File1-6「アラタの戸惑い」
「アラタ管理官……少し、よろしいでしょうか」
百香との面談で疲れ果てたアラタは、帰り際に園長からそう声をかけられた。
遠慮がちな様子の彼女に、アラタはすぐさま笑顔で返す。
「問題ありませんよ」
危ない危ない、仕事中だ。
アラタは緩んだ気持ちを即座に引き締める。
養成学校時代も散々、「就寝するまでが仕事」と叩き込まれたではないか。
アラタは園長の案内で園長室に入る。
テーブルを挟んで彼女と向き合った。
椅子に腰かけた園長の顔を見ると、どこかやつれている。
異世界転生仲介課に配属された直後、園長への挨拶に訪れた折にはもっと顔色もよかった。
「何か、心配事でも? 顔色が優れないご様子……」
アラタがそう声をかけると、園長は疲れたように息をついた。
「ご心配、痛み入ります。話というのは、アラタ管理官が面談されていた相沢百香さんのことなのですが……」
正直、予想はしていた。
それでも、アラタは内心でざわつく不快感を拭えずにいた。
「もしや、無理難題を突きつけて園長や待魂園の皆さんにも迷惑行為を?」
アラタはずばり聞いた。
過去に、転生者の中で傍若無人な振る舞いをする者もいたと記録にある。
そういった迷惑行為を引き起こす転生者は、管理官権限の下に封魂監への一時的な隔離を行うことができる。
現在、待魂園で生活している転生者は百香だけではない。彼女の言動によって、転生者の生活を支援する職員が疲弊しているとしたら、他の転生者への行き届いたケアができなくなる。
それは大問題だった。
「確かに今回のように急にいなくなることが何度かありますが……百香さんご本人はとてもいい子ですよ」
園長の言葉は、アラタにとって予想外だった。
あのワガママ娘が、いい子? 園長は嘘が下手だ。
すぐさまアラタの中で反論したい気持ちが鎌首をもたげる。
それを僅かに残った理性でぐっと抑え込む。
「……園長のお気持ちはわかりますが、百香さんの迷惑行為によって、待魂園で生活する別の転生者が不自由を被っていては意味がありません」
アラタは努めて平静な口調で告げた。
「アラタ管理官、百香さんは本当にいい子ですよ! この前も、女性職員が重い荷物を運んでいたら手伝ってくれたと言っていました。花壇の水やりだって、自ら進んで申し出てくれます」
園長はやや強い口調で百香を擁護した。
アラタは園長の言葉が信じられず、思わず首を横に振った。
何故こうも、アラタの知る百香と、園長の知る百香の印象が食い違うのだ。
「確かに……百香さんは男性の職員とは距離を置いていますから。彼女があんなに親しくしている異性は、アラタ管理官くらいです」
園長は自分を落ち着けるように、そうつけ加えた。
「はぁ……」
アラタはどう返答したものか迷った。
結局、口から出たのは気の抜けた相槌だった。
「それに、夜……百香さんは自室にと割り当てられた部屋にいないことが多いんです。当初は職員全員で園内を探し回って連れ戻したり、門番さんも交代で園内を見回ってくれたりしていたんですが……最近では園内から出ないのであれば本人の好きにさせようということになりまして」
「……なるほど」
夜、部屋を抜け出して園内を徘徊する。
転生者の中には、大なり小なりトラウマを抱えていることが多い。そのせいで、奇妙な行動を取る事例は過去にも報告されていた。
取り立てて、百香が特別におかしいわけではない。
「百香さんは、一対一なら普通に話せるんです。でも、周りに複数の人がいる場所では、すぐに逃げ出してしまって……」
「人を、避けているということですか?」
アラタの確認に、園長は首を縦に振る。
「職員に対してだけではありません。同じ境遇の転生者とも、馴染む様子はありません。むしろ、積極的に逃げ回っていると言っていいでしょう」
園長はアラタに縋るような視線を向けた。
「アラタ管理官。私たちでは、百香さんの心のケアをするには限界があります。本来、私たちが担うべき役割を、管理官であるあなたにお願いすることはあってはなりません。ですが……」
園長はそっとアラタに向けて頭を下げた。
「短い間とはいえ、どうかあの子と向き合ってあげてほしいのです。本当のあの子を見て、あの子が幸せになれるよう導いてあげてください」
お願いします、と弱々しい声が何度も続ける。
アラタはただ園長の頭を呆然と見下ろしていた。
返す言葉が出てこなかった。
アラタが知る百香は、自分の欲求に忠実で好き放題に行動する女の子だ。
しかし、先ほど垣間見えた彼女は、アラタのまったく知らない少女だった。
アラタは、自分の両手に視線を落とす。
ほんの一か月前に、管理官になったばかりだ。
自分に、そんな大層なことができるとは思えなかった。
「私は管理官です。けれど所詮、就任して一か月を過ぎたばかりの新人です」
管理官たるもの、常に威厳のある姿勢を貫き、相手を不安にさせる言動は慎むべし。
養成学校時代の教えだ。
目の前で頭を下げてくる園長に「任せてください」と言うことが、アラタにはどうしてもできなかった。
案の定、不安そうな顔でこちらを見つめてくる園長に、アラタは目をそらした。
「できる限りのことはします。けれど……今の私に、園長の要望に対して、必ずできると確約することはできません」
「ええ、それで構いません。ただ、気にかけてくださるだけでも。私たち待魂園の職員一同、今後とも変わらず百香さんの生活支援に努めてまいります」
明らかにこちらを気遣った園長の言葉に、アラタは言い知れぬ苛立ちを自分の中に感じた。
管理官のくせに、情けない。
そんな言葉が、アラタの中にいつまでも居座っていた。
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