File2-0「妨害」
本当に、これでよかったのだろうか。
そんな自問を何度、繰り返したことだろう。
空を覆っていた道が閉ざされ、世界は闇に包まれた。
光の道によって消されていた星々が、夜空を埋め尽くす。道が閉ざされたことにより、アディヴの地は外界からの孤島となった。静寂が人々に休息を促している。
静かな夜だった。星々に背を向け、アラタは塀に囲まれた建物を見下ろしていた。
待魂園。
転生者たちの待機場所が、アラタの黒い眼に映る。高い塀に囲まれた敷地内には、粘土瓦の屋根に外装を白く彩る木造二階建ての共同住宅が整然と並んでいた。
「静かだな……」
吹き抜ける風の音ばかりが耳に届く。
アラタはそっと頭上を仰いだ。
かつて、アディヴの地に「夜」は存在しなかった。
ここは、あらゆる世界の時間軸より外れた、最果ての園――アディヴ。
まだ異世界へ送り出す転生者や召喚者が少なかった時代。この異世界間仲介管理院の業務が制度化され始めた頃は、異世界に通じる「道」を閉じる必要性がなかった。転生者や召喚者が長い期間、このアディヴの地に留まることがなかったためである。
しかし、異世界間仲介管理院の役割が異世界間連合の中だけでなく、それまで傍観を決め込んでいた異世界の神々にも注目され始めた。やがて、異世界間連合への加盟を申し出る神々が増加し、それと比例して異世界間仲介管理院が異世界へ送り出す転生者や召喚者が増えていった。手続きは煩雑化し、異世界から保護した転生者や召喚者が長くこのアディヴに留まるようになってくると「夜」が来ないことによる弊害が発生した。
神々の世界には一部例外的な領域を除いて、昼と夜が存在する。そこからこのアディヴへやってきた転生者と召喚者が、夜が来ないことによって過剰な圧迫感を訴えたのだ。それは彼らの精神であったり、体調などの不調を訴えたりという形で発露した。事態を重く見た二代目院長が、異世界へ通じる「道」を閉ざす時間を設けたのだと言われている。
異世界間仲介管理院の使命は、転生者や召喚者の魂を損なうことなく神々のもとへ導くことだ。
こうして人間社会に倣う形でアディヴに「夜」がもたらされ、アディヴの住民たちは「睡眠」という休息時間を知ったのだ。
アラタは待魂園に視線を戻した。
「……っ!」
アラタの目が鋭さを増す。
待魂園の防壁をよじ登ってくる人影が見えた。
雑木林が広がる一角に、待魂園の門がある。鉄格子を閉ざし、今も夜の見張りとして門番が佇んでいた。そこから少し離れた場所から、一人の老人が塀の上に顔を覗かせた。
年齢は八十代後半。
糊つけされ、清潔なシャツを着ている老紳士だ。一見すると温和そうな人だが、夜に人目を忍んで行動する辺り、かなり強かな性格をしている。
転生者の中には、強い好奇心や現状の不満ゆえに待魂園を逃げ出す者もいる。
転移方陣が起動しない限り、このアディヴの地から出ることは叶わない。だが、必ずしも安全とは言えなかった。
異世界間仲介管理院が扱う案件には物騒なものも多い。誤って転生者の魂を損傷させてしまうことが起きたら、管理官としての監督責任を問われてしまうだろう。
アラタはグッと唇を引き結んだ。
できることなら、そのまま塀を超えずに待魂園へ戻ってほしかった。
今ならまだ間に合う。頼むから、思いとどまってほしい。
アラタの必死な願いとは裏腹に、老人は一息入れるように防壁の上に座り込んでいた。老人が顔を上げる。アラタの姿が見えたわけではないだろう。アラタが浮かんでいるのは、待魂園から百メートルを超える上空だ。それでも一瞬、ドキリと心臓が跳ねた。
星空を見上げる老人と、そんな老人を見下ろすアラタ。
視線の交錯しない二人の奇妙な時間は、老人が塀を超えたことであっさり崩れ去った。
「本当に、やるんだね? アラタ」
数時間前に交わしたオギナとの会話が思い出される。
「別の方法はないのか? これは管理官による意図的な誘導行為と非難されても仕方ないぞ?」
ため息交じりに呟いたツナギの声が、迷うアラタの心情を見透かす。
「それに、成功する保証はないんですよ?」
心配げな声に、アラタの気持ちは揺れる。
ここまで自分が優柔不断だったとは、アラタ自身も初めて知った。
アラタが思い悩んでいる間にも、老人は塀を超えて地面に足をつけた。
老人は、塀を超えた。
待魂園の敷地外へと降り立ったのだ。
その様子を見届け、アラタはぎゅっと目を閉じた。
後戻りする選択は今、失われた。
「通達。対象が動きました」
アラタは左手首に装着した共鳴具に向けて、老紳士の脱走を報告する。
ここまで来たら、やるしかない。
老紳士にとって都合の悪い結果となっても、アラタは彼をこのまま行かせるわけにはいかなかった。
アラタは迷いを振り切るように、静かに宣言する。
「対象が『勇者』になることを阻止します」
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