File5-7「異変」
「あ、イルタ管理官起きたぁ?」
「アラタ管理官だ。具合はどうだ?」
偵察から戻ってきたサテナがアラタを見るなり、表情を輝かせる。その傍らで名前に修正を入れた後、カイもアラタの傍に駆け寄って気遣ってくれた。
「ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」
アラタはサテナとカイにそう声をかけると、どこか深刻な表情で黙り込んでいるヒューズたち三人を振り向く。
「件の『鬼』の痕跡はいかがでしたか?」
ツナギがヒューズに問いかける。
「キトラ管理官によれば、この境界域で綺麗にぱったり途絶えているそうだ」
答えたのは、アリスだった。その眉間に深いしわを刻んでいる。
「その痕跡の消え方が少し引っかかる。あの鬼はこの境界域を通ってきたというよりは……」
「ここで生まれて、そのまま異世界シャルタへ侵入した。そう捉える方が自然かと思われます」
ヒューズの後をキエラが言葉を添えた。
「ここで生まれた……?」
オギナが首を傾げる横で、ツナギも顎に手をやって考え込んでいる。
「境界域で、『人工魔王』を生み出す実験でもしていたのでしょうか?」
「その推測が今のところ有力だろうな。まだその首謀者がいるかもわからない。ひとまず、境界域の中心に行ってみよう」
ヒューズの指示に、アラタたちは魔動二輪にまたがった。四台の魔動二輪が境界域の回廊を疾走する。
境界域では魔動二輪の駆動音、石畳とタイヤが擦れる音ばかりが辺りに響く。
静かすぎて、アラタはとても落ち着かなかった。まるで自分以外の人間がすべて消え失せてしまったかのような寂寞感が膨れ上がって来る。
「本当に、静かだな」
アラタは思わず声に出していた。アラタの後ろに乗っているオギナも、景色へ目を向けたまま頷く。
「境界域は異世界と異世界の狭間に存在する境界線だから、空間気圧も発生しない。まるで嵐の中心、あるいは永遠に凪の瞬間が支配している空間って感じだね」
正直、居心地悪くてどうにかなりそう、とオギナが苦笑した。
その言葉に、アラタも口元を緩めた。
居心地の悪さを感じているのが自分だけでないと知り、人知れずホッと安堵した。
「あ、境界域と言えばねー」
アラタとオギナの前を走る魔動二輪の後部座席で、サテナがくるっと体の向きを変えた。ギョッとするアラタとオギナを前に、サテナは続ける。
「まだ異世界間連合や異世界間仲介管理院が創設されるよりもうんと昔……境界を定めることを司っていた神さまがいたんだって!」
「え、そうなんですか?」
アラタとオギナは首を傾げた。
養成学校時代、神々の歴史についてはそれなりに勉強してきたつもりだ。
しかし、古神聖時代――異世界間連合発足以前の神々の時代に関する資料はほとんど残されていなかった。知られていない神々の歴史も多い。境界を司る神というのも、もしかしたらそういった埋もれた歴史のうちの一つなのかもしれない。
「うん。境界域はその神さまが神々の争いを押さえるために設けた空間で、全盛期にはあらゆる力を封じ込めた監獄としての役割も担っていたんだって!」
「おい、サテナ管理官。その話は……」
「いいじゃん、こういう状況なんだし。それに、途中で話を止められた方が後味悪いよ」
運転に集中していたカイがサテナを咎める。
しかし、サテナは取り合わなかった。
サテナの顔に、悪戯っぽい笑みが浮かんだ。
「けれど、当時の神々の世界は無法地帯だった。いわば神々の戦乱時代ってやつだね。強い神が生き残り、弱い神は淘汰され、あるいは吸収される。そうして世界は誕生と滅亡を繰り返していた」
「そうなると必然、その境界を定める神さまの存在を他の神々が邪魔に思った可能性がありますね」
オギナの指摘に、サテナは嬉しそうに笑った。
