File10-0「残酷な真実」
投じた一石は確かに輝いた。
スグルは石造りの東屋から歩み出ると、変化のない青空を見上げた。ミノルが見出し、マコトが陰ながら支えていた「アラタ」は立派な管理官として成長した。先程スグルの共鳴具から発せられた通達で、彼が「勇者」として覚醒したことも感知した。
これほどの成果を見れば、十分である。嬉しい誤算だ。
しかし、永獄に封じられていた古の勇者に「自我」が残っていたなどという話は聞いたことがなかった。
スグルの鋭い目が、地上を見渡す。喧噪とは程遠い永遠の楽園――「集いの場」は今日も変わらず生命の営みを感じられぬままそこに存在していた。神々の会議により「悲劇」と「希望」が生まれ、世界に放たれた。悲劇はアヴァリュラスに降りかかり、希望はアディヴに託され、今、双方は相まみえようとしている。その原因を作った神々は、この未来を目にしたならば何を思ったことだろうか。
「神々はアヴァリュラス神を飲み込み、魔王へと身を落とした勇者を永獄へと封じ込めた。多大な犠牲を払ったアヴァリュラスの永獄の悲劇を二度と繰り返さぬために、異世界間仲介管理院にその平和維持の使命を委ねた」
長きに渡り、管理官たちは献身的に神々の要望に応え続けたと言っていい。それだけの自負もあるし、大半の管理官がそれを誇りに思っている。
だからこそ、それが虚構だったと知った管理官の絶望は計り知れないことだろう。
「優秀だった管理官たちが挙って神々に刃を向けた理由を、今になって理解したよ」
スグルは自嘲気味に呟いた。節穴だったとなじられても言い返せない。スグルも結局は、神々へ「疑心」を向けることないよう教育された「管理官」でしかなかったわけである。
「貴神らは、これからも世界を欺くのかね?」
スグルの射抜くような視線が、石橋を渡って来た男性に向けられる。
漆黒の長い髪を背に流した、紅の双眸を持つ死の神――カルトールは影を纏って佇んでいた。アヴァリュラスから撤退した異世界間連合軍は、先程の空間干渉でもたらされた「声」によって収拾がつかなくなっている。そんな神々をアスラ神たちがどうにか宥めているらしいが、効果はないだろう。神が一柱、また一柱と己の世界領域へ戻って籠城の備えを整えているのが、神々の恐怖を如実に物語っている。
「……」
「最初に言っておくが、沈黙を決め込むのはやめたまえ。それならば、つまらん言い訳を並べたてられた方がまだマシだ」
カルトールはその紅の双眸を細めると、激怒したスグルを見つめる。ここまで感情を露わにした彼を見たのは初めてだった。
「何故、黙っていた? 魔王に身を落としながらも『自我』を維持した勇者の存在を!」
自我があったということは、対話が可能であったということだ。魔王が絶えず生まれ続け、いつ終わるとも知れぬ世界の荒廃に、誰よりも胸を痛めていた勇者だ。結果として「神殺し」という大罪を犯したのだとしても、彼を永獄に封じる前に対話を交わそうという意思はなかったのか。
そうすれば永獄に封じられた「彼」も、その刃を世界に向けるという選択をしなかったのではないか。
「貴神たちは、自ら己の退路を断ったのだよ」
「……ああ」
スグルの鋭い言葉に、カルトールは沈痛な面持ちで目を閉じた。
「今も昔も、許しはしない。神々は受け入れない。此度も、すべてをなかったことにしようと動くだろう」
普段から表情のない顔が、笑った。その絶望と苦痛に満ちた悲しい笑みを前に、スグルも目を見開いている。
「あの日、アヴァリュラス神が提言し、発足した異世界間連合。その根底理念は……」
カルトールが顔を手で覆う。
――良質な魂を世界に循環させ、各世界の発展を促進する仕組みを作ればいい。
かつて見た、記憶の中のアヴァリュラス神が笑みを深める。彼の憎悪に満ちた瞳が、真っ直ぐカルトールに向けられた。こちらに敵意を剥き出したアヴァリュラス神の視線を、カルトールは今でも覚えている。カルトールは恐ろしさから、幼い弟とリシェラノントを抱きしめることで己を守ろうとした。
顔を覆った指先から、か細い声がこぼれた。
「異世界間連合の根底理念――それは、新しい世界の誕生を阻止し、信仰の固定化による神々の不変を維持することだ」
「なっ……!」
スグルが言葉を失う。カルトールを見つめたまま、一歩踏み出す。彼が手にした杖の柄頭を強く握りしめた。
「神々は願った。誰よりも『存在を認識され、想いを注がれ続けること』を……そうして、自己の存在を不変のものとして維持し続けるための制度として、輪廻転生の循環システムを整備していった」
顔を上げたカルトールが、立ち尽くすスグルに力なく笑いかけた。
「そうして生まれた『歪』によって魔王が生まれ、神々はその討伐に新しく生まれようとしていた『神』を当てた」
「っ!? まさか……」
カルトールが空を仰ぐ。どこまでも晴れ渡った青空が、こちらの逃げ場を奪うように覆い尽くしていた。
「アヴァリュラス神の進言によって成立した『勇者派遣制度』、その実態は生まれたばかりの……いや、新たな『神』として誕生せんとしていた存在を魔王に潰させるための制度だ」
カルトールは乾いた声で笑う。
「勇者は神々の被造物の中より生まれ出でた存在。神々は、本来は自分たちに向けられるはずの信仰が、神々の代行者である『勇者』へと向くことをひどく嫌悪した。『勇者』ないし『聖女』たちは民衆の願いに応えて魔王を討伐し、神々や世界を救ってきた。そんな彼らを、人々が賛美することをどうして止められよう。ましてや、そんな彼らが生みの親たる己よりも有能な神として君臨するなど、神々からすれば許せるわけがない」
「そんな……そんな理由で……」
スグルはもはや言葉もなかった。
死の神よりもたらされた真実は、あまりにも身勝手で、悲惨すぎる内容だった。
「貴神は、そうと知っていながら黙っていたのか! 我々、異世界間仲介管理院に、数多の管理官たちに真実を隠して、新たに生まれた神々を殺す片棒を担がせて……っ!」
「真実を知っていたからと言って何ができる! これほどまでに膨れ上がった異世界間連合の神々を、納得させられると思っているのか!」
カルトールの叫びは、スグルを上回る苦悩を滲ませていた。
ああ……全てを知っていたからこそ、目の前にいるこの神は冥界に閉じこもっていたのか。
スグルは強張っていた全身の力を抜いた。
異世界連合の神々が、決して耳を傾けないと知っているから、冥界を統べる神は永劫の絶望に囚われていたのだろう。
「むしろ、我が下手に声を上げれば……我は異世界間連合の神々に消されかねない。我だけならばまだよい。死神たち……そして、弟のアスラやリシェまで責任を問われては……我は魔王にでも身を落とした方がずっとマシだと思うだろう。そうして一柱でも多くの神を道連れに消滅を選択したかもしれない」
二人の間に流れた沈黙は、決して短くはなかった。抜けるほどの青空の下、色とりどりの花々が咲き乱れる光景が急速に色褪せていくように感じる。
「……今は、できうる限りの打開策を講じよう」
スグルが苦し紛れに呟いた言葉は、ひどく空しいものだった。
「少なくとも……我らに希望がある限り、もがき続けることが生き残った者の責務だ」
スグルの硬い声が、集いの場に咲き誇る花々へと落ちていった。
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