File10-5「侵攻の狼煙」
カズヤは穏やかな日差しがそそぐ青空を見上げた。シータの配慮から、依り代としたアレフの姿を以前のカズヤの容姿へと近づけ、ようやく人心地ついたところである。
青々と茂る草木の緑が、陽光を浴びてその影を地面に落としている。流れゆく川の水が白い飛沫を上げると、近場の枝で獲物を狙っていた水鳥が水面へ突っ込んでいく。そうして魚をくわえて空へと羽ばたいていった。
「情けないな……空の色すら、長らく忘れていたよ」
空の青を眺めながら、カズヤは眩しそうに両目を細めていた。どれほどの年月を、暗い永獄の中で過ごしていたかもはや覚えていない。ただ、永獄に閉じ込められている間、かつてのアヴァリュラスの隆盛と衰退を絶えず眺めていた。そうしてその記憶の断片は必ず、カズヤ自身が手を下したアヴァリュラス神の最期で締めくくられた。
「これからは毎日でも見られますよ」
芝生の上に腰かけているカズヤに、傍らに控えたアルファが穏やかな表情で告げた。こちらを覗き込むアルファに、カズヤは穏やかな笑みを向ける。
「長い間、苦労をかけた」
「あなたが味わった苦しみに比べれば、大したことではありません」
このやり取りも久しぶりだ。
かつてアヴァリュラスに出現した魔王を討伐するために召喚され、転生を繰り返したカズヤは常にアルファを相棒として苦楽をともにしてきた。やがてシータやミュー、ユプシロンが加わり、国を支える立場にあったオミクロンやファイ、タウたちがカズヤたちへ惜しみない支援をしてくれていた。だからこそ今まで、戦ってこられた。そして、これからも彼らと手を携えてこの不条理な世界を打ち砕くつもりだ。
「俺が永獄にいた間に、俺たちの志に賛同し、手助けしてくれた連中にも報いてやらないとな」
カズヤの目に、不穏な色が宿る。その双眸に揺らめかせた炎は、静かな怒りの感情だった。
「そのためにも、異世界間連合の神々、そして異世界間仲介管理院を討ち滅ぼさなければなりません」
「勇者たちへの呼びかけは?」
カズヤが立ち上がり、歩みを進めながらアルファに尋ねる。
「シータとファイ、タウが主軸となって行っています。アヴァリュラスの永獄の真実を知り、勇者たちの中にも我々に賛同してくれる者たちが大勢いますよ」
「……まぁ、備えとしては十分だ」
カズヤの物言いに、アルファが苦笑を浮かべる。
「カズヤ、新たな絆を築くことも必要なことです。もう、アヴァリュラス神は存在しない。旧体制を打破した後は、新しく生まれた神々が新体制を作り上げていく必要があります。後進とも、少しは交流してください」
アルファの小言に、カズヤはハッと鼻で笑った。
「ふん、やれ他者よりも秀でた能力を寄越せ、やれ世界でもっとも優れた存在にしろなどと条件を付けて神々に集った連中とか? 冗談じゃない」
カズヤはそう言って眉を顰めると、己の胸に手を置いた。
「アルファ、お前は俺の能力を知っているだろう? ただでさえ、アレフみたいに個人的な憎悪感情から、自分を殺した人間の魂を神に消させた体を依り代にしたことでかなり不愉快な気分なんだ。勘弁してくれ」
神の代行者として、また都合のいい駒としてカズヤはアヴァリュラス神に異世界から召喚され、途方もない年月を異世界アヴァリュラスの平和のために尽くしてきた。勇者として魔物の討伐に一生を捧げ、生を終えても再びその世界で勇者として生まれ変わった。そうしてカズヤは、アヴァリュラスという世界に転生し続けることで囚われていったのである。
カズヤが精神的にも、肉体的にも参ってくると、アヴァリュラス神はカズヤの魂に数多の加護を刻んで「強化」していった。カズヤの意思など関係ない。アヴァリュラス神は自分の世界を守るためならいくらでもカズヤに能力を刻んでいった。そうして、カズヤを文字通り「使い潰した」のだ。自らの世界統治を見直すこともなく、アヴァリュラス神は延々と魔王を生み出すほどの腐敗した世界で胡坐をかいていた。あの美しい顔がカズヤを見て嘲笑い、決まってこう言い放った。
