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曲を奏でる無人のピアノ   作者: 志民 晃一
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第十四話 手の中の恋の種

「さて、どれにしましょうか」

 最後の曲が終わるや否やそう言って楽しそうに僕の顔を窺う。

「んー。二番目と四番目ので迷っています」

 ピアノの先生になってくれるとまさかの承諾を頂いたその翌日に、牧田先生は早速候補の曲をいくつか選曲してきてくれた。今日はそこから実際にどの曲にするか選ぶ、選考会が開かれたいた。音楽に、しかもクラシックになると尚更疎いが、僕の為に牧田先生が、こうして時間を割いてくれていることに負い目を感じ、睡魔と闘いながら最後までしっかり聴いた。恐らく芸術性に溢れているとか、音楽的に優れているとかあるのだろうけど、僕は無知で感性が無いので退屈に思える曲も正直な話し何曲かあった。しかし、耳にしたことのある曲も何曲かあった。

 一曲一曲が長く全部を聴き終えたときには、優に一時間を超えていた。

 感性の無さが祟ってどれも同じに聴こえて選考に苦慮したが、振り絞るように出だし一分で印象に残った曲を候補として牧田先生に伝えた。

「ごめんね。もっと絞ってこればよかったんだけどね。二番目と四番目ってどれだったかな」

 タブレットを操作して遡る牧田先生。多分十曲くらい聴かされただろう。

 連続で聴かされていたので、後半に聴かされた曲達の区切りの認識が違うかもしれない。違う曲と区切った曲が実は一緒の曲で、一緒の曲と纏めた曲が実は違う曲になっていたかもしれない。

