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わだかまる夏の雲

本日も原稿用紙10枚小説に挑戦です。

 夏の晴天をさらに高みを目指してわだかまる入道雲がフロントガラスから見える。僕はハンドルを握りながら、高速道の退屈な一本道の向こうの風景を楽しんでいた。助手席ではさっきまでキャッキャと喋っていた彼女が大人しくなり、ふんわりとした寝息を立てている。

 カーナビは到着予定時刻を午後7時21分と予想している。途中のサービスエリアで休憩することはカーナビは想定していない。

 ガソリンを入れないと自宅までは保たない、と思った僕は次のガソリンスタンドのあるサービスエリアで休憩を取ることをそれとなく呟く。でも、彼女は寝息を立てているから気づかないはず。

「わかった」

 寝ているはずの彼女が頭を僕の肩に預けてきた。

「なんだ、起きてたんだ」

「さっきから」

 彼女が自分で作ってきたCDをデッキに入れた。

「この歌、好きなんだ。でも、死んだ弟を思い出して辛いけどね」

 唐突に聞いたことのなかった話をされたから僕は戸惑った。それに一人っ子って聞いていから尚更だった。

「……」

 言葉に窮する僕に彼女が、

「聞いてないでしょ? だって、初めて言ったもん」と手伝う。元気に笑うから、そんな悲しい過去があるなんて知りもしない。

「今日、あの海に行きたい、って言ったのはね、弟があの海で亡くなって、それで車じゃないと行けないところだから、行きたかったの」

 悲しくなっているのは僕の方で、むしろ彼女は弟のことを生き生きと話し出した。

「弟はね、絵の得意な男の子だった。19歳の時にね、あの海で……。二十歳目前だった。月並みだけど、弟と二十歳になったらお酒を飲みたいね、なんて。だって、私んちって父が早くに亡くなってて、弟が父親と酒を酌み交わすっていう、世間一般によくあることができなくてね。だから私がその役目だったの。でも叶わなくてね」

 言葉では軽く振る舞う彼女だけど、声は若干潤んでいた。多分、少し目に涙を浮かべていたのだろう。それは声でわかった。いつもの声とは違った。

 ウインカーをそっと出し、左にハンドルを切った。やや日は傾いて、眩い光がフロントガラスに差し込んできた。彼女はうちわで日をよけるように顔を覆った。日をよけてるんじゃなかった。溢れてくる涙を隠していた。

