File1-3「アラタの怒り」
つかつかと靴音を鳴らし、荒れる呼吸をそのままにアラタは回廊を進む。
道行く人々が遠巻きにこちらを眺めてくる。ひそひそと囁かれる声を振り切るように、アラタは脇目も振らずに通り過ぎた。
あいにく、今のアラタに周囲を気にする心の余裕はなかった。
できることなら、狂ったように叫んで廊下を全力疾走したいほどだ。
……規則なのでしないけれど。
やがて、ある部屋のプレートが目に飛び込んでくる。
「異世界転生仲介課」
アラタはノックもせず、事務室の扉を開け放った。
「おー、荒れてるねー」
事務室で作業をしていたオギナが、デスクから顔を覗かせる。
山積みにされた資料の間から顔を覗かせる同期のもとへ、アラタは無言で歩み寄った。
オギナの向かい、自分の座席にたどり着く。
もう我慢の限界だった。
「っざけんなよ!! ガキがっ!!」
アラタは溜め込んでいた鬱憤を叫びに変えた。
ダンッ、と脇に抱えていたファイルをデスクに叩きつける。
咄嗟にオギナは両腕を広げ、自分の机に積まれた資料が崩落するのを防いだ。アラタは血走った目で叩きつけたファイルを睨みつけている。
転生者とひと悶着あったのは、一目瞭然だ。
「ふぅ、危なかった……それで? 初めて担当した子はどんな子だった?」
オギナはあえて、落ち着いた声音でアラタに問いかけた。肩で荒い息をするアラタは、しばらく黙っていた。呼吸が落ち着くにつれ、小刻みに震える彼の唇が開く。
「どんな子だった? 最悪だ! 口を開けばやれ特別な力を寄越せだの、生まれ変わるなら絶世の美少女じゃなきゃ嫌だの、散々ごねてっ!! そんなことできんなら、俺だってもっとカッコイイ見た目にしてもらってるっつうのっ!!」
叩きつけたファイルをさらに拳で殴る。
オギナは自分の机の上で頬杖をついた。
ここまで激昂したアラタは久々だ。初めての業務ということもあって、事務室を出ていったときは気合に満ちていた顔も、今では鬼の形相に歪んでいる。
相当、今回の転生者の言動が腹に据えかねたのだろう。
「でも、その子の世界じゃ異世界転生ってだいぶ夢ある感じで描かれているわけかぁ。そのお約束っていうのも、なんだか面白そう。一度、詳しく話を聞いてみたいね」
オギナはアラタに悪いと思いつつ、正直な感想を口にした。
「だからって、妄想しすぎなんだよっ!! 冒険は泥臭いから貴族みたいな生活させろだとか、わがまま言い放題……こっちがどんだけその要求は飲めないって説明してもまったく聞かない!!」
「あはは、異世界って聞いて怖がられるよりはいいんじゃない?」
「よくないっ!!」
アラタは語気を荒げる。
「それに俺はおじさんじゃないっ!! まだ、五三六歳だっ!!」
アラタは顔を真っ赤に染めて、床を蹴った。
「おじさんって言われたのが、一番堪えたわけね」
愚痴を垂れ流す友人を前に、オギナは小さく笑ってしまった。
「とにかく! 世間知らずのお嬢さんがっ!! 何の努力もなしに成功なんて掴み取れるかってのっ!!」
アラタは全身を震わせて天を仰ぐ。
「転生者なんてロクな奴じゃねぇっ!!」
ガツンっと、アラタの後頭部に痛みが走った。
アラタはそのまま、自分の机の上へ顔から倒れ込む。
「あー、ツナギ管理官……お疲れさまです」
オギナが口元に手を当てて、アラタを拳骨で殴った女性を見つめた。
ツナギは鮮やかな紅の髪を無造作に背に流し、健康的に焼けた肌がつるりと滑らかな美女である。豊満な胸を揺らし、ほっそりとしながら肉付きのいい身体を制服に収めている。その全身からあふれ出る気品と高潔な佇まいは、事務室内の緩んだ空気を一気に引き締めた。
「口を慎めっ!! アラタ管理官っ!!」
痛みで悶絶しているアラタを見下ろし、ツナギは一喝した。
「つ、ツナギ先輩……」
アラタは殴られた頭をさすりながら、目じりに涙をためている。
ツナギの拳骨は強烈だ。
異世界転生仲介課に配属されてすぐ、新人を歓迎するとの名目で巨大な岩を拳一つで粉砕してみせる特技を披露した彼女だ。
そのくらい、彼女の拳骨は痛い。
もちろん、アラタを殴る際は力を加減してくれているため、彼の頭が潰れることはなかった。
「新人のくせに、随分な大口を叩くものだな! 貴様はそれほど偉いのか!!」
ツナギはそう言ってアラタを叱り飛ばす。
彼女はアラタとオギナの上司である。同時に、指導教官だ。
部下の不適切な態度を見逃すはずがない。
オギナは、ツナギの前で床に正座してお叱りを受けるアラタの背をそっと見守る。
「……申し訳ありません」
謝罪の言葉を口にしているが、アラタは不満の表情を隠せていない。
そんな馬鹿正直な彼をオギナは友人として好ましく思っているが、一方でかなり損をしていると同情していた。
案の定、ツナギの説教は続いた。
「お前は転生者に対しての態度がなってないっ!! 管理官の心得を忘れたかっ!! 管理官たるもの、私情で転生者を判断することをしてはならないっ!! 養成学校でも習っただろうっ!! もう一度、戻って学び直すか!?」
ツナギの叱責に、アラタは口を真一文字に引き結んで沈黙する。
そんな彼の机に、ツナギは山のような資料を積んだ。
「まずはちゃんと、転生者と向き合えっ!! 自己完結など、言語道断だっ!」
最後にそう言い残してツナギは事務室を出ていった。
嵐が過ぎ去った様を見て、事務室内に居残っていた他の管理官たちもそろそろと動き出す。
気まずい空気の中、オギナは黙り続けているアラタの背に声をかけた。
「アーラーター、平気……?」
「……なんで俺ばっかり」
アラタの拗ねた声に、オギナはそっと微笑む。
「ツナギ管理官は、仕事をする上で必要だから指導してくれているだけだよ」
ツナギは仕事に対してとても厳しい。それは他部署の人からも同情されるほどだ。
そんな彼女が毎日のようにアラタを指導している姿は、異世界転生仲介課における日常風景になりつつある。
「……オギナは仕事ができるからいいよ」
しゅんっと背を丸めて項垂れるアラタに、オギナは苦笑するしかなかった。
今の彼には、何を言っても聞き入れることはないだろう。
なので、すぐさま別の話題を振る。
「ねぇ、今日の仕事終わりに飲みに行かない? 最近発掘した、いい店を見つけたんだ。値段も手ごろだし、たまにはどう?」
「……行く」
アラタは憮然とした表情のまま、それでもしっかりと首を縦に振った。
よろよろと立ち上がった彼は、ツナギが残していった資料の山に手を伸ばす。
黙々と仕事を再開した同期に倣い、オギナも途中だった報告書の作成を再開したのだった。
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