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1985-1988

本日もお立ち寄りいただきありがとうございます。過去作より、アップしております。


1985年


 大阪が揺れた。ネオンサインの煌めく道頓堀の戎橋の欄干から薄淀んだ川に向かって数珠つなぎに人々が飛び込んだ。水面にとける人影を周りの見物人が覗き込んで奇声をあげる。混沌とした景色だった。それまで弱小チームと言われ続けた虎が牙を剥いた。阪神優勝の瞬間だった。その晩、大人たちは酒を酌み交わしてどんちゃん騒ぎし、子どもたちはその夜限り、ファミコンで遊ぶことを許された。Bボタンを指が痛くなるほど押すと、無敵のスーパーマリオがのっそり歩くクリボーを蹴散らした。

 翌る朝、「阪神優勝」の文字が新聞紙面を賑わせ、その日から近くのたこ焼き屋がたこ焼きを一個おまけしてくれた。理容室が百円安くなった。高校生はチェッカーズのフミヤのように裾を刈り上げ、こぞって前髪を伸ばしていた。ファーフーと喇叭を鳴らす豆腐屋が鈍色の自転車を角の電信柱の横に止めると、近所の主婦がボウルを持って集まった。気前よく豆腐を一丁おまけしてくれた。

 それまで南海ホークス友の会に入っていた近所の子どもたちの帽子は緑色の南海のものから阪神タイガースの白い帽子に変わっていた。ジャイアンツファンの母は近所のガキにいじめられないようにと気を遣って巨人ではなく、西武ライオンズの帽子を僕に被せた。

 日本シリーズが始まると、昼休みには一組の教室から三組の教室のテレビが阪神対西武の試合を映していた。先生も生徒も皆釘付けになって応援した。阪神を応援しながらも、西武ライオンズの秋山がホームランを打ち、ホームベース前でバック転をすると歓声が沸き起こった。

 昼休みが終わっても試合が終わるまではテレビは日本シリーズを映していた。むしろ先生の方が興奮している様子だった。割と自由な小学校で、数年に一度気持ち程度の雪が積もると、外で雪合戦をするような、そんな学校だった。もちろん半分泥団子の投げ合いだった。

 何か特別いいことがあるとよく訪れた近所のレストランがあった。象牙色のタイルが印象的で、店の正面にスパンコールで「メルシー」と書かれた看板が目印の個人経営のレストランだった。日本シリーズで阪神が優勝した次の日曜日、阪神ファンの父がメルシーに連れてきてくれた。普段は滅多に食べられないミートソーススパゲッティを頼もうと父の顔を恐る恐る覗き込むと、今日は好きなものを食べていい、というので注文を聞きにきたウェイターにメニューの文字を指差した。山盛りに盛られたスパゲッティの皿が運ばれてきた。フォークにくるくる律儀に巻きつけて、口に運んだ。口の周りが油でテカテカになりながら、多幸感に包まれた。


1986年


 巨大な謎の箒星が地球を訪れる。クラスはその話題で持ちきりだった。地球から空気がなくなるのでタイヤのチューブを買い占めた金持ちもいる、という噂を信じて、二丁目の木村と一緒に山口の自転車屋へ分けてくれないか頼みに行った。山口の自転車屋のおっちゃんは鼻笑いしながら、自転車のチューブを一本ずつ僕と木村に投げ渡してきた。結局、ハレー彗星と呼ばれたその彗星は何も告げず、空気をかっさらうこともなく宇宙のどこかを渡っていった。

 そろばん道場の帰り道だった。チェルノブイリで原発の事故が起きた、という知らせを聞いた。誰かが、黒い雨が降り、その雫を浴びると毛が抜け落ちてしまう、と脅してきた。ちょうどその時、喧嘩していた妹と、こんな時にそんなことを言ってる場合ではないと、体を寄せあいながら一本の傘で家まで怯えながら歩いて帰った。

 新緑が目に鮮やかな季節だった。世界で最も鮮やかとも称されたプリンセスが日本を訪れた。英国のダイアナ妃だ。幼心に綺麗な人だなと思った。生まれて初めて女性を綺麗だと思う感情を得た。翡翠色に輝く瞳は大人から子どもまでを魅了した。

