File8-3「探り合うお茶会」
アラタはサクラと向かい合い、彼女の執務室で机を挟んでお茶をしていた。
サテナとカイはその後、任務が入っているということだったので、そのまま訓練場で別れたのだ。さすがに初対面の人間とお茶をするのもどうかと、アラタも最初は辞退した。しかし、サクラが「せっかくですし、一緒に食べましょう」と譲らず、こうして今に至っている。
ほのかに花の香がする紅茶はそこまで癖がなく、すんなりと喉を通った。おいしい、とアラタがこぼす。すると、サクラが嬉しそうに破顔した。
「実は先日、ヒューズ管理官からお裾分けでいただいたんです」
「ヒューズ管理官が? 意外です……」
アラタが思わず目を丸めた。確か、ヒューズは辛いものを好む人だったはずだ。サクラに渡すものだから、花の香がする紅茶を選んだのだろうか。
「何でも、花を育てているという先導者の方からいただいた花なんだそうです。珍しいものなので乾燥させて刻み、紅茶の茶葉とブレンドしてみました」
サクラは左手を頬に添え、にっこりと微笑む。
アラタは危うく紅茶を噴きそうになった。
「ぶふっ! げほっ、ごほっ……っ!」
どうにか紅茶をぐっと胃の中へ落とし込む。思わずちらりと茶器の中の紅茶を見下ろした。
つい先日、任務をともにした無表情の死神が目に浮かぶ。経緯はわからないが、ヒューズに自分が手塩に育てた花を贈るために鉢植えを抱えた姿がありありと想像できた。紅茶に混ぜられた花そのものは見た目も味も普通で、体に違和感もない。けれど、なんとも言えない顔でアラタはカップをソーサーへ戻した。
「大丈夫ですか?」
「すみません……誤って気管に入ったようで」
目を丸くするサクラを前に、アラタは複雑な表情のまま言い訳をした。
「そうそう、実はアラタ管理官に少しお尋ねしたいことがあるのですが……」
サクラが静かに紅茶を喫し、そっとカップを卓上のソーサーに戻す。穏やかな微笑とともに、彼女の青い瞳が真っ直ぐアラタへ向けられた。
「はい。私に答えられることでしたら、遠慮なくどうぞ」
アラタも疑問に思うことなくそう答えた。
サクラの双眸が、そっと細められる。
「アラタ管理官は、もしや転生者ですか?」
その問いかけは、あまりにも普段通りの口調で発せられた。
世間話をするような調子だったために、咄嗟に理解が追い付かなかった。アラタの動きが一瞬止まる。
今、サクラ管理官は何と聞いてきた?
アラタは目を見開いたまま、サクラの顔を凝視する。彼女が発した「転生者」という単語が、アラタの中でいくつも反響する。やがて、現状を理解したアラタの心臓が跳ねた。
沈黙するアラタを、サクラは穏やかな笑みを湛えたまま見つめている。アラタの視線を受け、僅かに首を傾げている様があまりにも自然だった。今自分が発した質問が、どれほどアラタの立場を窮地に追いやっているのかまるでわかっていないと言わんばかりだ。
アラタは、サクラの優しげな笑顔がこの上なく恐ろしいと思った。
「管理官は……『無垢なる者』だけに限定して任命されます。それは、サクラ管理官もご存知では?」
あえて明確な否定はしなかった。サクラが何を根拠にしてアラタを元・転生者と見破ったのかわからない以上、下手な否定は悪手だと思ったからだ。
サテナとカイがこの場にいないことが悔やまれる。いや、もしかして初めから二人が付き添えない時間を見越して指定してきた可能性もある。
何せ、面会の日時を指定してきたのはサクラの側である。
異世界間防衛軍の第十部隊隊長という立場であるから、多忙の中で時間を割いてくれたのだとそこまで深く疑いもしなかった。しかし、彼女が何らかの方法でアラタが転生者であることに気づき、その是非を問いただす目的であったのなら、完全にハメられたことになる。
アラタは自分を落ち着けるように再びカップを手に取った。そのまま紅茶に口をつける。自分は、落ち着いた様子を取り繕えているだろうか。ひどく不安で、心許ない。
「おっしゃる通りです」
サクラは変わらぬ笑顔のまま、アラタが贈ったクッキーを摘まんでかじる。おいしい、と嬉しそうに笑う彼女を、アラタは警戒の目で眺めていた。
