File10-3「器」
「初代院長さま……?」
驚くアラタに、アルシは苦笑を向ける。
「驚きますよね。普通なら死んでいてもおかしくないほどの年月が経っていますから」
「あ、いえ……そういう意味では……」
笑うアルシに、アラタは慌てる。
思えば、管理官養成学校でも院長の業績を学ぶ機会はあっても、院長になった人々がどう生き、どう退任していったかは教えられてこなかった。だからこそ、アラタはてっきり初代が亡くなったから、二代目が後を引き継いだのだと勘違いしていただけである。
「いえ、ある意味……貴官の認識は間違ってはいませんよ」
それまで微笑ましいと笑っていたアルシの表情が曇る。
「私が院長の座に就任したのは、異世界間仲介管理院という組織が成立したばかりの段階。設備はもちろん、管理官としての規律や転生者・召喚者の受入基準まで、何一つ決まっていなかった頃のことです。その就任期間も、三代の中で最も短い五十年ですしね」
アルシは苦笑を浮かべ、己を示した。
「それに、お世辞にもこの状態を『生きている』とは言い難いですから」
「それはどういう意味ですか?」
アラタは顔を顰めた。アルシは薄暗い水中宮殿を見上げ、その瑠璃色の双眸を細めた。
「アラタ管理官、貴官は我々管理官がどのようにして神々から加護を借り受けているか……その仕組みをご存知ですか?」
「いえ……養成学校で習うような、基本的な事柄しか存じ上げません」
管理官は日々の管理業務において、異世界を行き来する数多の事象を相手取る。時に荒事への介入や現地視察などに赴くこともあり、異世界連合の神々は管理官へ特別な権限を保証する契約を締結した。「管理官権限」と呼ばれるそれらの執行は有事の際を除き、乱用を防ぐために異世界間仲介管理院の管理部――権限管理課への申請許可が必要となる。
アラタは今まで、管理官権限に関わるすべての加護を権限管理課が管理しているものと信じて疑わなかった。しかし、アルシのこの物言いではその認識は間違っているのだろう。
「なるほど……スグルは合理的な考え方をしますから。必要な情報のみを後進に伝えたといったところでしょう」
案の定、アルシは静かに頷いた。瑠璃色の双眸がアラタに向く。
「アラタ管理官。神々の加護は本来、その魂に刻まれることによって効力を発揮します。『転生者』であるあなたなら、その意味は理解できますね?」
「はい。そして、神々の加護は本来譲渡不可能であり、特別な能力や条件下でない限りはその個人に帰属します」
その通りです、とアルシはアラタの言葉に頷いた。
「その前提を踏まえて、アラタ管理官に問います。何故、管理官は神々から借り受けた加護を申請の有無こそあれ、皆が平等に扱うことができるのだと思いますか?」
「それは共鳴具があるから……」
言いかけたアラタがはたっと言葉を切った。
その共鳴具は先程、スグルに案内された部屋に生えていた鉱石が原料であると聞いた。『同調』能力に優れたもので、それを加工して「共鳴具」を生み出しているのである。そして、その「共鳴具」を異世界間連合に対して考案したのは、初代院長である。
「……まさか、初代院長さま……あなたの魂に――」
目を見開いたアラタに、アルシが微笑を浮かべる。
「今、アラタ管理官が頭に思い描いた予想通りです。異世界間仲介管理院は異世界間連合の神々より加護を借り受けるために、一人の管理官を媒体として差し出しました。人間世界で言うところの、生贄というやつですね」
それが、初代院長だったのだろう。僅か五十年という短すぎる就任期間は、アルシが自らの魂に膨大な神々の加護を刻み、その苦しみに耐えることができた期間とも言えた。
「残念ながら、私には神々の加護を受け止める『器』としての素質は乏しかったようです」
アルシの目が、水中に沈んだ数多の鉱石を見下ろす。
「私の肉体は早々に限界を迎えました。この共鳴具の原石は魂に加護を刻み、その力の奔流を受け止めきれずに自壊した私の身体です」
「それは……」
アラタは言葉を失った。肉体的な限界から、初代院長は就任期間わずか五十年という短さで二代目院長であるスグルにその全権を託した。アラタもマコトによる封印で魂を保護しなければ、流れ込む記憶の渦に押しつぶされていた。それほどまでに、神々から授けた加護の圧力は強大で、人ひとりが抱えきるには重すぎた。
「異世界間仲介管理院に所属する管理官は魂に加護を刻むことのない、無垢なる者がその業務に従事するべしと異世界間連合は求めています。貴官もご存知の、『中立性の維持』というやつですね。ですから、異世界間仲介管理院はどのような事情があっても、『例外』を表沙汰にせぬよう事実を隠す必要がありました。私が退任後、この集いの場に封じられたのもまた……そういった理由です」
アルシはかつての己の肉体であった鉱石に触れ、目を細めた。
「しかし、世情は変わりました」
アルシの双眸に、強い意思が宿る。彼の視線が、アラタを真っ向から見据えた。
「異世界間連合の発展で神々の勢力が強固となり、より一層異世界より招き入れる魂の数が増えました。神々の恣意的な思惑も加わり、今まで以上に魂の争奪戦が激化したとも言えます。異世界間仲介管理院を神々の管理下に起きたがるのも、また反対にその組織そのものの解体を促し、神々の采配で転生者や召喚者を自世界へ取り込みたいという要求は留まるところを知りません。今回、神々への反意を示した白装束の集団も、その思惑を利用したに過ぎません」
アルシが苦笑を浮かべ、アラタは眉根を寄せる。
付け入る隙があったから、ここまでの惨事を引き寄せる結果となった。
「だからこそ、スグルが転生者であるあなたを異世界間仲介管理院で受け入れたいと話を持ち掛けてきたときは……ひどく判断に迷いました」
「当然でしょう。異世界間連合の神々に対して真っ向から対立するようなものです」
アルシの立場を思えば、転生者を受け入れることについて慎重になるはずだ。
「それでも、あなた方は私を受け入れてくださった。差支えなければ、その理由をお聞きしても……?」
結果として、アルシもスグルもアラタを受け入れると決断した。その決断を後押しした理由こそ、アラタがこの場に立っている意味だろう。
「我々はアラタ管理官を、異世界間仲介管理院における神々の抑止力とするために迎え入れました。当初は、数多の世界から拒絶されたあなたなら、きっと神々の誘惑に耳を傾けることなく、異世界間仲介管理院の責務を忠実に遂行できると考えたからです」
アルシはそこまで言って、困った顔で微かに笑った。
「しかし、アヴァリュラスの永獄が解き放たれた今……あなたを受け入れたことが好手となりました」
「?」
アラタは首を捻った。アルシは微笑む。
「あなたが『勇者』として覚醒したことで、異世界間仲介管理院は絶対的な中立性を手にする機会を得たのです」
アルシの腕がアラタに伸び、その青白い顔が儚げに笑いかけてきた。
「アラタ管理官、私とスグルは……異世界間仲介管理院はあなたを新生の神として立て、異世界間連合からの圧力を封じるつもりです」
アラタはアルシの発言に目を見開く。
それは紛れもない、異世界間連合に対する、異世界間仲介管理院の独立宣言に他ならなかった。
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