File2-1「穏やかな邂逅」
アラタが管理官に任命され、早くも三か月が過ぎた。
日々の業務にも次第に慣れ、アラタの机には転生者たちの情報が記載された資料が毎日のように山となっている。
今日も今日とて、上層部へ提出する転生申請書を仕上げなければならない。
アラタは今日のスケジュールを思い返しながら、朝礼に臨んだ。
「最近、この辺りの世界軸線の死者が多くてねぇ」
始業前に行われる異世界転生仲介課の朝礼会議。
そこで異世界転生仲介課の課長であるナゴミが、虚空にいくつかの画像を映し出した。
映し出されたのは無数に散らばる星空のような地図と、異世界転生仲介業務において関係する世界情勢を簡潔にまとめた近況報告だった。
アラタは星空を連想させる地図を振り返る。その星屑一つひとつに、神々が守護する世界が存在する。その所々が、虫食いのように暗紫色で着色されていた。
「加えて、神々からも勇者召喚要請が後を絶たない状況でね。各自、この事態に留意しつつ、できる限りそちらの転生先へ送り出す転生者に対し、最大限の配慮を心掛けてほしい」
転生者を異世界へ送り出す異世界転生仲介課では、異世界の情勢は常に最新の情報を把握しなければならない。
転生者の心残りを取り除き、世界を治める神々の力を強めてくれる魂を確保すること。
異世界間仲介管理院が掲げる基本理念の一つであり、存在意義でもある。
「……随分と広範囲に渡って世界秩序が不安定だね」
オギナがぼそりと呟いた。アラタも無言で頷く。
転生する魂が多いということは、同時に世界の秩序が不安定であることの表れでもある。
世界の変革期。政情不安。前提転換。世界大戦。神々の干渉など、理由は様々だ。だが今回に限っては、勇者召喚要請が寄せられていることから「魔王」の出現が主だろう。
魔王とは、一般的に悪魔や魔物たちの王を指すことが多い。
しかし、異世界間仲介管理院や神々にとっての「魔王」とは、世界の秩序・安定を歪ませ、破壊する存在を指す。
一般的な意味合いとの違いは、世界や神々にとって害があるか否かだ。
要するに、世界を蝕む病魔のような、存在しているだけでその世界や神々に悪影響を及ぼすものを異世界間仲介管理院では「魔王」と位置付けている。
世界そのものを歪ませる根源を「魔王」ないし「魔王化現象」と定義づけ、単なる悪魔や魔物の王というだけなら排除する対象とはしない。
悪魔や魔物だって、守るべき世界の一部なのだ。
「魔王」の討伐には、神々の加護を受けた「勇者」が派遣される。
勇者は魔王を討伐し、世界秩序を正すことで魔王によってもたらされた歪みを修復する。神々の代行者として、その存在は最も偉大で尊いとされるが……最近は勇者の魂が少ないことも悩ましい問題であった。
「じゃあ、今日もみんな元気にお仕事がんばろうー」
一通りの連絡事項を伝え終え、ナゴミがまったく緊張感のない声で部下たちを励ました。
普段から目を閉じたような糸目の彼は、異世界転生仲介課において唯一と言っていいほど、のんびりしている人物だ。
彼だけ違う次元で生きているのではないか。
アラタはそう認識している。
「アラタはこれから待魂園?」
「ああ。新しく担当になった転生者と面談だ。オギナもか?」
各々のファイルを片手に、アラタはオギナと連れ立って事務室を出る。
「転生者って個性豊かで面白いよねぇ」
オギナはそう笑って話す。
その傍らでアラタは遠い目をした。
「毎日、びっくり箱を前に仕事している気分だ」
転生者の口が開く度、アラタはそこからどんな要求が飛び出してくるか常に身構える。つい先日まで担当していた転生者はまだ可愛らしいもので、とにかく胸が大きくて可愛い女の子にモテたいと切実に訴えてきた。
「あははっ、言い得て妙だね」
苦い顔のアラタに、オギナは爆笑した。
公園を抜け、雑木林のトンネルの下を進む。
