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管理官アラタの異世界間仲介管理業務  作者: 紅咲 いつか
三章 管理官アラタの異世界間事象管理業務
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File8-0「苦手な上司」

 どうしてこんなことになったのか。

 アラタは震える手でパンをちぎりながら、強張った顔を目の前に座る男へ向けた。穏やかな微笑を浮かべた男は、アラタが注文したビーフシチューセットと同じものをトレーに載せている。男の白い指先がパンをちぎり、よく煮込まれたビーフシチューに浸され、口元へと運ばれていく。たったそれだけの所作ですら、洗礼された美しさが滲み出ていた。

「普段はあまりシチューを頼むことはないのですが……なかなか味わい深い料理ですね」

「え、ええ……気に入っていただけたようで嬉しいです」

 微笑とともに話しかけてきた男に、アラタは頬を若干引きつらせながら応じた。自分が作ったわけではない料理の賛辞に、アラタが喜ぶというのはおかしいと頭の中ではわかっていた。しかし、それを表面上に出すわけにもいかず、なんとも微妙な気持ちでアラタも好物のビーフシチューを口元へ運ぶ。

 残念ながら、まったく味が感じられなかった。

 俺、何かやらかしたかな……?

 アラタはしげしげと目の前に座る男を観察する。

 鮮やかな青い髪を短く切り、長い両耳がその髪の間から伸びている男は、同性のアラタから見ても中性的で美しい顔立ちをしている。白い肌に、猛禽類を思わせる金色の双眸が美しい外見の中にどこか獰猛さを湛えており、女性管理官からは「そこがいいの!」だと人気が絶えないらしい。

「そう警戒しないでください」

 男はパンを口に運びながら、その口元を僅かに綻ばせた。

「私はあなたと一度、お話をしてみたかっただけですよ。アラタ管理官、この場で取り交わされる会話は取るに足らない『雑談』であり、上司と部下という立場もいったん忘れて楽にしてください」

 男が緊張しっぱなしのアラタに笑いかける。

「はぁ……」

 アラタはぎこちない仕草で肩の力を抜く。口から出たのは、気の利かないため息に似た相槌だった。

 せめてこの場にオギナやジツがいれば、もう少し違ったかもしれない。しかし残念ながら、オギナもジツも午後一で待魂園での面談が入っていて、早めにお昼を済ませていた。

「本当はもっと早くにお会いしたかったのですが……なにぶん、召喚部はその職務柄、どうしても自由に時間が作れないことが多いのです。それでも、アラタ管理官の活躍ぶりは召喚部でも噂になっていますよ。異世界間仲介管理院は優秀な人材を歓迎します。アラタ管理官、もしもあなたが召喚部での業務にご興味がおありでしたら、私が推薦してあげましょう」

 そこまで言って、男は「おっと……」とおどけた調子でくすくす笑う。

「いけませんね。『雑談』と言っておきながら、『仕事』の話をするのはルール違反でした。気を悪くなさらないでください」

「いえ、その……恐縮です、カルラ部長」

 アラタは恐る恐る目の前の男――異世界召喚部を統括する部長・カルラにそっと頭を下げた。むしろ、そのまま仕事の話を続けてくれ。その方が救われる。

 アラタは内心で涙目になった。

 お昼時を過ぎ、人がまばらな食堂の一角。ようやく仕事から解放された管理官たちが遅めの昼食を取っている中、アラタは仕事の延長線上のような心地でカルラとともに食事をしていた。

 異世界召喚部の部長が、転生部に所属している管理官と一緒に食事をしている光景は人がまばらな食堂内でひどく目立つ。アラタは己の背に感じる周囲からの視線に、思わず目を閉じた。

 こんなことなら、溜まっていた仕事を片付けてしまうんじゃなかった……。

 アラタは内心で大いに嘆く。自宅療養中に溜まった事務仕事を片付け、ようやく先程、昼休憩に入ったところだった。そんなアラタが食堂でメニューを眺めていたところに、同じく昼休憩に入ったカルラと鉢合わせしたのである。アラタが咄嗟にカルラに向けて敬礼すると、彼はアラタを見るなり「一緒に昼食を食べないか」と誘ってきた。初対面にも関わらず気さくに話しかけてくるカルラの誘いを断り切れず、こうして今に至っている。

 カルラは異世界間仲介管理院の現院長・マコトの右腕として、その有能さを買われて現在のポストに上り詰めた人物である。何事においても冷静かつ迅速な判断が下せることから、情勢の変化にすぐさま対応しなければならない召喚部を見事にまとめ上げている。部下からの信頼が厚い一方で、普段から己の心のうちを見せない隙のなさから、常に距離を置かれている人物でもあった。

 この人、どうも苦手なんだよな……。

 アラタはちらりとカルラを一瞥し、視線を手元に戻した。

 先程からアラタに和やかな調子で話しかけてくるカルラだが、その双眸はまるで獲物の弱点を常に探っているようにアラタの挙動を観察している。それがひどく、アラタには居心地が悪かった。

 防衛部のラセツは厳格、転生部のセイレンは高貴、召喚部のカルラは策謀を極端な形で具現化したような人たちだ、などとは管理官たちが裏で囁く比喩である。

 まったくもって的を射ていた。

「カルラ部長は、その……いつもこの時間に昼食を……?」

 とにかく何か話題を振らねば、と頭を巡らせ、アラタは当たり障りのない質問をカルラへ投げる。

「ええ、召喚部にいると、なかなか昼休憩が取れないことも多いもので。今日は遅くなりましたが、どうにか時間を作ることができました。かれこれ十日ぶりにまともな食事にありつけましたよ」

