トレード
2年ぶりの更新です。随分前に書いたものをブラッシュアップしました。
くだらないゲームをずっとやっていたような気がする。君と僕の恋愛ゲーム。どちらかが勝ちでどちらかは負けなんだろうけれど、引き分けがずっと続くような、シーソーゲームでもなく、ただ冗長なゲームだったように思う。
喫茶店の片隅でアイスコーヒーにミルクを入れるか入れないかで10円の差が出ることを、君は細いようだけれど、17回で一杯の得だと笑った。
そんな経済観念が好きだった。僕は無駄遣いはしない方だったし、君だって君の日頃の始末具合を見ていればそんな派手な子でないことぐらい僕もわかっていた。
二人だけにわかるルールがあった。ルールというか、つまり二人だけの目印が、そこにあって、それに向かって何かゴールみたいなものを決めて突き進んでいったような気がする。
ロールプレイングのようなものだった。役割があって。君は当然のように僕の母親みたいなものだった。幼い頃に母親を亡くした僕にとって、また男兄弟しかいない僕にとって、大人の女性として認識した最初の女性が君だった。君は僕の一挙手一投足に母性本能をくすぐられる、といって本当にケラケラ笑った。まるで僕がくすぐったいかのように。
いつのことだか覚えていないが、雨が降っていたことだけは覚えている。いや、むしろ君と何かあったときはほとんどが雨だった。無論、初めて二人が会った時も。ただ、雨が二人を引き寄せたといっても言い過ぎではないと思う。
僕が君と初めて出会ったのは、ある雨の日の夕方の帰宅ラッシュの時間だった。駅ナカのコンビニで傘を買おうと僕が手を差し出すと、同時に君も傘に手が伸びた。傘は残り一本だけになっていた。
「いいですよ、どうぞ」
僕は確かそのようなことを言って傘を君に譲ろうとした。
「いえ、大丈夫です、あ、あの、お住まいは近くですか?」
君のか細い声が僕の耳が拾う周波数にちょうど合っていた。心地よい耳の震えが君の声を捉えた。
「はい。そこの角を曲がったところです」
「あ、私もその方向なんです。よかったら、一緒に帰りませんか?」
積極的な女の子だと思った。でも、よくよく考えたら、こんなルックスの僕だったから、警戒心がなかったのかもしれない。
二人は傘を半々で出し合いってレジで支払いを終えた。
「領収書をください」
君は笑顔でそう言って、領収証を受け取った。この時点でしっかりしている子だな、というのが第一印象だった。
二人は一緒の傘に入って、大通りを南に向かって進んだ。
「あの。もしかして、Y中学校に通ってませんでしたか?」
君は僕の母校である中学校の名前を出した。
「え? 何で?」
「いや、さっき、ちらっと社員証が見えたんですが、私のお姉ちゃんの元彼と同じ名前だったんで」
「あ、社員証、しまうの忘れてました」
僕は慌てて鞄に社員証を片付けた。
「お姉ちゃんってもしかして、悠さんですか?」
「え? やっぱり」
君は俯きながら照れるようにそう言って僕の方を上目遣いでちらっと見た。
「お姉ちゃんの元彼のトウマさんですよね。やっぱり、そうだ。いや、姉がね、駅でちょくちょく見かける、って言ってたんです」
「そうなんですか。いや、それなら声をかけてくれたらよかったのに」
「あ、でも、姉は声をかけませんよ。だって、最後に『もう二度と合わない』って言って別れたから、って言ってましたから」
そういえば、最後にもらった手紙にそんなことを書いてあったのを思い出した。別れる最後の最後で、もう会うこともないから、って。その最後すら会うこともできなかった。
君は僕に名刺を求めてきた。僕は名刺入れを胸ポケットから出して君に一番上の名刺を差し出した。
2週間後の雨の日。帰りの電車の中で君を見かけた。緑色の細い傘を持っていた。僕は小さな折りたたみを鞄に入れていた。
声をかけようかどうか迷っていた時、君の方から声をかけてきた。
