金閣
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スマホを握っていると突然けたたましいアラート音とともに、画面がロックされ、メッセージが流れた。
「気象庁です。今から12時間以内に日本列島が埋没します。助かる方法はありません。よって緊急避難命令は出しません。ご自身の責任であと12時間を有意義にお過ごしください」
テレビを点けた。ベッドから身を起こしテレビにかじりついた。こんな時間にテレビを見るのは久しぶりだ。そう、こんな時間とは午後の2時である。チャンネルをミヤネ屋からNHKに変えた。
見慣れないアナウンサーだった。12時間以内に日本列島が埋没するというのはスマホのアラートで知ったとおりだ。でも、どうすることもできないと半ば諦めモードでテレビを見ていた。でも、こうしている間にも日本列島埋没までの時間が刻一刻と迫っている。
「できるだけ自分の好きなことで時間をお過ごしください」
アナウンサーが沈着冷静にまるで日常のことかのように淡々と視聴者に語りかける。
こんなときテレビ大阪(テレビ東京系列)はどんな番組を流すのだろう、と半ば興味本位でチャンネルを変えてみる。よくわからないがアニメを流している。たしかに、子どもにはいいかもしれない。子どもには日本列島埋没といってもピンと来ないだろう。それならアニメを見て楽しんで夢の中で消えていくのも悪くない。
一番投げやりになったのは新聞社かもしれない。もはや号外を配ることさえ、諦めたようだ。
「園田、もう原稿はない。お前も放送はもういい。家族の元に戻れ、早く」
ディレクターか誰かの声でアナウンサーに状況を伝えることを止めるよう指示が飛ぶ。
画面からアナウンサーが消えた。そしてテロップが流れた。
「緊急速報。日本列島埋没まであと11時間54分」
街へ出ることにした。みんな考えることは一緒だろう。美味しいものを食べたいし、好きなことをしたい。
駅前の行列のできるラーメン屋のチャーシュー大盛りを食べたい。俺は急いで着替えて、駅前に向かった。
行列ができていた。みんな考えることは同じだ。でも、店の主人がラーメンを作ることなんかやめて、自分のために時間を作るとしたら最期にこのラーメンも食べられない。
待っている時間ももったいない。あと残り11時間30分。
そうこうしているうちに店に入る段になった。チャーシュー大盛り1100円。もう最後だ。いつもはケチって780円の普通のラーメンだが、この限りでは贅沢をする。
「大将、速報見られましたか?」
「ああ、見たね」
職人らしく口数は少ない。
「大将は自分のやり残したことはないんですか?」
「なあに、俺はラーメンを作って厨房で死にたいってものよ」
人それぞれだとは思うが本当に人それぞれだ。
次に俺はやり残したことはないかと考えた。ない頭なりに考えた。女、酒、金、でも、それと時間とを考えると、何も思い浮かばない。
昔は思った。いい家に住んで、いい車に乗って、いい女を連れて、酒を飲んで、金で色々、って。でも、いざ、もうこの世界から自分がいなくなるなんて思ったらそんなことはどうでもよく思えてきた。
あと10時間。俺は考えた。やりたいことは何か。
でも実際にやりたいことなんて何も見つからない。
そうだ。京都へ行こう。(え? まじで行くのか。キャッチコピーじゃなくて?)
