File8-6「朧げな記憶」
まだ「道」の解放前で暗い西部基地では、すでに武装した管理官たちが集まっていた。場所は第四方陣前の通りで、第一部隊と他部署から合流した管理官たちで埋め尽くされている。アラタとオギナも、サテナとカイとともに第一部隊の中に混じって上官の指示を待っていた。
「アラタさん! オギナさん!」
人混みをかき分け、こちらに向かってくるジツの姿があった。急いで走ってきた様子で、やや癖のある茶髪がだいぶ乱れている。
「ジツ……」
「見送りに来てくれたの?」
アラタとオギナが走り寄って来たジツに笑顔を向けた。
「当たり前です! 僕は……お二人と一緒に行けないから……せめて、送り出す際にはいたいって……」
ジツは膝に両手をついて呼吸を整える。汗を流す顔が、苦しそうに笑った。
「特にアラタさんは無茶しがちですし! 釘を刺しに来ました!」
「いや、何でだよ……」
「あははっ、後輩にまで見透かされてる!」
抗議するように目を細めたアラタに、後ろでサテナが腹を抱えて笑っている。
「アラタさん、いいですか? どんなに危険な状況でも一人で突っ込んでいったらダメですからね! ちゃんとオギナさんやカイさん、上司に相談してから行動してくださいね!」
「お前は俺の親か……それくらい、わかって――」
――守る側が、守られる側に心の傷を与えることがあってはなりません。
昨日、サクラがアラタに警告した言葉がよみがえる。
「……気をつける。絶対、以前のような怪我は負わない」
己の中で気持ちを切り替え、ジツへそっと笑いかけた。
ジツが目を丸くしている。
「アラタさん……? あの、大丈夫ですか? どこか調子が悪い所でも? 昨日も眠れませんでしたか?」
「おい、人が素直に応じればその反応は何だ?」
アラタがジツの物言いにムッとした顔になる。
「だって相手は魔王ですよ!? 心配になりますって!」
ジツが腕を伸ばし、アラタの腕を掴んだ。その途端、電流が走ったような痛みを感じる。咄嗟に顔を顰め、ジツの腕を振り払った。
驚いた様子のジツの顔が、記憶の中でいつになく真剣な表情へと入れ替わる。
――僕らには、君が必要なんだ!
「あの、アラタさん……?」
「あ……」
冷や汗を流したアラタは、思わず額に手をやった。
「すまん……立ち眩みがしたんだ」
「えっ!? そんな状態で本当に大丈夫なんですか!?」
目を見開いて叫ぶジツに、周囲の管理官たちが何事かと振り返る。するとオギナがアラタの肩に腕を回して、ジツに向けて苦笑した。
「実は俺たち寝不足でね。やっぱ、出陣ってなると緊張しちゃって、眠れなくなるんだよね」
「そうなんだ。おまけにサテナ管理官が家に押しかけてくるもんだから、もう眠れる状況じゃなかったんだよ」
オギナの咄嗟の機転に、アラタはすぐさま便乗する。
「えー、だって眠れないって言うから泊まりに行ったのにぃ~」
アラタとオギナの心情を知ってか知らずか、サテナが両手を頭の後ろで組みながら笑っている。
「アラタ管理官が寝返りを打つたびに『眠れないのか』などと覗き込まれては眠れるものも眠れんだろうが!」
傍らで昨夜のことを思い出したカイが眉間に深いしわを刻みながら怒鳴った。
サテナとカイのやり取りを聞くなり、周囲の管理官たちが何故か納得した様子でアラタたちから視線を外した。どうやらサテナの突飛な行動はどこの部署でも有名らしい。
事実、昨夜はサテナがあまりにもしつこいので、最終的にカイがサテナを物理的に布団に沈めて事なきを得たほどだ。あまり眠れなかったのもあながち嘘ではない。
「あー……ご愁傷さまです」
その時の様子が容易に想像ついたのか、ジツはどこか同情の目をアラタとオギナに向けた。
「なぁ、ジツ……」
アラタが少しばかり迷うように目を彷徨わせた。
「お前さ……共通個体っているか?」
「え? いませんけど……なんで急に?」