――私は「神」だよ? 世界は私の思い通りにならなければならないし、問題が起きたらそれを解決するのが神々の代行者たる「勇者」の使命だ。
カズヤが歯を食いしばる。記憶の中にあるアヴァリュラスの顔を、今でもこの手で再び引き裂いてやりたい衝動に駆られた。
「カズヤ、アヴァリュラス神はもういません。あなたが打倒したのです」
アルファが殺気立つカズヤの肩を掴んだ。カズヤはそっと目を閉じ、長く、深い吐息を吐き出した。
「……『勇者』なんて持ち上げられても、結局は神々にいいように操られる人形でしかない。そんな奴らは信用できない」
「カズヤ……」
低く、吐き捨てるように呟いたカズヤに、アルファは表情を曇らせる。カズヤの開かれた双眸が空を仰ぐ。どこまでも抜けるような青が、カズヤの目を引き付ける。
頼んでもいない数多の加護を魂に刻まれ、それに伴う苦痛は想像を絶するものであった。それを感謝しろなどとは神々側の言い分であり、もともとただの人間であったカズヤにとっては己の首を絞めつける「鎖」以外の何物でもない。迷惑、余計なお世話と罵倒の単語ばかりが頭に浮かんでは沈んでいった。
「すみません。本当は、あのアラタという管理官をあなたの依り代にしたかったのです。彼は当初『勇者』ではありませんでしたが、あなたに近しいものを感じたので……」
アルファが沈んだ表情で謝罪する。アラタの名を聞いた途端、カズヤの表情が和らいだ。
「ああ、彼か……」
自分を真っ直ぐ睨みつける瞳が印象的だった。
数多の世界から見捨てられ、行き場を失ったところを異世界間仲介管理院にその魂を引き取られたようだとアルファから聞いている。彼もまた、異世界間仲介管理院の思惑に利用された憐れな転生者だった。
「もっと早くに出会えていたら、友人になれたかもな……」
カズヤの呟きはアルファの耳に届くことなく、ため息とともに地面に落ちた。
「ゼータ、戦支度は終えたのか?」
カズヤの鋭い声が飛ぶ。すると、二人の背後の空間が揺らいだ。そこから体格のいい二人の男たちが地上に降り立つ。
「っんだよ、奇襲してやろうと思ったのに……つまんねぇな」
「ですから、やめておけと言ったでしょう。相手はあの英雄殿ですよ?」
不満げに顔を歪めるゼータに、オメガが穏やかな表情で笑っている。
二人ともカズヤが永獄に封じられてからアルファたちの仲間となった新参者だ。しかしその根底にある闘争への価値観が似通っているのか、他のメンバーよりも仲がいい。
カズヤはオメガを警戒の眼差しで一瞥した後、小さく息を吐いた。
「それで? 何か動きでもあったのか?」
「ええ、シータさんから連絡がありました」
オメガが目を細め、その食えない笑みをカズヤへ向ける。
「三貴神の生き残りの、居所がわかりました。異世界間連合の神と接触したようです」
オメガの報告にカズヤとアルファが互いに視線を交わした。
「おやおや……我々がどれだけ探してもしっぽも見せなかった臆病者が、ようやく出てきましたか」
アルファの顔に浮かんだ残忍な笑みが楽しそうに言った。
「まぁ、二柱の末路を見てりゃあ、隠れたくもなるだろう」
「世界維持のために、神さまを動力にすることの何がおかしいのです? 彼らが消滅たくないと言うから、我々は神さまを生きながら世界の栄養にして差し上げただけです」
「人工魔王開発の過程で得た発明が役立ちましたね」
ゼータの皮肉に、アルファはあくまでも穏やかな態度を崩さない。オメガも共感するように頷いた。
「ベータが人工魔王の調整も終わったってよ。そろそろ行くか? 大将」
「ああ」
ゼータがカズヤに顔を向ける。三人の視線を受けたカズヤは静かに頷いた。
「これより、異世界間連合並びにそれに属する機関の掃討作戦を開始する」
カズヤの静かな声音が、朗々と開戦を宣言した。
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