File2-20「勇者の役割」
「そんな……『魔王』とはあのドラゴンではなかったのか?」
痛む頭を手で押さえ、一良は己が倒したドラゴンの死骸を振り返った。
否、と再び一良の脳内の声が告げる。
〝かのドラゴンは魔王の力に引き寄せられただけ。倒すべき真の敵は目の前にいる。故に、命じる。魔王を一人残らず討伐せよ〟
「おにいちゃん、どうしたの? どこかいたいの?」
幼い少女が頭痛で苦しむ一良へ手を伸ばしてくる。少女の手が一良の足に触れた途端、ぐにゃりと一良の視界が歪んだ。
「っ……触るな!」
一良は大きく腕を振って、少女を拒絶する。
パッと目の前で鮮血が散った。
目を見開いたまま、少女が地面に転がる。その白いワンピースが、どす黒い赤へと染まっていった。
「あ……」
一良は己が少女を振り払った腕を呆然と見つめる。
ドラゴンを殺した剣に、ぽたぽたと赤い雫が伝っていた。
甲高い女性の悲鳴をきっかけに、村人たちが一良から一目散に逃げ出す。
呆然とする一良の前に、光の文字が浮かび上がった。
――魔王討伐数、一体。残り、二十三体。
一良の目が、まるで索敵機のように逃げ惑う村人たちの位置を把握した。
どうして……?
一良の身体が、己の意思に反して動く。振り上げた剣が、目前に迫った男性の背を貫いた。
やめろっ……相手は民間人だ!
まるで心と体が引き離されたかのようだ。どれほど一良の理性が叫んでも、体が言うことを聞かない。一良の意思が必死に抗おうとする度に、手にした剣が一つ、また一つと命を刈り取っていく。
何故、こんなことをする? 魔王とは、人を襲う化け物のはずだろうっ!
一良の悲痛な叫びに、あの無機質な声が頭の中で言い放った。
〝否。魔王とは神にとっての邪悪なる存在〟
全身に返り血を浴びた一良は、腰を抜かして動けない女性へ歩み寄る。恐怖に顔を引きつらせ、目を血走らせた女性は「来ないでっ!」と一良を追い払うような仕草をした。
何故だか、その姿にかつての妻の姿を重ねた。
「ああ……そうだ」
どうして今まで忘れていたのだろう。
一良の虚ろな目が、後じさりする女性を通してかつての妻へ向けられる。
妻が妊娠する一年ほど前のことだ。結婚して初めて、一良は妻と口論になったことがあった。
「せめて一日でいいの。仕事をお休みすることはできない?」
妻の母、一良にとって義母に当たる人が亡くなった時だった。
その時、一良はひとつ大きな仕事を任されていた。後に、それがきっかけで昇進することができた案件だった。一良としては是が非でも成功させたいところで、休暇を取ることが難しい時期だった。
身内の訃報だ。参列したい気持ちももちろんあった。
しかし、今を逃せばいつまた機会がやってくるかわからない。
「どうしてもやり遂げなきゃならない仕事があるんだ。お前一人で行って来なさい」
一良は縋る妻の腕を振りほどき、そのまま仕事へ向かった。
安定した生活を妻に捧げることこそ、義母が一良に言った「幸せにしてやってください」という言葉に報いることだ。
一良はそう自分に言い聞かせ、妻に背を向けたのだ。
それが、康秀を家に誘う数か月前の出来事だった。
一良は手にした剣を引きずり、怯える女性を見下ろす。
「来ないで……」
女性の顔に、かつての妻の泣き顔が重なる。
涙を流す女性と、かつての妻が同じ言葉を一良へ投げつけた。
「人でなしっ!」
「――っ、うわぁああぁあああぁっ!」
一良は激しく頭を振り、剣を振り上げる。
掲げた剣先が重力に従って落ち、女性の額へ吸い込まれた。
一良の振り下ろした剣が、地面に深々と突き刺さる。穿たれた地面の周囲へ細かな石が飛び散った。
座り込んでいた女性はそのまま気を失ったようだ。
頬に走った傷から、細く血の筋が顎を伝った。
「違う……」
一良の頬を、幾筋もの涙が流れた。
「私は……こんな、ことのために……勇者になりたい、わけじゃないっ!」
一良が叫んだ途端、パッと目の前の風景が消え失せた。
やがて靄のように辺りが光に包まれると、一良の目にどこまでも広がる星空が飛び込んできた。
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