初キス
原稿用紙10枚の小説に挑戦中です。。
誓いの口づけをしよと言ったのは優子の方だった。僕はそういったことには奥手の方で、むしろ積極的だった彼女に促されるように、僕は言われるままに唇を預けた。
流れ星を観よう、と優子が突然言い出した。夜中の二時に約束を立てた僕たち。家を一時半に忍び足で飛び出すと、僕は優子の家を目指した。その日、流星群が観られるという情報はテレビから得ていた。
月は雲に隠れ、また顔を出す。ビルたちの群れのその間を風がひゅうひゅうと騒ぎ立てる。ガラス張りのビルの窓には月かげが、雲のさえぎりに暗みを帯びたり明るんだりして映っていた。遥かにかすみ見えるだけの山々、そこに流れ星が渡った。瞬く間のことだったが、ひとすじのラインを描きながら勢いよく一心不乱に山にぶつかっていく星の流れは凄まじかった。都会ではめったに観られない光景に、敏感な肌には鳥肌が毛羽立っていた。
キスしよう、なんて野暮なことを言う子ではなかった。僕の目線より少し背の低い君は背伸びをして、それでもようやく僕の顎のラインに届くか届かないだった。僕の方から少し首を下に傾けて、二人の唇は自ずと重なり合った。あれほど穢らわしかった君への感情は完全に解けて、僕のガサツな唇と君の繊細な唇が触れた瞬間、愛おしさのようなものが生まれて、思わず君をぎゅって抱きしめた。初めて抱きしめた君の華奢な体に、やっぱり女の子なんだ、と僕はもう一度強く抱きしめた。
その晩、はじめて、というよりようやく君の唇をものにした喜び以上に、なぜだか疲れきっていた。廃れきった純情に誰よりもびっくりしていたのは僕だった。
次の朝、起きると僕は夢の中にいた。確かに優子と夜中に会っていた。でも、その記憶は遥か遠く昔の季節のように感じられた。
昨日の口づけは夢だったのか。そう思って、僕は階下に降り、学校へ行く準備をした。いつも通りのいつもの時間のルーティーン。歯を磨く、顔を洗う、ご飯を食べる、着替える、出かける。なんてことのない一日の始まりが、ただ、昨日の記憶がどこかおぼろげで、消えてしまいそうな気持ちと不安をどこかで抱いている。今日、優子と会うとき、どんな気持ちでどんな顔をすればいいだろう。
優子と僕はいつもターミナルステーションで待ち合わせをしている。今日も制服姿の優子が先に待っているはずだ。そう思ってターミナルステーションに着くと、いつものプラットホームに彼女はいなかった。学校に通うのに間に合うギリギリの電車が出るまでにどちらかが来なければ先に行くというルールだった。僕は最後まで待った。十分ほど待って、彼女が現れた。彼女は僕を見るなり、うつむいて、照れて見せた。
「あのね、昨日……」
彼女はもじもじしながら、僕にそう呟いた。
「昨日、確か、一緒に星を見にいったよね」
僕は精一杯の照れを隠しながらそう言った。
「うん。観に行ったね。綺麗だったね」
彼女はうつむきながらボソッと言った。
「それで……」
僕もつられてうつむいた。
うつむいた二人の前に電車がホームに入ってきた。
「乗ろう」
そう声をかけたのは僕の方だった。そして優子は一番右のシートに座った。僕はその隣に座った。
「昨日ね、変な夢を見たの」
優子がボソリと呟いた。
「どんな夢?」
僕は不思議に思い、そう訊いた。
「え? 恥ずかしいよ。こんなところで言える話じゃないよ」
「そうなんだ。実は僕も昨日、変な、っていうか、素敵な夢を見たんだ」
二人は窓外に見える景色に目をやりながら、お互いの指と指を絡ませた。
「通学路の途中の公園だったら誰も聞いてないから、そこで言うね」
優子が僕の手をぎゅっと握ってそう言った。
「そうだね。そこなら誰もいないね」
僕は返す言葉がそれしか見つからなかった。
