File1-7「友人の助言」
中央塔へ戻る道中、アラタは園長の言葉を何度も思い返していた。
どうかあの子と向き合ってあげてほしい。
園長の言葉の後に、脳裏を過るのはあの生意気な少女の顔だ。
なんで、俺なんだよ……。
アラタの顔が、自然と険しくなる。
待魂園の職員はいい人たちばかりだ。
世話好きであるし、人との距離を即座に測れる能力もある。
だからこそ、クセ者揃いの転生者の生活の面倒を見ることができるのだ。
むしろ事務手続きを業務の主軸に置いている管理官より、ずっと転生者のことを理解している人たちだ。時には待魂園の職員たちが、上手くやり取りがまとまらない管理官と転生者の仲立ちをすることもあるほどだ。そんな待魂園の職員たちが、相沢百香へのケアを実質お手上げだとアラタに言ってきたのだ。
それほど扱いに困る転生者を相手に、就任したばかりの新人管理官では太刀打ちできるわけがない。
「別に……俺じゃなくたっていいだろう」
管理官は他にもたくさんいる。自分よりも優れた管理官の替えはいくらでもいるはずだ。
今からでも担当替えを申し出るか。
人ひとりの人生がかかっている。己の限界を見極めることも、業務上では必要なことだ。
それでも、アラタの中ではいまだに踏ん切りがつかない。
「そりゃ、できるんだったら……」
それ以上の言葉が続かなかった。
アラタだって、百香の知らない一面を見た。アラタと園長との間においても、百香への印象にはズレがあった。手元の資料には記載されていない、まだ知らない百香の一面があるのだとアラタは思い知った。
園長の語ることが真実であるならば、力になりたいとも思った。
けれど、俺じゃ無理だ、とアラタは項垂れる。
人並みの社交性はあると思っている。けれど、相手が他人に見せない心の内を、会話を通して上手く引き出す器量は持ち合わせていない。
それこそ、同期のオギナならばどうだ。
彼ならば百香の感情を汲み取って、うまく彼女を誘導できるのではないか。
「おっ、アラタ。お疲れ」
噂をすれば……、とアラタは足元に向けていた視線を上げた。
「オギナ……」
「また例のお姫さまに振り回された?」
そう言ってアラタに笑いかけてきたオギナだったが、アラタが黙り込んでいる様子にすぐさま態度を切り替えた。
「帰る前にちょっと事務室で休憩していこうか。今日、他部署の女の子からもらった差し入れのクッキーがあるんだ。一緒に食べよう」
事務室へ一足先に入っていく友人の背を眺めながら、アラタは改めて実感する。
本当に、できた友人を持ったものだ。
不覚にも、涙が出そうになった。
オギナがコーヒーの用意をしている間、アラタはただぼんやりとファイルを指先でいじっていた。
「はい、淹れたてだから熱いよ」
コトリ、と湯気の上がるマグカップが机に置かれた。
「ありがとう……」
アラタは差し出された小箱からクッキーを摘まむと、それにかじりついた。わずかに塩の辛さが舌に残る。甘すぎない素朴さが、コーヒーに合う。
アラタはマグカップから立ち上る湯気に、ふっと息を吹きかけた。
「さて、何があったのかな?」
オギナはアラタの机に寄りかかり、持参した塩をコーヒーへ振りかけながら聞いてくる。
アラタは一口、コーヒーを胃へ流し込んだ。
少しの間黙った後、待魂園であった出来事をぽつりぽつりと話し出す。
アラタから事情を聞いたオギナは何故か共感の声を上げた。
「あぁ、俺も百香ちゃんの気持ちわかるなぁ。アラタってなんとなく話しやすい雰囲気だし、園長も百香ちゃんが懐いているアラタに頼りたかったんだろうね」
「……今、褒められても嬉しくない」
憮然とした顔のまま、アラタはずずぅっとコーヒーをすする。
オギナは困った顔で肩をすくめる。
「アラタはさ……百香ちゃんについて、どこまで知ってる?」
オギナが急に真面目な顔で尋ねてきた。
「事前にもらった資料なら読み込んだ。いつも持ち歩いているファイルに綴じてある」
アラタはデスクに投げ出したままのファイルを掲げる。
転生者の生前の経歴をまとめた報告書だ。
転生者を受け入れた際に、先導者から引き継いだ内容を記録している。