もう三か月も経つというのに、転生者との面談は一向に慣れる気がしない。
「これでも異世界召喚仲介課に比べたらマシな方なんだよなぁ……」
「あそこはまさに、戦場だからね」
アラタたちが所属する異世界転生部は、主に元の世界で死んだ魂を相手に異世界への転生を仲介する業務を遂行する。
対して、異世界召喚部――中でも異世界召喚仲介課は生きた人間を異世界へ送り出す召喚・転移業務を一手に引き受けている部署だ。
生きている人間を相手どるということは、当然その人間が消えた後の処理をしなくてはならない。
事故で死んだように見せかける。
神隠しとして行方不明にする。
あるいは、その人物の記憶や経歴の削除など内容はまちまちだが、転生の仲介に比べて非常に厄介な業務が多い部署だ。
「できるなら、あまり関わり合いたいとは思わないけどな」
アラタの個人的な印象としては、異世界召喚仲介課は人材が二極化した部署だ。
過酷な業務を難なくこなせるだけの知識と経験、技術を持った超エリート集団。
その一方で、過酷な業務内容から心を病んでいる人が多いイメージだ。
もっとも後半は、アラタの偏見かもしれない。
とはいえ、異世界召喚仲介課はそれだけ重要な業務が多く、配属された管理官の大半がベテランの域に達している人ばかりであるのは確かだった。
「院長も異世界召喚仲介課のご出身だって言うし……今の世界情勢はかなり気にされているのかな?」
「そうじゃないかな? 異間会議でも議題に上るって噂だし、院長ももしかしたら意見を求められて準参加者として出向くかもね」
異間会議。
正式には「異世界間連合会議」と呼ばれている。
異世界間連合に加盟した各世界の神々が集い、あらゆる議題を話し合い、法令などを定める場である。
他でもない、異世界間仲介管理院の創設もこの会議で決定されたものだ。
二人で待魂園の門をくぐると、アラタはオギナと敷地内で別れた。
オギナは長椅子に腰かけて日向ぼっこをしている老婦人へ歩み寄り、挨拶をかわしている。彼の新しく担当する転生者なのだろう。
アラタは待魂園内に入り、ある部屋の扉の前で立ち止まる。
ノックをすると、中から「どうぞ」と声がかかった。
「失礼します」
アラタが部屋に入ると、背筋をピンっと伸ばした老紳士が出迎えた。
短く刈った白髪頭に、目じりの笑いシワが目を引く。ハリのあるシャツはしっかりと糊つけされており、足元の革靴も光沢が美しい。
本を読んでいた様子で、閉じたそれを元の場所へ戻している。
「初めまして。担当管理官のアラタと申します。本日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
老紳士はそう言って表情を和らげた。
穏やかな物腰の、温和な老紳士だ。
アラタは緩む口元を慌てて引き締めた。
いやいや、転生者はみんな一癖も二癖もある人物が多い。油断はならない。
脳裏に今まで担当した転生者たちを思い浮かべ、アラタは慎重に老紳士と向かい合った。
目の前に座った老人の名前は、鈴木一良。
享年八十五歳。
死因、老衰。
手元の資料に記された彼の経歴は、特にグレるでもなく、勤勉な人物である旨が記載されていた。
「生前は、国の官僚としてお仕事されていたんですね」
「ええ……仕事で忙しい毎日で、妻には苦労をかけました。それでも、私をよく支えてくれました。息子や孫ともよく会っていましたし、幸せな人生でした」
一良はそう言って微笑む。
「そうですか……」
アラタは軽く首を傾げたが、笑顔は崩さない。
その後、転生の希望などを聞き取りし、初日の面談は滞りなく終了した。
それはもう、アラタが思わず違和感を覚えるほどあっさりとしたものだった。
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