「あ、トウマさん、お久しぶりです。十四日ぶりですね」
君の細かい性格は日頃のこういった何気ない会話からも読むことができた。繊細な神経なのか、それとも数字に強いのかどうかわからなかった。
「職業柄、七の倍数だとつい意識してしまって」
君は初めてそこで自分が薬剤師であることを打ち明けた。薬学部を卒業し、パートとして薬剤師の仕事に就いていることを明かした。
草臥れたスーツのサラリーマンたちが、ゴロゴロといる中で、私服の僕は肩身が狭かった。
君が声をかけてくれたから、僕は楽だった。むしろ、君があの悠さんの妹だってことはさっ引いても僕は君に一目惚れをしてしまったようだ。
初めての夜は身震いがした。君のお姉さんの悠さんとは中学の時に少しだけの恋に落ちただけで、そういう男女の関係にならなかったのだから。
僕は悪い男だった。君を胸の中で抱きながら、その柔らかな乳房やしなやかな首筋を触りながら、悠さんのことを想像していた。悠さんを抱いている気分になっていた。いや、むしろ悠さんは君なのかもしれない。あってはならないことかもしれないが、君を好きでいようとすればするほど、むしろ悠さんとの昔の恋心が再燃するような気分になった。
また雨の日だった。君は子どもができた、とやや戸惑いながら僕に言ってきた。僕は純粋に嬉しかったし、それが逃げようとか、隠れようとか、誤魔化そうなんて気持ちはさらさらなかった。むしろ、子どもができることによって、君と一生を添い遂げることができるんだ、という前向きな気持ちになった。
こんなエピソードがある。クリスマスのデートで映画を見にいった時、帰りに百貨店に寄って、子ども服売り場にいった。二人で小さな靴や洋服を見て、かわいいね、って言いながら、僕はそんな悠さんを心底可愛いと思った。そしてそんな悠さんの妹と実際にこういう関係になるなんてことは想像だにしなかった。
僕はそれまでフラフラしていたけれど、真剣に人生を考えるようになった。一人の人間の親として、しっかりとしなければならない、と思うようになったのだ。
実際に子どもが産まれてからのことはあまり覚えていない。なにしろ無事産まれてくれるかどうかという心配が先で、後のことは考えていられなかった。
二歳を過ぎて話し始めた時に、ふと、娘から考えさせられた。娘にある時、こんなことを聞いた。
「パパは何歳でしょう」
それはごく簡単な質問だった。
「えっと、パパは二歳」
それは意外な答えだった。そう、娘にとっては僕は父親として二歳なんだ、まだ父親になって二年なのだ。娘の答えで自分がまだそういう段階であることを初めて認識した。
それ以来、自分の歳を聞かれると自分は娘の年齢と同じだけの父親としての年齢を自覚するようになった。
娘は手のかからない子だった。親としては楽だったけれど、手のかかる子の方が可愛いという話を聞くたびに疑問が残る。手のかからない僕の娘も同様に可愛いはずなのに。
乾杯の音頭を娘婿の上司がとる。いつになく晴れやかな娘の姿に目が潤む。ちょうど二十三年前、病院で初めて対面した時のことを思い出した。そして、僕は今、ようやく二十三歳になった。父親として目出たくこの日を迎えることができた。
頼りない父親だったに違いない。何も父親らしいことはしてあげられなかった。むしろ、嫌な思いをさせたに違いない。
でも、娘の最後の手紙が心に沁みた。
「お父さんの子どもで幸せでした」
馬鹿だな。逆だよ。君のお父さんになれたことが何よりの幸せだってこと。
ユウタくん、君は私の娘が選んだ人だ。もし君がとんでもない男だった場合は、そんときは、そんな君を選ぶような娘に育てた僕の責任だ。全責任は僕が持つ。何かあった時は僕を頼ってよしい。頼りない父親だけど、牛蒡のようなヒョロヒョロの僕だけど、なあに、君たちを支えるぐらいの力はあるさ。
最後までお読みいただきありがとうございます。またどこかでお会いできれば嬉しいです。