 後半はその区切りに自身が無かったため、そこからは選曲をしない。

「あ、良い選曲だよ」

 ようやく見つけた牧田先生は嬉々とした声を上げた。

「ドビュッシーの月の光か、サティのジュトゥブね」

「ド、ドビュッシー?ジュデュブ?」

 聞いたことの無い音の羅列に上手く聞きとれず発音出来ない。

「ドビュッシーと、ジュトゥブですよ。ドビュッシーは作曲者の名前で、ジュトゥブは曲名」

「はあ・・・」

「うん、良いと思う。センスありますね」

「でも、本当に素人なんで弾けるんですかね?」

「それは、ハル君の想い人への想いの強さ次第ですよ」

「若干、馬鹿にしてません?」

「まさか」

 満面の笑みを浮かべる牧田先生。やっぱり馬鹿にしているのかもしれない。でも、自分で撒いた種だ。

 想い人なんて本当は、本当は・・・。

「で、どっちにしましょうか。楽譜は初級向けのにするので安心して下さい」

「あ、そんなことが出来るんですね。んー、この二曲もう一回それぞれ聴いてみていいですか?」

 これで僕の本気度を繕う事が出来ただろう。

「もちろんです」

 牧田先生も意欲的な僕に嬉しそうに反応する。もうこれは、行くとこまで行ってやろう。牧田先生の笑顔にそう決意した。

 それぞれ聴き終えた後に牧田先生と目が合った。何故かお互い頷いた。

「最初の曲にします」

「りょーかいです。正直初心者には難しい挑戦になるけど覚悟はいい?」

「牧田先生。想いの強さ次第なんですよね?」

「ふふ、そうだった」

「ちょっと、やっぱり馬鹿にしてたんじゃないですか」

「ううん。してないですよ。想いの強さ次第です。相当な強さと覚悟が必要ですよ」

「なんで急に追い詰めてくるんですか。でも、やってみます。僕の想いと覚悟をこの曲を弾いて証明させてみせますよ」

「よし、合格。そんなに想われるなんてその彼女が羨ましい」

 牧田先生と目が合った。そしてやっぱり二人は頷いた。

「それで・・・、」

 牧田先生が楽譜に目を落としながら言葉を漏らす。

「その想い人に想いを伝える時間のリミットはありますか?この日までに伝えたいとか」

「時間のリミットですか」

 いつまでになんて考えてなかった。一ヶ月後・・・いや、それまでに弾くのは無理があるだろう。三か月、半年、一年・・・あれ、もしかしたら。

「牧田先生の時間のリミットはありますか?」

「わたし?全然。ハル君に合わせますよ」

 問答無用。

「時間は、たんまりあります」

「そう。じゃあ、基本からしっかり時間かけてやっていきましょうか」

「もう喜んで。その方が好都合です」

「ん?」

「これからよろしくお願いいたします」

 深々と頭を下げる。顔の緩みを隠すように。


 僕の出任せと下心で始まったピアノレッスン。課題曲を厳選した結果、ドビュッシーの「月の光」に決まった。牧田先生には自分の想い人に気持ちを伝える為の曲ということで、いくつか候補の曲を選曲して貰った。その中でこの「月の光」は何処かで耳にしたことがあった。ただ、それだけで決めた。ドビュッシーという作曲家は、正直知らなかった。一流や格式のあるという意でも用いられるクラシック。また長い歴史の背景と、その芸術的要素を考えると失礼な動機であって、何かの礼拝所に私服で来てしまった時のような場違いさを感じた。そして、目的と内容の無い物語のような絶望感、仕切りのいない合コンのようなだらけが、襲ってくる。ピアノを前に座ると、毎回これらの感情と気持ちに圧倒され怯んでしまう。しかし、そういう時は一度目を閉じる。そして、瞼の裏に想い人を投影する。

 僕が指を動かすモチベーションだ。

 何にでも基礎があり、そして基礎が大切なのはピアノの世界でも変わらない。最初は座り方、姿勢、ピアノを弾く時の手の形を徹底的に教えられた。

 そして、指番号を教えて貰い後はひたすら、指をスムーズに動かせるように指トレを毎日することを課せられた。まずは右手から徹底的に。ハノンという指トレに適した曲があり、牧田先生の言いつけ通りピアノに向かい、ハノンを弾いた。どうやらピアノ練習曲の定番らしい。ドからドの音階の中で指を動かしていく曲で、最初はドの鍵盤に親指を乗せ一つ空けて人差し指をミの鍵盤に置く。人差し指からは、順番に鍵盤に指を乗せる。親指でドを弾いて小指のラまで弾いたらまた折り返してくる。折り返して戻ってきたら親指を次の音階のレの鍵盤に移す。そして、親指の次の鍵盤を空ける間隔は変えずにファの鍵盤に人差し指をずらしていく。この動きを、親指が高いドに辿り着くまで繰りかえす。高いドに親指が辿り着いたらドミソミドと弾いて終わりだ。メトロノームでテンポを決め、それに合わせて弾く。最初は入門のテンポつまりは、遅いテンポで開始した。しかし、テンポを意識すると指が正確さを失って、上手く指を動かせない。早々に果てしない無謀に近いことへ挑戦していることを思い知らされた。そして、一週間経っても右手のハノン入門編を攻略できずにいた。

 流石に、最初よりは指が動いているのは実感できたが、リズムに合わせられない。

 また遅れてしまいがっくりうなだれた。

「あまり根詰めないで」

 振り向くと、牧田先生がいた。

「あ、お邪魔します」

 そう言って、丁寧に頭を下げた。

「え、いつからいたんですか?」

 僕が帰って来た時を思い返しても、人が来ていた気配は無かった。玄関に靴も置かれていなかったし、話声も聴こえなかった。

「ハル君が帰ってくる前から居ましたよ」

 悪戯な笑みを浮かべながら、こちらを窺うように視線を寄こしてくる。

「まさか。全然気付かなかった」

「ふふーん。サプラーイズ」

「サプライズ・・・」

「ちゃんと、練習しているんですね」

「そりゃしますよ。もちろん。あ、なんですか。もしかして抜き打ちチェックですか?」

「ふははっ、そうじゃないけど、そうしているみたいね。これじゃあ」

 牧田先生が不意に、僕へ向けて何かの物体を投げてきた。反射で山なりに落ちてきた物体を掴んだ。

「ん?お手玉?」

「ぶっぶー。それは、ピアノお手玉よ」

「お手玉じゃないですか」

 牧田先生はふははっ、と勢いよく笑うから僕もつられて笑ってしまう。

「なんですか?ピアノお手玉って?」

 普通のお手玉より大きく平たい。赤地に白い花模様の布で出来ていて綺麗だ。握るとシャカシャカ音がした。

「これはね、理想のピアノ指を作ってくれたり、リズム感が身に着いたり、肩から下の脱力感、手首の脱力感を得るのに、役に立つ魔法の道具なの」

「ピアノ指・・・?脱力感・・・?」

「ハル君。ピアノは基本が大事って話したと思うけど、ピアノの姿勢や鍵盤を叩く時の理想の指の形とかを会得するのが、ピアノ上達の肝の部分でね。ピアノ叩く前のそういった基本のことが本当に重要なの」

