんな。馬鹿にしやがって。お前が遊び人じゃなくてよかったよ。健康な男か心配だけどな」
「うるさいわ。健康だわ」
そう言って二人は、笑った。
「じゃあ、俺行くわ。あ、四月から自動車ディーラーに就職決まったから、車買う時は言えよ。なんかサービスするよ」
「まじか。なんか着々だな」
「お前も頑張れよ。またな」
「おう、ありがとう」
リュックを背負って出口に向かうもとき。婚約していて、就職も決まって。上手くやっていて、なんだか嬉しい。もときは案外良い夫、パパになっていきそうだ。それを想像したら幸せな気持ちになった。
「あ、そうだ。もう一つ言っておくことあった」
出口付近でもときは、振り向いて言った。
「しー、ここ図書室だから」
「誰もいねーべ。その、もう、お前には必要ないかもしんないけどさ・・・」
その日はもう、勉強は手につかなかった。