「たぶん……それだけじゃ今回の仕事、失敗するよ」
オギナは目を細め、断言した。
「っ……それは……」
言い返そうとしたアラタだったが、結局、何も言えずに沈黙する。
薄々、アラタ自身もそうではないかと感じていた。
オギナは虚空へ視線を投げ、ふとこぼした。
「ねぇ、アラタ。百香ちゃんってさ、本当にわがままな女の子なのかな?」
アラタは黙ったまま、波打つコーヒーを見つめていた。
「ただわがままなだけの女の子がさ、誰かを手伝ったりするかな? 自分の欲求を満たすためだけだったら、相手が自分をどう思っていようが関係ない。そういう人は他人を当たり前のように顎で使う。言い方悪いけど、都合のいい駒として自分から進んでその辺の人を捕まえるはずだ。人の輪から離れること……一人になることになんらメリットがないからね」
「少なくとも、俺の前ではわがままだ。無理難題を押し付けてくる」
アラタは静かにこぼした。オギナも無言で頷く。
「そうだね。他の人の前ではいい子に振舞う。そして人を避けて動き、相手が一人の時……それも女性に限って会話をする。わがままをぶつける相手、それも異性はアラタだけだ」
オギナはゆっくりとコーヒーをすすった。
我ながら絶妙な塩加減だ、とオギナは満足げに頷いている。
「俺は直接会ったことがないから、あくまでも君から話を聞いて思った印象だけれど。俺には百香ちゃんが、必死に助けを求めているように思えるよ」
「助けを?」
アラタが解せないと言わんばかりに眉根を寄せた。
「人は加減の違いこそあれ、わがままなものだよ。そして、相手から自分の弱みを隠そうとする行為は、生物が必ず持っている本能だ。自分が弱っていることを知られたら、それが肉体的にも、精神的にも死に繋がることもある。『助けて』って言葉は、時に相手に伝える際、ひどく勇気がいる場合もあるんだよ」
オギナはアラタを真っ向から見据えた。
「ねぇ、アラタ。百香ちゃんは、本当に強い子かな? 僕らの助けを本当に必要としていないくらい強いなら、どうして身を隠し、逃げる必要があるの?」
「それは……」
アラタは百香の主張を思い返す。
――私は異世界転生できる特別な人間なの。
――唯一生き残った国の国王に溺愛された、その世界で唯一の王妃になるの。
――絶世の美少女で何でもできる魔法が使えて、超モテて、武術ができて空も飛べて私に絶対忠実なイケメンの従者がほしいの。
それは裏を返せば、最初から周りを頼らずに生きていけるようにしようとしていないだろうか。そして同時に、周囲から害意を向けられてもいつでも対処できるように備えようとしていないだろうか。
「っ!!」
がたっと椅子を揺らし、アラタがオギナを振り返った。
アラタの口がぱくぱくと動く。咄嗟に言葉が出てこない様子のアラタだったが、その大きく開かれた両目には確かな意思が見て取れた。
その真っ直ぐな黒い目が物語っている。
アラタが何かを掴んだ証拠だ。
オギナは満足げに笑うと、コーヒーを一気に飲み干した。
「さて、俺も今日は疲れたからこのまま寮に帰るよ。アラタはどうする?」
一度大きく伸びをしたオギナが、アラタを振り返った。
「少し……資料を整理したい。先に戻っててくれ」
「わかった。根は詰めないようにね」
オギナはそう言って、自分とアラタのマグカップを片付けると事務室を出ていった。
後ろ手で扉を閉めたオギナが、そっと笑う。
「ほら、大丈夫だろ。君ならできるさ、アラタ」
正しいと判断したなら、相手が誰であろうとその意思を突き通す。
それこそ、オギナが知る友人のアラタだ。
オギナの背を見送り、アラタはデスクの脇に積み上げられた書類を数枚、ゆっくりと引き抜いた。足元の引き出しから、研修以来しまい込まれたままだった業務マニュアルを取り出して広げる。
ペンを握ると、ノートの紙面にさらさらと文字を書き込んでいく。
中央塔が閉館するギリギリの時間になるまで、アラタが残っている事務室の明かりが消えることはなかった。
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