「あぁ……そうだったんですね」

 にこにこと笑顔で語ったカルラだったが、その内容があまりに過酷さがにじみ出てしまっている。アラタは乾いた笑い声をあげて流すしかなかった。

「その……最近は特に魔王への対策強化が打ち出され、召喚部は特に忙しいと聞いていましたが、それほどとは思いませんでした……」

 アラタは正直な感想を述べる。

 つい数日前、異世界間連合会議において、「魔王化現象における対策」議案の一つとして「白装束の集団」による人為的な魔王化現象の誘発事件の内容が公表された。それを受け、異世界間連合は正式に、異世界間仲介管理院へ取り締まりの強化を命じ、現在、異世界間仲介管理院は防衛部を主軸にそれ以外の部署にも通常業務に加えて、白装束の集団による無差別攻撃への対策業務が課せられたのである。

 おかげさまで、ここ数日間はどこの部署も残業が続いていると聞いている。

「私も驚きました。まさか魔王を人為的に生み出そうなどと、考える輩がいるとは……」

 サラダのトマトをフォークで突き刺しながら、カルラが目を細める。

「あまつさえ、それを制御できると考えているところに、彼らの浅はかさが見えて実に滑稽です」

 トマトを口へ放り込み、咀嚼しながらカルラが同意を求めるようにアラタを見た。ここは慎重に受け答えをせねばならない。アラタの直感がそう囁いてきた。

「しかし、実際にそのようなことが可能なのでしょうか? 魔王とは言ってしまえば純粋な『暴力』の塊です。そんな災害以外の何物でもないものを、どうしてそこまで……」

 あたかも事件の全容を知らぬ態で、アラタは眉間にしわを寄せた。スプーンを持つ手に、自然と力が入る。

「『魔王』とはこの世において忌避するべき存在ですし、アラタ管理官の疑問はもっともでしょう」

 アラタの緊張を、この事件に対する「怒り」と捉えたカルラが神妙な顔で頷いた。

「そうですね……たとえ話をしましょう。アラタ管理官は人間という種族の歴史について学んだことは?」

 唐突にカルラが尋ねてくる。

「へ? ええっと……養成学校で習った一般常識の範囲でしたら。人間は道具を用いたことで手先が発達し、それが脳構造に影響を与え、様々な技術・知識を習得していき、より高度な文明を築く傾向があると聞き及んでおります」

「その通りです。ヒト族が住まう世界の中には、雷や水、火などの自然現象や人為的に引き起こしたエネルギー反応を自分たちが制御可能な原動力にして環境を作り替えている文明もあります」

 言わば……それと同じことをしようとしているのでしょう、とカルラは苦笑する。

「魔王とは言わば、神の力と性質が真逆であるエネルギーの塊……それを制御可能な技術さえ発明できれば、大変魅力的な原動力と言えるでしょう。もちろん、兵器として、です。白装束の連中は神々に対しての反意が強いようですから、彼らへの対抗手段として魔王に手を出す心理は理解できます」

 カルラはシチューを一口すすると、目を丸めた。

「おや、このお肉は絶品ですね」

「しかし……魔王は『勇者』の力で消滅させることができます。たとえ神に匹敵する力なのだとしても、決して万能ではありません。いくら神々が魔王を脅威と認識しているとはいえ、『アヴァリュラスの永獄』のように結局は神々の力の前に封じられたのです。その白装束の集団のやろうとしていることは、無謀と言えるのでは……?」

「なるほど……アラタ管理官はそのようにお考えなのですね。まぁ、私の認識はおおよそ間違っていなかったようです」

 相槌を打ったカルラの口角が僅かに上がったことに、アラタは気づかなかった。首を傾げるアラタに、紅茶を喫するカルラは微笑む。

「アラタ管理官、あなたは『勇者』の力の本質とは一体何か、ご存知ですか?」

「えっと……神々から与えられた加護、ですか?」

「確かに、勇者として異世界へ転生・召喚される際に、神々が勇者に常人離れした加護を付与することは常態化しています。しかし、それは勇者の力のほんの一側面にしか過ぎません」

 カルラの言葉に、アラタは考え込む。神々が恐れる魔王を、神以外で唯一征伐できる存在が「勇者」である。改めて言われてみれば、何故「勇者」は魔王を討伐できるのであろうか。

「この質問は宿題としておきましょう」

 ガタッと椅子を引き、カルラがおもむろに立ち上がる。空になった食器を載せたトレーを手に、カルラはアラタを見下ろしてにっこりと笑った。

「今日は楽しい昼食の時間をご一緒していただき、ありがとうございます。とても有意義な時間でした。また今度お会いした時に、先程の質問に対するアラタ管理官の回答を伺うこととします。では、私は仕事に戻りますので、お先に失礼いたしますね」

「は、はい! お疲れさまです!」

 アラタは慌てて立ち上がると、左腕を腰の後ろに添え、右手を心臓の上にあてた。

「また、一緒にお仕事できる日を楽しみにしています」

 カルラはそう言ってアラタに背を向けて歩き去っていった。残されたアラタはカルラの背を呆然と見つめている。

「えっと……()()? 俺、今まで一度も召喚部の人とは一緒に仕事したことなかったはずだが……?」

 アラタはもやもやとした疑問を抱えたまま、しばらくして椅子に座り直した。そのまま、すっかり冷めてしまったビーフシチューを口に運ぶのだった。

Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2021

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