「異世界間仲介管理院は絶対的な中立の立場を神々に示さねばなりません。そのため、魂に『世界の記憶』を刻んだ者を管理官にすることを忌避しています。養成学校でも最初に習うことですね」
ですが……、とサクラはカップを再び手に取る。スッと視線をアラタへ据えた。
「要は神々からの干渉さえ受けなければいいわけですよね? それならば、転生者や召喚者にも管理官になる資格はあるのではないか。アラタ管理官はそう考えたことはありませんか?」
「……サクラ管理官のような考え方もなくはない、とはお話を伺っていて思います。しかし、規則を破れば異世界間連合の神々からの抗議は免れません。それは場合によって、異世界間仲介管理院の存続にも関わることでしょう」
アラタは努めて平静とした態度で応じた。カップをソーサーへ戻す。手が震えなかったことに内心安堵した。サクラは紅茶を喫すると、にっこり微笑んだ。
「実は、怪我をしたアラタ管理官の状態は新しい肉体へ魂を移し替えた方がいいほどの重症でした。回復魔法を施したとしても、まず助からないと私は判断したのです」
サクラの言葉に、アラタはぴんっときた。彼女がアラタを転生者と疑った理由は、どうやら人並外れた回復力にあるのかもしれない。
「……肉体のタフさには、自信があるんです。昔から、普通の人より怪我の治りが早いんです。養成学校時代も、教官に呆れられたほどです」
「まぁ、そうだったんですね! とても頑丈でいらっしゃるのね!」
朗らかに微笑むサクラに、アラタがホッと息をついた。
これで少しは誤魔化せただろうか。
アラタが肩の力を抜いた時だった。
「私が新しい肉体が用意できるまでの繋ぎとして応急措置を施していた最中、ご自分の力で自己修復をされていましたよね? あれも昔から得意でいらっしゃったのですか?」
満面の笑みとともに囁かれた言葉に、今度こそアラタは沈黙する。
「肉体の差し替えでなければ助からないほどの重症を負いながら、複数の管理官権限の並列執行……それを無意識下で行うなど、いかに優秀な管理官でも不可能です。これだけで、アラタ管理官の技量は並外れていると言えるでしょう。そう……まるで大昔、魔王討伐支援の一環で出撃した際に治療した『勇者』さんのようでした」
サクラは笑顔でなおも穏やかに言いつのる。
「『勇者』さんを筆頭に、転生者や召喚者の方々の中には神々から受けた加護の力で、自らの肉体を無意識に再生される方もいらっしゃいます。しかし、魂に直接加護を刻んでいない管理官では、そもそも意識を失った時点で管理官権限を執行することすらできなくなります。それはアラタ管理官もご存知ですよね?」
「……はい」
アラタは自分の顔から血の気が引くのを感じた。
サクラが勇者を治療したことがあるとは思わなかった。いや、戦場で他部隊の支援を長年続けてきた人だ。むしろ、治療に携わる機会はどの管理官よりも多かったことだろう。そうなると、サクラは魂に「世界の記憶」を刻んだ人々の肉体的な性質をよく知っているということだ。
まずい……、とアラタは冷や汗を流す。
彼女の「医師」としての洞察力はごまかせない。
「あ……えっと……そ、れは……」
それでも、アラタは必死に言葉を紡ごうとして、結局は何の言い訳も浮かばずに口ごもる。
「はい、それは?」
穏やかな声で先を促される。木綿で包まれるように首を絞めつけられているような心地だ。
アラタの真っ白になった脳内が、思考を早々に放棄してしまう。考えろとアラタが焦るほど、どうこの場を切り抜けるべきか正解が見いだせなくなる。
ああ、ダメだ……誤魔化し切れない。
アラタが絶望とともに項垂れた。黙り込んだアラタを前にサクラは小さく息をつく。カップをソーサーに戻して居住まいを正した。
「だいたい把握いたしました。今後のためにも、こういった疑問をぶつけられた時に切り返せるよう……幾通りかの言い訳を用意しておかなければなりませんね」
「……え?」
血の気の失せた顔を上げ、アラタは間の抜けた声をもらした。サクラが首飾り型の共鳴具に触れ、虚空にある紋章を映し出した。
管理官の証である「交差する道と翼」、その中央に一振りの剣が差し込まれた「異世界間特殊事例対策部隊」の紋章だった。
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