俺がさんざ憧れた金閣寺へ。三島由紀夫が美しいと語ったあの金閣寺へ行こう。
大阪駅まで出て、そこからJRで京都まで行く。鞄の中には三島由紀夫の『金閣寺』。シートに座ることができた俺は文庫本を広げた。鳳凰が空を舞うあの金閣の頂を見るために、俺は憧れの金閣に夢を持つ。
学生時代、キャンパスが京都の金閣寺のそばにあったことから、一度だけ雪の金閣に行ったことがある。大雪で午前中に行われる予定だった試験が昼からに変更された時だ。友人を引き連れて雪の金閣を訪れた。それ以来だ。だが残念ながら夏の今は白い綿を冠した金閣は見られない。
『金閣寺』に出てくる青年はあの金閣を炎で包もうとした。日本列島が埋没する今、俺も同じように、と思ってもいいだろう。でも、いつか海底都市になった時にあの美しい建造物は、やはり残さなければならない。そう思った俺は、どうしてもあの青年のようなひねくれた感情は持てなかった。
京都駅に着いた。京都タワーは相変わらず、相変わらずだ。そして金閣寺へはタクシーで向かった。
こんな時にタクシーなんて掴まるのだろうか、なんて心配は杞憂に終わった。
一台のタクシーが目の前に止まった。
「金閣寺まで」
一言伝えると、ドライバーは笑顔で頷いた。
「お客さんも金閣ですか。今日で8人目です」
「え、そんなにですか?」
思わず口から出た言葉だった。
「やはり、日本人なんですね。お客さんも含めて、私も然りです」
ドライバーのバックミラー越しに見える眉毛が上下する。
「僕、金閣寺へ来るのは20年ぶりなんです。大学卒業以来なんです。でも、なんで運転手さんはこんな日本列島が埋没する瞬間まで働くんですか?」
ドライバーに問いかけた。
「好きなんでしょうな。この仕事が」
ラーメン屋の大将にしろ、ドライバーにしろ、みんなそんな答えが返ってくる。
「仕事って好きになれるもんですか?」
僕は愚問だが問いかけた。
「好きになれるというか、これしか能がないっていうか、結局、好きなんでしょうな。お客さんはどんな仕事をされてるんですか?」
答えに窮した。
「今、仕事してないんです」
「そうですか。でも、あと6時間ほどで、日本は埋没しますけど、お客さんも、仕事をすれば、人が喜んでくれて、ありがたいことにお金ももらえる。そんなことって素晴らしいと思いますよ」
俺は金閣寺の手前でタクシーを降りた。
「臨時アルバイト募集」
金閣寺の門の前に張り紙がしてあった。俺は迷わずに応募することにした。
「ああ、お兄さん。手伝ってくださるのかね。じゃあ、早速これに着替えて、受付でチケットを渡す仕事をしてくれるかな」
金閣寺の担当の人が束になったチケットを差し出した。俺はそれを受け取って、受付窓口に座った。
「どうぞ、中へ」
案内係を兼ねてチケットを渡す。
夢中でチケットを売る。一枚、一枚、丁寧に渡していく。
「兄ちゃん、ありがとう」
中にはお礼を言ってくれる人もいる。それが僕の荒んだ心に心地よかった。
気がつくと数時間があっという間に過ぎていて、日本列島埋没の時間が迫っていた。
「ありがとう、お兄さん。これ、バイト代」
そういって俺を採用してくれた担当者が茶封筒を渡してきた。中を確認すると数千円入っていた。
久しぶりに手にした働いて得たお金。重かった。紙幣が3枚ほどだったが、何か重かった。
日本列島埋没まであと4時間。俺はこのお金をどう使おうか考えた。でも考えれば考えるほどわからなくなってきた。
帰りの電車の中で中吊り広告を見ていた。その時だった。電車が信じられないほど揺れて、揺れて、そして、悲鳴があちこちから聞こえて、そして真っ暗になった。
けたたましいサイレンの音が流れた。
日本列島埋没の瞬間だ。電車があり得ないほど揺れて、記憶がなくなりそうになる。目を瞑る。
こんなとき、何もできない自分がいる。
ポケットのスマホに手を伸ばした。
着信がいっぱいあった。友人や元同僚など。
「今、仕事の帰り。今日は最悪」
「もう、こんな日に残業、うちの会社、終わってる」
「明日までに用意せなあかんプレゼンのために一日中仕事やで」
え? 今日で日本列島埋没なのに、みんな普通に仕事している。
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