 失礼な話だが、初めて先生を感じた。

「なんか先生っぽいですね」

「ふははっ、先生なんです」

「ははぁ。牧田大先生さま~」

 ふざけて大袈裟に土下座のような敬いのポーズをとった。

「よろしい」

 そのノリの良さに心を擽られる。

「今日は気分がいいでな、ほれ、もう一つ作ったピアノお手玉をお主にあげよう」

「ははぁ。有り難き幸せ」

 そう言って、両手でピアノお手玉を受取り頭上にあげ、ひれ伏した。

「よいよい。顔をあげなされ」

 よく分からない古風な言葉を使い、妙なテンションでふざけ合えたおかげで、より近しい関係になれたきがした。

「というか、これ牧田先生の手作りなんですか?」

「そうだよ。久し振りにミシン出したわよ」

「僕の為にここまでしてくださるなんて、感動です」

「もちろん。出来ることはするわよ。大事な決意を手伝わしてもらっていますからね。なにより成功してほしいですもん」

 牧田先生は本当に嬉しそうにそう言うものだから、複雑な思いを抱いた。

「これ、どうやって使うんですか?」

「これ?実は結構簡単なんですよ。生地縫い合わせて中にポップコーンの豆を入れるだけなんで」

 どうやら僕の滑舌が悪かったらしい。しかし、聞き直すのも悪い気がしてそのまま話を合わすことにした。

「ポップコーンの豆なんですね。中に入ってるの。チンしたら爆発しますかね?」

「ちょっと。ダメですよ」

「冗談です」

「もう。ピアノ弾く時もそんな軽口叩くくらいの感じで弾けばいいのに」

「え?悪口ですか?」

「違いますー。まあ、軽口というと語弊があるかしら。なんていうかもっとリラックスして弾ければいいかなって」

「リラックスですか・・・」

「そう。ちょっと力んでいるしまずは正しい姿勢、自分に合った椅子の高さ、手首の柔らかさ、指の形そういったところから見直していきますよ。車の運転するにも運転しやすいように座席調整するでしょ?それと一緒よ」

「先はながいですね・・・」

 何かを始められていたと思っていたがその実、何も始められておらず、それが想い人との距離と重なり気分が沈む。僕はピアノ弾けるようになるのだろうか。そもそも想い人へ、想いは届くのだろうか。届いてそれは、成就するのだろうか。そう考えると、ピアノなんてどうでもよくなってくる。別に弾けても弾けなくても、僕の望みとは関係ない。

「やめやめーい」

 牧田先生は、いきなり大きな声を出したので我に返った。

「今日はピアノの話をしに来たんじゃなくて、少し気分転換をした方がいいってことを伝えに来たの。あまり根詰めると、ピアノが嫌いになっちゃうから。ピアノ嫌いになって想い人への告白できなかったら、本末転倒でしょ?だから、ピアノのことから離れる時間をつくりましょー」

「確かに。嫌いになりかけていたかもしれません」

「ほらほら。それは、危険。続けることが力なり」

「どっかの塾みたいじゃないですか」

「ふははっ、たしかに」

 牧田先生と話し、笑顔をみていたら心に落ちた。これでいいじゃない。手の中には、牧田先生お手製のピアノお手玉がある。ついつい何回も握ってしまう。その度に、中に入ってるポップコーンの豆がシャカシャカと小気味が好い。ぐっと強く握り一際大きい音が鳴った。

「牧田先生。気分転換にポップコーン食べに行きませんか?」

「ポップコーン?」

 少し笑みを浮かべる牧田先生の瞳を、真っすぐ捉える。

「僕の気分転換に付き合ってください」

「ふふっ、行っちゃう?」

「はい。行っちゃいましょう」

 自分の活舌の悪さと、牧田先生の聞き間違いに感謝しよう。

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