 サービスエリアの女子トイレはうだるような暑さの中、うなぎのように長蛇の列ができていた。

「ガソリンを入れるから、時間はあるから行ってきなよ」

 僕はそう促すと彼女は首を振った。

「別に大丈夫。トイレに行きたいわけじゃないから。それより先にガソリン入れる方がいいんじゃない? 帰りが遅くなるし。明日、仕事でしょ?」

 仕事。今、一番言われて苦しい言葉。実は彼女には言ってなくて、今は失業の身で、職を探している最中だ。

 本当のことを言ってしまえば楽になるんだろうけど、逆にこのことで彼女に愛想を尽かされるんじゃないかと思うと、なかなかいうに言えない。

 サービスエリアでガソリンを給油した僕らの車は目的地である彼女の自宅を目指した。

「実は……」

「実は……」

 二人が同時に口を動かしたので、二人は一緒に笑った。

「何?」

 彼女が先に訊く。

 僕は意を決して話を切り出した。

「いや、実は今、仕事をしてなくて、探しているところなんだ」

「なんだ、そんなこと? 意外と普通ね」

 カバーの取れた雑誌のようだった(「表紙抜け」=「拍子抜け」)。

 すると、待てよ、彼女はもっとすごい秘密を隠してるんだろうか。

「引っ越すの」

 彼女はそう呟いた。

「え? どこへ?」

「結婚するの」

 頭の中で予想のつかない言葉だったから狼狽えた。

「え、ちょっと待って。いきなり。そんなこと言われても……」

 漫画で描くと僕の目は明らかに点になっていたと思う。ちびまる子ちゃんのように顔面蒼白を示す縦の線が何本も引かれていたに違いない。

「だから、しばらく会えない」

 しばらくどころか、結婚したら永遠に会えないだろう。言葉のチョイスがおかしい。

 二人の間に不穏が空気が流れた。僕は喋ることが苦しくなった。だから沈黙を貫いた。

 ショックだった。形容しがたい痛みが胸をズキュンと貫いた。銃で撃たれて死んでしまいたい。そんな気持ちになった。

 重たい空気のまま、夕闇の家路を急ぐ。彼女の家に向かって。前を向いて、アクセルを踏んで。あまりのショックで事故を起こさないように、それだけに専心していた。

「大きな家に引っ越すの。すごいお金持ちで、私のことをすごく大切にしてくれて。多分、お金持ちだから、とかそういうところに惚れたんじゃなくて、なんというか、包容力? すごく優しいの」

 僕はハンドルの手元のボリュームボタンでCDの音量を上げた。あまりそんな話は聞きたくない。

「で、武君。就活、頑張ってね。応援してる」

 今更応援されても、僕は彼女を失ったら、前向きな気持ちも一気に薄れてしまいそうだ。このまま時が止まればいいのに。本気でそう思った。

 返す言葉もない。

「うん、頑張る」

 精一杯の強がり、というかそれしか言い出せなかった。言葉が見つからなくて、常識はずれのジョークも言えなかった。

「で、式はいつ?」

 頑張った。頑張って言った。

「挙げないわよ。2回目だもん」

 え? 彼女、バツイチ? それは聞いてない。

「聞いてないよ」

「だって、言ってないもん」

 彼女は別段、秘密主義でもなんでもなかった。付き合う前から、どんな些細な職場の出来事も話してくれたから。

「遊びに来てよ。新しいお家。紹介するし」

「そんなこと出来るわけないだろ。もう終わりなんだろう」

「え? 何が?」

「何が、って。最初は引越しする、とか言っておいて、結婚する。それも2回目だって。そんな話聞いてない」

 僕は少し息を荒らげていた。漫画なら鼻の穴から蒸気のような煙が出ていただろう。若干の洟水は出ていたと思う。

「結婚するよ。お母さんがね。再婚なの。それで新しいお父さんが出来るの。それで大きな家に引越しするの。しばらく忙しくて会えなくなるけどね。でも、隣の市だから、いつだって電車で行けるし、もし、出してくれるなら車で来てくれてると助かるんだけど」

 早とちりだった。僕の勇み足だった。

「だから、就職活動、頑張って。応援してる。当分のデート代は大丈夫よ。任せて。それより、就活に専念してね。今日のデートも楽しかった」

 彼女は声を上ずらせながら、意気揚々と僕に話しかける。そして続ける。

「今度さ、お父さんとお母さんと交えて、引越しパーティーするんだけど、来ない? 新しいお父さんがお酒が好きでね、武もお酒好きじゃない? でもいつも運転ばかりで大好きなお酒我慢してるでしょ? だから、おいでよ。その時にお母さんとお父さんに武のこと、紹介しようと思って」

 饒舌に淀みなく流れる言葉の数珠つなぎのような一言一言を僕は噛み締めて聞いた。

「俺、頑張るよ」

 彼女の大凡7行は使っているセリフに対して、一言しか返せない自分がいた。

「頑張ってよぉ。だって、私みたいな女を幸せにするなら、相当頑張らないと。なんて、冗談よ。もう、十分頑張ってるよ。聞いたよ。寛子から。武、心の病気で仕事辞めたんだって? 無理してたもんね。朝から晩まで。デートもすっぽかして。しばらくゆっくりして、次の武にあった仕事探したらいいよ。武のいいところは、面接官でも人事でもなく、この私が一番よく知っているから」

 なんだろう。頼りない自分がいる。でも、なんだか、認められたような気がした。薬を飲んでも、いろんなクリニックにもお世話になったけど、胸のつかえは取れなかった。なんだろう。彼女の一言がすごく楽になった。

 そして彼女が続ける。

「あのね。一つだけ。私の旦那さんに内定を出します。あ、ちなみに内定辞退は許さないからね」(了)

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 絶妙な言葉選びの彼女さん、好きです。
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