File5-6「境界域と迷魂」
アラタが目を開くと、そこは暗い洞窟のようだった。
鍾乳石から水滴が垂れ落ちる。落ちた雫は水たまりに波紋を描き、いくつもの音が洞窟の壁に跳ね返ってどこまでも広がっていく。
「ここは……」
アラタは身を起こすと、周囲を見回す。
洞窟の壁には、強い魔力を宿した魔力石が薄赤く発光していた。
アラタは立ち上がると、魔力石で覆われた洞窟を呆然と見つめる。
「ここ、知っている……?」
アラタは早まる己の鼓動を感じながら、洞窟の魔力石から目が離せなかった。
それはひどくおぼろげで、頼りない感覚だった。
それでも、アラタはこの洞窟の景色を知っていた。
「タダシ元・管理官との戦闘中に、頭をよぎった景色だ……」
アラタはぐるりと視線を巡らせ、背後を振り返る。
そこには洞窟の奥へと続く道があった。
人工的に整備された、石の通路だ。通路の壁にはこの洞窟の奥に鎮座する存在を崇め、奉る浮き彫りが連なっている。
ふらふらとアラタの足が石の通路を進む。
どうして、ここへやってきたのか。
アラタは胸の内で疑問を呟く。
管理官として初めて訪れたはずの洞窟を、アラタは躊躇なく進んだ。分かれ道にも、迷うことはなかった。ずっと昔に訪れたことがあるように、アラタの足は自然と洞窟の奥を目指す。
「うっ……」
アラタはずきりと痛む頭を押さえた。
洞窟の奥へ進むにつれ、ひどい頭痛が押し寄せてくる。アラタの額に汗が浮く。タダシ元・管理官との戦闘の際に感じた、自分の中にわだかまるものが表へ出てこようとしているようだ。アラタの歯がガチガチと震える。
――怖い。
アラタの意思は、これ以上奥へ行くべきではないと警告している。その一方で、ひどく焦がれる想いが、アラタの足を進めた。
通路の欠けた場所につま先をひっかけ、アラタは壁に手をついて体を支える。ビリッと手のひらに痛みが走った。弾かれたように壁から手を離す。
そこには一匹の竜が描かれていた。
「そうだ……この世界では竜が神聖視されていて、神に代わって世界の頂点に君臨していた……そして、俺は追われていて……ここに逃げ込んで――」
呆然と呟きながら、アラタは己の手を見つめる。霞がかかる記憶の中で、アラタは確かに昔、この場所で、この壁に手をついて息を整えていた。
そうして、アラタは顔を上げた。
「そこで、俺は『彼』と出会ったんだ……」
浅い呼吸を繰り返す。早鐘のように脈打つ己の心音を聞きながら、アラタは己を見下ろす双眸を見上げた。その巨大な存在は、威厳に満ちた声でアラタにこう告げた。
――誰だ、我が領域に足を踏み入れた存在は。
記憶の中で発せられた声に、アラタは思わず手を伸ばした。
「エヴォルッ!」
アラタの唇が、目の前の巨体を前にそう叫んだ。
すると、何者かがアラタの肩を強く掴んだ。
「アラタ管理官!」
強い力で肩を揺さぶられ、アラタはハッと目を覚ました。
ゆっくりと顔を向ければ、アラタの肩を掴んでこちらを見下ろしているツナギの顔があった。
彼女のどこか焦った様子の表情を前に、アラタはなぜか泣きたくなった。深い安堵に、アラタはゆっくりと深呼吸する。
「ツナギ管理官……ここは――」
身を起こした途端、ひどい痛みがアラタを襲った。
「アラタ、平気?」
咄嗟に額を手で押さえて呻くアラタの背を、オギナの手がさすっていた。
「少し、頭が痛くて……」
「空間気圧の乱流に飲まれた時、頭を打ったのかもしれんな」
ツナギが右手の鉄籠手を外すと、アラタの額に触れた。彼女の手のぬくもりに、アラタはホッと息をつく。
「管理官権限執行――」
ツナギの右手から光があふれる。
するとあっけないほど、頭痛が引いていく。
「ありがとうございます、ツナギ管理官。おかげで、楽になりました」
「……気にするな」
ツナギは険しい顔でアラタの様子を見つめた後、そっけない口調で言った。
「さて、状況説明に移っていいか?」
「は、はい。お願いします」
右手に鉄籠手を素早く装着すると、ツナギは立ち上がって腕を組んだ。
オギナの手を借りてアラタも立ち上がる。
「まず死傷者はいない。全員無事だ。ここは異世界シャルタと異世界アルノダの間にある境界域。ヒューズ管理官を含めた五名の管理官たちは周辺状況を確認すると言って調査に出向いている」
そろそろ戻ってくる頃だろう、とツナギは周囲に視線を向けた。
アラタも改めて周囲を見回す。
そこは夜空の広がる空間だった。
夜空の中に浮島のように真っ白な大地が浮かび、そこに柱がいくつも並んでいる。どれも劣化が激しく、中には崩れて通路を塞いでいるものもあった。夜空の世界に、複雑に絡んだ回廊が無数に伸び、果てが見えなかった。
「ここが、境界域……」
神々が治める世界と世界の狭間は、生命の立てる音が存在せず、キンッと耳鳴りを起こすほどの静寂に満ちていた。
そこにふと、視界に過る光があった。力なく瞬いている光の群れに、アラタの目が自然と向く。
「見るな、アラタ管理官!」
すかさず、ツナギの鋭い声がアラタの行動を制した。
アラタは体を震わせてツナギを振り返る。
ツナギの表情は、どこか焦りを滲ませている様子だった。
「ツナギ管理官?」
アラタの戸惑った様子に、ツナギは小さく息をついた。
「ここは境界域。神々の統治が及ばない不法地帯だ。迷魂に引きずり込まれるぞ」
「迷魂に、引きずり込まれる?」
ツナギの顔に焦点を定めたまま、アラタが首を傾げた。
「迷魂は死神たちがどこの世界にも導くことができない魂だ。その迷魂の大半は、どこかの世界へ辿り着くための、こうしたいという心残りや意思が存在しない『虚しさ』の塊とされている。しかし、迷魂はそれだけでは生まれない」
「つまり、迷魂が抱いている何らかの感情が、神々の治める世界への転生を妨げている、と?」
オギナの問いかけに、ツナギは無言で頷く。
「では、その転生を妨げている感情を取り除くことができたら、迷魂たちも転生することができるということですか?」
表情を和らげたアラタに、ツナギは目を鋭く細めた。
「そんなことができるなら、すでに実行されている。こればかりは、異世界間仲介管理院の管理官や神々にもどうにもできない」
ツナギはそこで一瞬だけためらうように口をつぐんだ。
しかし、すぐに口を開く。
「迷魂の核となる感情は、神々への不信――世界や神々に対して絶望を抱いた魂が、神々や世界を拒絶しているんだ。そして、アヴァリュラスの永獄以後、神々もまた……神である己に不信を抱く魂を受け入れたいとは思わない。そして、異世界間仲介管理院は異世界へ魂を送り出す立場だ。行き場のない魂、それも年々増え続ける迷魂を保護し、受け入れることはまず不可能だ」
ツナギの言葉に、アラタは顔を強張らせた。
「そんな……では、迷魂はどこへも行けないというわけではなく――」
「神々に見捨てられた魂――それが『迷魂』の実態だ」
ツナギの言葉に、アラタは頭を殴られたような衝撃を受けた。
アラタは呆然と立ち尽くし、静かな世界で漂う光の群れを見つめるばかりだった。
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