 この夏、妹と、友だちとその妹とでプディング色した特急雷鳥に乗り、母の故郷である武生へと発った。友だちは少し先の小松まで向かった。北陸トンネルを抜けると、鉄道唱歌が流れ、耳がツンとしてくる。母に教えられた通り、唾を飲み込むか欠伸をして元に戻す。プールから上がったあとのジワリと生暖かい耳の奥を何かが這う感触は僕は嫌いではなかった。

 後日、預けられている祖父の家に母がやってきた。夏の夜。母は幼き兄妹の手を引いて、薄暗い田んぼのほとりへと誘った。翠玉色の光があちこちで明滅していた。穂の先に止まった蛍を、一匹捕まえては持ってきたビニール袋に入れた。五匹ぐらい捕まえると、ひときわ手元が明るくなった。それを明かりがわりに祖父の家へと戻った。寝静まった祖父を起こさないように、興奮を抑えながら、蚊帳の中に蛍を放った。飛び交う仄明るい光の明滅を見ているうちに自然と眠りに就いてた。

 少年隊が銀色の衣装を着て、スタンドマイクを蹴飛ばして『仮面舞踏会』を歌う。最後にバック転をする。体育の時間、体育館に敷かれたマットの上を三組の担任の北先生が三回続けてくるくるとバック転をした。キャーキャー騒ぐ女子の声に照れ臭そうに、誰だってできるよ、と笑った。顔をしわくちゃにして笑い、モジャモジャのパーマに鼻の横に大きなホクロのある北先生は南こうせつに似ていた。

 紅白では、それまで腹巻きにステテコを履いてランニングに鉢巻姿で歌ってた吉幾三が真面目に『雪國』を歌い、テレサ・テンは『時の流れに身をまかせ」を華麗に歌い上げた。

 

1987年

 

 降り注ぐ太陽の日差しがまだ暑かったころ、ブラウン管の向こうで、ローラースケートを履いた七人組がステージを縦横無尽に疾走する。超新星からのメッセージ、光GENJIがデビューした。クラスの女子は七人の名前を全員覚え、男子は白い目で見ながらも、姉や妹が買っていた雑誌『明星』のプロフィール欄に目を通して全員の名前を覚えようと躍起になった。

 夏休みの終わり、絵日記の宿題が一番最後に残った。この夏どこへも行ってないから思い出なんざあないと不甲斐なく思った母は、難波にある映画館へ僕と妹を連れていった。人でわんさとあふれていた。チケットを買って、重たい扉を開けると小さな風が髪をそわりと吹き上げた。出てくる人が皆一様に目を腫らしていた。

 塩味のポップコーンをこぼさないように薄暗い通路を渡ってシートに腰をかけた。物語が始まった。飼い主が降りる駅の改札で薄茶色の秋田犬が待ち続ける。クンクン鳴く犬は飼い主が現れると尾っぽを振って喜ぶ。ところがある日、待てども暮らせども駅に主人の姿はなかった。それでも待ち続けて、むせび鳴く物悲しい声に、僕は喉の奥が熱くなって、目から涙が溢れ出た。映画をみて泣いたのは初めてだった。家族で見にいった『南極物語』のタロとジロを見ても泣かなかった。ハチ公の姿に涙した。しばらく僕は恥ずかしくて母の方を見ることができなかった。もちろん、その夏の絵日記には秋田犬の絵が大きく描かれた。おまけに市の賞を取り、僕の絵はどこかの駅のポスターになった。

 六年生。名札の色は焦げ茶色になっていた。下級生の頃から、焦げ茶色の名札に憧憬を抱き、早くつけたかった。お洒落なんて言葉に疎かったこの時分は、名札によってあけられたTシャツの安全ピンの穴なんて気にならなかった。

 このころ、女子の体に興味を持ち始めた幼気な少年たちは、図書館にある性教育の本を読み漁った。ピンポン球ぐらいの女子の乳房の膨らみに興味津々だった。ガレージのレンガブロックの隙間に落ちていた雨に濡れて表紙が波打った成人雑誌のヌード写真を見て、興奮し、一番お気に入りの写真を手でちぎってポケットの中にしまった。エレクトするハートビートのエモーションを大きく深呼吸してなんとか抑え、家に着くなり親に見つからないように自分の机の引き出しの一番奥に隠した。そして初めて引き出しの鍵をかけた。