ジツが目を瞬かせる。この様子では嘘は言っていないようだ。
「あ、そろそろ整列みたいだよ!」
周囲の管理官たちが動き始めた。見れば幻獣を連れた防衛部の管理官たちから手綱を受け取っている。
「俺たちも行こうか。ジツ、また後でね」
オギナも言うなり、ジツに敬礼する。
アラタとジツも互いに向かい合うと敬礼した。
「ご武運を。翼の祝福に道を掴まんことを――必ず無事に戻ってきてください。アラタ管理官、オギナ管理官」
ジツが唇を噛み締める。それでも、彼はしっかりとアラタたちに笑顔を向けた。
「道を辿りし先に翼の加護が安らぎをもたらさんことを。後を頼む、ジツ管理官」
「必ず戻るよ」
アラタとオギナもしっかりと頷いた。
二人も防衛部の管理官たちから幻獣の手綱を受け取り、サテナとカイの後に続いて整列する。
〝こちら管理部転移方陣管理課、これより第四方陣の転送を開始いたします。第一部隊は出撃の準備をお願いいたします〟
共鳴具から発せられた声に、アラタは小さく笑った。
ノアの声だった。全管理官による魔王迎撃体制へ移行したため、管理部の権限管理課と転移方陣管理課の人員が合同で業務を行うこととなる。
ノアが第一部隊出撃の通達係を志願したとアルトから聞いていた。見送りに行けない分、せめて声だけでも届けたいということらしい。
別れたジツの姿を探せば、通りに整列している管理官たちを脇から見送っている管理官たちの姿がちらほら窺えた。ジツの傍には、装備部のアルトやナゴミの姿もある。わざわざ駆けつけてくれた皆に、アラタは小さく微笑んだ。
〝異世界間防衛軍、第一部隊隊長のヒューズだ〟
共鳴具から、ヒューズの声が聞こえてくる。おそらく、この場に姿のないツナギがアリス副隊長の代理として彼を補佐していることだろう。
〝これより我々は『魔王』の出現した領域へ向かい、勇者支援と魔王の生み出した眷属の掃討を行う。これまで貴官らが培ってきた知恵と技術を、どうか惜しみなく発揮してほしい〟
ヒューズの声が、静かに出陣を待つ管理官たちの中で響き渡る。
もう、誰も下を向いてはいなかった。
〝堅苦しいのはここまでとしよう。私から貴官らに送る言葉は一つ――無事、任務を終えてみんなでアディヴに戻ってくるぞ。翼の祝福に道を掴まんことを〟
――道を辿りし先に翼の加護が安らぎをもたらさんことを。
その場に集った管理官たちが、一様に左胸に拳を当てて返礼した。
「転生者保護任務以来だね。こういうの……」
「ああ。思えば……あの時から続いていたんだな」
感慨深げに呟いたオギナに、アラタも気合を入れるように腰のベルトに吊るした双剣の柄に触れる。
〝これより、第一部隊出陣する。騎乗!〟
ヒューズの号令に、皆が流れるように天馬にまたがった。前列から順にいったん空へと飛び上がる。アラタたちの番になると、アラタも天馬の腹を蹴った。翼を広げ、天馬が勢いよく空へと駆け上る。
広い西部基地の上空を幾百頭の天馬が駆けていた。もう地上はだいぶ遠い。これほどの大所帯だ。第四方陣を通過する前後に、一度上空で隊列を整えながら待機する。そうして第四方陣を一気に通過するのだ。
うなる風が耳元を過ぎる中、地上から眩い光が空へと伸びた。闇に包まれていた異世界間仲介管理院の敷地に、柔らかな光が降り注ぐ。
〝こちら管理部転移方陣管理課、第四方陣『道』の解放を確認。第一から第四方陣の起動による進路変更はありません。いつでもどうぞ――翼の祝福に道を掴まんことを〟
ノアの声が共鳴具から響く。眩い光の柱が、アディヴの地をあまねく照らし出した。空で待機していた天馬が、真っ直ぐ立ち上った光の柱へ一斉に吸い込まれていく。アラタも隊列を乱さないように天馬を駆り、輝く光の「道」へと躊躇なく突っ込んだ。
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