File2-18「脱走」
皆が寝静まった待魂園。
沈黙に包まれた夜闇の中、園庭へ出た一良は茂みの中で門番の様子を注意深く見守っていた。
ランタンの灯を手に、二人組の門番が交代のためにやってきた同僚と挨拶をかわしている。
引継ぎ事項を伝え終えた門番たちが、ランタンを受け取って門から離れた。
それを確認した一良は茂みから身をのり出すと、壁の突起に手をかける。
どうにか高い壁を登り切り、一休みする。
慣れない高所で気持ちを落ち着ける必要があった。
なんとはなしに顔を上げれば、目が眩むほどの星が夜空を覆い尽くしている。これほどの数の夜空を、今まで目にしたことがなかった。
一良はほぅっと感嘆の声をもらした。
美しい。素直にそう思えた。
やや弾む息を整えた後、一良は再び壁の突起を掴んで反対側へと降りていく。その足が地面につくと、つめていた息がふぅっともれた。
手についた砂を軽く払い、一良は闇に紛れて走り出す。
待魂園を背に、ひたすら北へ進んだ。
雑木林のトンネルを抜けると、広場に出る。
ベンチなどがあることからして、公園のようなものだろう。
綺麗に舗装された石畳の上を駆け、目の前に聳える巨大な建造物を見上げる。
正面玄関と思しき扉からは、あの若い管理官と同じ制服を着た人々が続々と出てくる。ちょうど退勤時間に重なったのだろう。
「あの建物で、普段はあの若い管理官も仕事をしているのか……」
生前は、国の官僚として官公庁の庁舎を行き来していた一良だ。
どこか懐かしさのようなものを感じて、思わず中央塔を見上げる。
デザインこそ西欧の城塞を思わせる建築だが、それが反って荘厳な雰囲気をかもしだしている。
人がまばらになったところを見計らい、一良は東に進路を取った。
もしかしたら、目の前の建物の中へ入らなければいけなかったかもしれない。しかし建物の内部に入ったら、それこそ自分が今どこにいるかわからなくなりそうだった。
あの若い管理官に見つかる確率も高くなる。
夜目が利かないため、中央塔の外壁に手をついて慎重に進む。
中央塔を目印に、ひたすら東を目指す。しかし、いつまで経っても舗装された道と植え込みや花壇、開けた草原が続くばかりで建物が見えてこない。
「急がないと……」
一良が抜け出したことが知られるのも時間の問題だ。
それまでに「召喚部」とやらがある場所にたどり着き、神の使徒と接触しなければならない。
一良はひたすら足を動かし、東を目指す。
どれくらい走ったか。
いい加減自分がどの辺りにまで来たかわからなくなっていた頃。
一良の目に突如、黒く尖ったものが目に飛び込んできた。
西欧にある教会を思わせる尖塔。それを四隅に備えた洋館だった。
あれが、召喚部のある建物だろう。
一良は教会のような入り口にたどり着き、呼吸を整えて目の前の建物を見上げる。
夜空を背景に、闇に覆われた建物は不気味だ。
この時間では人の気配もない。
やはり、無謀過ぎたか……。
そもそも、このような刻限に神の使徒と接触できるかどうかもわからなかった。
もっと入念に計画を立ててから抜け出すべきだった。
後悔するが、このまま引き返すのも気が引ける。
たとえ今日、接触が叶わずとも次の脱走の際にすぐさま教会内部へ入り込めるよう抜け道を作っておこう。
一良が念のため、教会の正面入り口に手を触れた瞬間だった。
ぎぃ……。
「え?」
思わず間の抜けた声が、自分の口からこぼれた。
一良の困惑を余所に目の前の扉はゆっくりと内側へ開き、人ひとり分が通り抜けられる隙間を作って止まる。
戸締りを忘れたのか? 不用心な……。
一良は自分の行動を棚上げし、思わず眉間にしわを寄せた。
おずおずと扉の隙間から中を覗く。
吹き抜けの天井はすべてガラス張りのようで、真っ暗な闇の中で夜空からそそぐ星光が散らばっていた。磨き上げられた大理石には紅絨毯が敷かれ、左右に分かれて二階へと続く階段まで覆っている。
入り口正面を見据えるように、立派な剣を携えた騎士の立像が佇んでいた。
まるで一良の侵入を咎めるように、その白い眼がこちらに向いていた。
一良は怯んだ。だが退くことは念頭になく、周囲を見回しながらそっと建物内に足を踏み入れる。音を立てないように扉を閉めた。
一良は立像を右に、階段を上っていく。
二階へ上がると、紅絨毯の敷かれた廊下が伸びる。左右の部屋を確認しつつ、奥へと進んだ。
やがて、今まで通り過ぎた部屋とは明らかに違う豪奢な扉が現れた。両開きの扉の取っ手を掴み、注意深く引いた。
そこは天井がドーム状になった、だだっ広い部屋だった。
部屋の中央に一段高くなった台座が設置され、その床に何やら幾何学的な模様が刻まれている。オカルトファンが好みそうな魔法陣のようだった。
その台座の上に、真っ白な石柱のようなものが浮いている。
表面がつるりとした乳白色の石柱は、先端を床に向けて方陣の上に浮いていた。
一良は後ろ手に扉を閉め、つかつかと石柱へ歩み寄った。
生前、仕事で貴重な文化財などを目にする機会もあったが、一良は康秀ほど美術品に対する造詣は深くなかった。
しかし、目の前の石柱は一良の目を執拗に引き付けた。
理由はわからない。
それでも、目の前に浮かぶ石柱は特別なものなのだと感じた。
まるで魂にあらかじめ刻まれた本能のようだ。
一良は方陣に足を踏み入れる。
温かい光が全身を包む。たったそれだけのことなのに、自分の奥底から喝采を上げたくなるほどの幸福感を得る。
一良は無言のまま、縋るように石柱へ両腕を伸ばした。
指先が、乳白色の石柱に触れる。
刹那、目の前で光が弾けた。
一良は悲鳴とともに後ずさる。
石柱に触れた己の手を見下ろす。びりびりと痺れた感覚が残っていた。自分の意思と関係なく、手が小刻みに震えている。
一良が触れたことで、目の前に浮かんでいた石柱の形が変化していく。
それまで無機質だった石柱の表面がまるで羽毛のように膨れ上がり、その巨大な翼を一良の前で広げる。それまで石柱だったものは、背に翼を生やした天使に早変わりした。
「おぉ……」
一良は思わず膝を床について目の前に浮かぶ天使を仰ぎ見た。
両腕を差し伸べ、一良は全身を歓喜に震わせる。
「これぞまさしく神の使徒……どうか、私の願いを聞き入れてください。私の望みを聞き入れてくださるのでしたら、私はこの身を世界平和のために、勇者として魔王討伐に捧げます」
天使は言葉を発さないが、一良に向けて手を差し伸べてくる。
その指先に光が灯り、一良は慎んで天使を拝んだ。
〝証を示せ〟
眩い光の中、一良の頭の中に無機質な声が告げた。
目の前の天使の声だ、と一良は確信する。
〝勇者たりえん証を示せ〟
無機質の声がそう命じると、一良の全身を光が包み込む。
すべてが白色に塗りつぶされ、夜の闇は一斉に退いていったのだった。
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