 初恋を覚えたのはこの頃だった。秋口。九月。二学期のはじめ。そろそろ卒業を意識し始めた頃。木の葉をつむじ風が巻き上げた。彼女のスカートがひらりと翻り、下に履いていたブルマがちらりと見えた。顔が好みとか、性格が良かったとか、特別な意味はなかった。ただ、その一瞬のセクシャルレーザービームに打ちのめされたという感じだった。

 ドラえもんの映画の中で、のび太がしずかちゃんのスカートをめくるのに、心の中で「チンカラホイ」と叫ぶシーンがあった。僕は三組のYさんの後ろ姿を見るたびに心の中で「チンカラホイ」と呟いたが、あの日のつむじ風以来、スカートがめくれることはなかった。

 焦げ茶色の名札とお別れする日がやってきた。茶話会が開かれ、卒業生のみんなで呼びかけの言葉を練習する日々が続いていた。入学式から修学旅行までの思い出を卒業生全員で繋いでいく。六年間がそのわずか数分に凝縮される。ふんわりした綿菓子をぎゅっと固めるように凝縮された思い出。

 卒業祝いにフレンド英和辞典と和英辞典が配られた。僕はこそっとSEXという単語の載ってるページを真っ先に開いた。



1988年



 学校の校則で生徒手帳には「男子は丸刈り」と書いてある。近所の理容室で頭を刈る。三枚のバリカンを入れてもらう。しばらくは髪の毛ともおさらばだ。

 小学校の頃、桑田、清原のKKコンビを見て甲子園に憧れ、自分も甲子園で野球がしたいと夢を持った。だけれども仲の良かった連中が誘い合わせてサッカー部に入部希望を出したため、僕もサッカー部に流されて入った。一学期の間は一切ボールを蹴らせてもらえず、基礎練と称して、パン屋に続く渡り廊下を陣取って、腕立て、腹筋、背筋、スクワット、ランニングを来る日も来る日も繰り返した。嫌気をさして辞めていく部員が後を絶たなかった。

 或る日、基礎練をしていると、石の礫が短パンの中に入った。僕はそれをつまんでまじまじと見ていると、僕をサッカー部に誘った佐藤が「水上、それ、ドロップやない、おはじきや」とほくそ笑んだ。

 地理の授業中。先生が「熱帯雨林気候」の六文字を白のチョークで書いた。その下に黄色のチョークで線を引き、覚えておくように、と黒板をチョークでトントンと小突いた。そのアンダーラインがおぼろげに滲んで見えた。はじめは気のせいだと思った。続けて「地中海性気候」と白のチョークに持ち替えて書いた後、同じように黄色のアンダーラインを引いた。やはりぼやけて見えた。

 様子が変だと思い、隣の駅前の眼科に行くと、目医者は付き添いで来ていた母に眼鏡が必要だと告げた。その晩、塾へは行かずにリビングのソファにもたれて、視力が落ちたショックでわんわん泣いた。

 暑い季節をやり過ごしたサッカー部の一年生にとって嬉しい先輩からの一言があった。スパイクを買ってこい、とキャプテンがいった。三年生が引退して、二つあるゴールのうち、一つを一年生が使うことができるからだ。創立して以来ずっと手入れもなしに使われてきたであろうサッカーゴールは白いペンキがところどころ剥がれ落ち、赤茶色の鉄錆が見えていた。

 オフサイドが何なのかもわかっていない顧問の先生がグラウンドに顔を出すことはなかった。たまに窓から顔を出しては、担当教科の数学の上半身ほどの大きさの定規を上下に動かして、何やら合図を送ってくるだけだった。案の定、我がサッカー部は弱小チームだった。

 この秋、隣国の首都、ソウルが湧いた。バサロ泳法で鈴木大地が金メダルを取り、高校生コンビの池谷、西川が男子体操でメダルを取った。


最後までお読みいただきありがとうございました。また気が向いたらお越しください。

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