「アガナ管理官、鋭い! 境界を定めるってことは、神さまの勢力圏に影響範囲を確定させてしまうことになる。そうなると領土拡大を狙う神さまにとっては、境界を定める神さまは邪魔なんだよ。だから一部の神々が結託して、境界を司る神さまを異端として討伐したんだ。境界を司る神さまはもう大激怒。消滅する寸前にある呪いを境界域に残したって言われているんだ」
「オギナです。呪い、ですか?」
サテナの言葉に、オギナが聞き返す。
アラタも注意深くハンドルを操作しながら聞き耳を立てていた。
「一体、どんな呪いだったんです?」
オギナの問いかけに、サテナの口角がつり上がる。
「神さまの天敵だよ。つまり――『魔王』を生み出したんだ」
「っ!?」
アラタとオギナは息を呑んだ。
「今もこの境界域のどこかに、境界を司る神さまの怨念がこもった呪具が残されていて、境界域に漂う迷魂たちを取り込んで魔王を生み出していると言われている……」
「おい、サテナ管理官。あんまり新人をからかってやるなよ」
カイの低い声が今度こそサテナを強く咎めた。
「カイ管理官、一体どういう意味ですか?」
困惑したアラタの問いかけに、カイはため息まじりに続ける。
「今サテナ管理官がした話は、異世界間防衛軍では新人管理官によく聞かせる怪談話の一つなんだ。魔王の出現領域が境界域と重なることが多いことから、そんな怪談話が生まれたんだろう」
「では、境界を司る神さまも――」
「実際にいたかどうかもわからない。確かめようにも古神聖時代の記録はほとんど残されていないからな。だから、誰かが面白半分にそういった怪談話をでっち上げたんだろう」
カイがため息交じりに呟く。
「ふふんっ、場所が場所だけに臨場感あったでしょ! どう? 少しは気が紛れた?」
サテナの無邪気な笑顔を前に、目を吊り上げたアラタとオギナは同時に叫んだ。
「紛れるかっ!!」
「おい、お前ら無駄話をするな! 周辺警戒を厳に! 任務に集中しろ!」
アラタたちの声を聞きつけたアリスが後ろを向いて怒鳴った。
「まぁ、でもこういった話が語られるようになったのもあながち、間違いではないと思うんだ」
怒る二人を前に、サテナはそう呟いて笑った。彼はおもむろに縮小していた長杖を元の大きさに戻す。
「サテナ管理官、何を――」
アラタが口を開きかけた瞬間、サテナは長杖の先端を虚空へ向けた。
その翡翠色の瞳が、鋭くなる。
「管理官権限執行、光矢!」
サテナの周囲に無数の魔法陣が展開し、そこから光の矢が虚空に向けて放たれた。
ギャアアァアアアァッ!
耳障りな断末魔が、それまで何もなかった空間から発せられる。
アラタは慌てて魔動二輪を停車させる。先行していたヒューズやツナギたちも武器を構えて臨戦態勢を取った。
サテナが光の矢を放った空間が揺らぎ、それまで姿を隠していた異形の魔物が姿を現す。蝙蝠の翼を背に生やし、頭に角を頂く魔物は、こちらに向けて牙を向き出して威嚇してくる。その魔物は異世界シャルタで交戦した『鬼』と同じ、こちらの背筋を凍らせるような圧を全身に纏っていた。
「あれは……?」
アラタとオギナが武器を構える横で、長杖で己の肩をとんとんっと叩いていたサテナは思案気に唸った。
「うーん……境界域は環境的に魔物が住みつけない場所だからね。たぶんだけど、目の前の魔物は――」
サテナの目が虚空を飛翔する異形を油断なく見据えた。
「この境界域で起こっている『異変』の一つだと思うよ」
サテナの指摘に、アラタは構えた双剣の柄を握りしめた。
異形の魔物の一匹が牙を向き出し、金切り声を上げる。すると魔物たちが一斉に降下し、アラタたちへ襲い掛かってきた。
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