電車に揺られながら、僕と優子は昨日の出来事、それが夢なのか現なのかわからないまま、学校の最寄駅に着くのを待った。
改札を抜けて、通学路の途中にある公園まで向かった。そこまではほとんど無言のまま、お互いに気まずそうに、会話があるとしても、他愛のないものだった。
公園の入り口で優子が先に、
「ねえ」
と話を切り出した。
「私たち、付き合って半年だよね」
優子が神妙な面持ちでそう言った。だから僕はそうだね、とひとことだけ返した。
「昨日ね、流れ星を観る夢を見たんだ。夜中にね、二人が飛び出して、神社の橋の上から流れ星を観る夢。すごく素敵でしょ」
「え? 優子も見たの? 僕も同じ夢を見たよ」
「うそ? 神社だよ」
「うん、そこの神社で流れ星を観る夢だった」
「涼太君の、背中、大きかったよ」
「優子の肩は華奢だったよ」
「ねえ、私たちって付き合って半年だよね」
「それはさっき聞いたよ」
「でも、半年経っても何にもないよね」
「うん、何にもないね」
「私のこと好き?」
「うん、好きだよ」
「あ、でも、この話、昨日もしたよ。夢の中でも同じ話、した」
「覚えてるよ」
「じゃあ、夢の話じゃないのね。現実なのね」
優子はポケットの中から白いハンカチを取り出した。
「あ、それ」
僕は優子の持っているハンカチに見覚えがあったので思わず声を出した。
「昨日ね、夢の中で涼太君とはじめて口づけをした時、私、泣いちゃって。それで涼太君がこのハンカチを渡してくれたの」
「確かに、確かに、僕が渡したハンカチだよ。いつも、このポケットの中に……」
そういって僕は自分のポケットの中に手を突っ込んだ。
「ない。ないよ」
そう、僕は自分のポケットの中にいつも入れている白いハンカチがないことに気づいた。
「やっぱり、夢じゃなかなったんだね」
優子はボソリと呟いた。
「うん。そのハンカチがそうだよね」
僕も返事を返した。
学校へ着くといつも通りに教室に入っていつもの机に。優子も同じ教室に入った。そして優子は優子の机に。
現代文の先生が入ってきた。
「今日は、星の伝説のお話です」
タイムリーな話だ。星か、星は素敵だ。
「昨日、流星群が夜中の二時ごろに見られましたが、皆さんの中に見た人はいますか?」
優子の方を見てみると、彼女は照れ臭そうに下を向いている。
「その流星群を一緒に見たカップルは必ず別れると言う伝説です」
ハッピーエンドを期待していたクラスメイトは皆一様にため息を漏らした。
一番前の席に座っていた優子は背中をくるっと回して僕の方を見た。僕は目を伏せた。
「でも……」
先生は急に笑顔で教室を見回した。
「でも、素敵なのは、別れても、別れても、必ずその流星群を見たカップルはまたくっつく、と言う素敵なお話でした。だから、昨日、流星群を見た世の中のカップルは、別れてもいずれはまたくっつくんでしょうね。いいお話ですね」
それから僕と優子は大学進学の時に、僕は地元に残って、彼女は上京し、自然消滅した。優子は上京して楽しい学生生活を過ごし、また地元に戻って公務員になった。
僕は親の後を継いで地元に愛される電気屋として自分の道を選んだ。
7年前の同窓会で僕と優子は再会した。一次会はそうでもなかったけれど、二次会で意気投合し、そのまま二人で抜け駆けして、行きつけのバーに行った。
偶然、その晩、また流星群が観られると、バーのマスターが教えてくれた。
僕と優子はまたあの日のように夜中の街に飛び出し、タクシーであの神社に向かった。
夢のような空間は流れる星の演出でより素敵なものになった。
暗い闇の中から明るみにでた。
「あれ?」
「どうしたの、あなた」
「いや。流星の……」
「また、その話?」
優子は布団から抜け出た僕に笑いかける。また僕は夢を見ていたようだ。(了)
ここまでお読みいただきありがとうございました。
またお会いできたら嬉しいです。