File7-17「過去の亡霊」
全身を白い装束に包んだ長身の男が、紺色の双眸をアラタたちに向ける。瞳と同じ色の長い髪を一つにまとめ、右手をズボンのポケットに突っ込んだ男は、左手に持った分厚い書物を浮かせて苦い顔になった。
「白の装束……っ!」
「やはり貴様らが裏で糸を引いていたか」
息を呑むオギナの傍らで、ツナギが険しい表情で呟いた。
「お前らが……っ!」
アラタの眼光が鋭さを増す。異世界グロナロスでかつての友を魔王に貶めただけでなく、今回は何の罪もないトルカの魂にアヴァリュラスの防壁片を埋め込み、魂を消滅させた連中の仲間である。アラタの中に、ふつふつと湧き上がる怒りと憎悪は抑えがたいものになっていた。
怒気を滲ませるアラタたち三人の背後で、ツイがひどく困惑した声を上げる。
「かの者は、勇者か? 転生者……いや、召喚者とも言えるか?」
オギナが弾かれたようにツイを振り返った。
「ツイさん、目の前のあいつはどう視えますか?」
オギナの言葉に、ツイはゆっくりと頭を振った。
「残念ながら、私には何も視えない。まるで靄に覆われてしまっているようだ」
「……これも奴らの加護の効果か」
ツナギが苦い顔で吐き捨てた。ツイの様子から、アラタたちは一つの可能性に思い至る。
「先導者がその魂に刻まれた『想い』を読み取れないとなると……お前たちは勇者に成りすますことも可能ということか」
「まぁ、時にそういう手段を取ることもある、とだけ言っておこうか。騒がしいから様子を見に来てみれば……間が悪いというか。とりあえず、そいつを置いていってくれ。そいつにはまだ役目があるんでな」
「そう言われて、素直に応じると思うか?」
アラタが双剣の切っ先を男に向けたまま凄んだ。
「まぁ、最初から期待はしていない」
長身の男はため息まじりに肩をすくめた。
「交渉の余地があるなら……と尋ねてみただけだ。決裂したなら、後は処理するまでのこと」
長身の男は左手に浮かせた書物を開き、虚空にいくつもの魔法陣を生み出す。浮き上がった男の紺色の双眸が、ひたりとアラタを見据えた。
「〝深淵を覗く観測者〟ミュー――お相手願おうか、アラタ管理官」
「ツイ殿、護送対象の護衛を頼む!」
ツナギが鋭い視線をオギナとアラタに投げた。オギナが手にした弓の弦を引く。
「管理官権限執行、光矢!」
オギナの放った光の矢が、虚空に軌跡を描きながらミューと名乗った男へ降り注ぐ。
「〝護れ〟」
ミューが左手で虚空を撫でると、彼の前に透明な壁のようなものが出現する。オギナの放った矢が弾かれる。そこへミューへと肉薄するツナギとアラタがそれぞれの武器を振り下ろした。
「管理官権限執行、地柱槍!」
「管理官権限執行、炎舞!」
ツナギの拳が地面を抉り、そこから鋭い土の槍が飛び出す。見えない壁を砕いたそこへ、双剣に炎を纏わせたアラタが突っ込んだ。
「〝弾け〟」
右手を振り上げ、アラタの振り下ろした双剣の刃を風の刃が弾いた。息つく間もなく、ミューの左手が虚空を撫で、三つの魔法陣を出現させる。
「〝雫〟〝拡散〟〝穿て〟」
ミューの生み出した無数の水滴が風の渦に乗り、アラタへ襲い掛かる。
「管理官権限執行、魔法攻撃反射、守護結界!」
アラタが大きく跳ぶと双剣を交差させる。無数の水滴がまるで弾丸のように地面を抉った。
「管理官権限執行、水矢!」
「管理官権限執行、氷刃!」
オギナとツナギが同時に権限を執行する。
「〝消失〟」
ミューが書物をかざす。するとオギナとツナギの放った水の矢と氷の刃が消失した。
「くっ……攻撃が当たらない」
オギナが苦い顔で吐き捨てる。相手は魔法戦に長けているようで、確実にこちらの魔法の性質を見抜いて相殺してくる。
「なら近接戦に持ち込むまでだ」
アラタは双剣を構え、駆けた。ミューが応戦するように書物を掲げる。
「〝雷撃〟」
「〝俊足〟」
アラタの姿が掻き消える。ミューが放った雷撃が、アラタの残像をすり抜けた。すぐさま、ミューは背後に腕を振った。
「〝穿て〟」
ミューの放った衝撃波が回廊を抉り、激しい音を立てて崩れ去る。その砂塵を裂き、炎を剣身に纏わせたアラタが頭上からミューへ迫った。
「〝業火〟」
獲った、とアラタが双剣を振り下ろす。アラタの炎が、目を見開いたミューの瞳を焼いた――
「脇が甘いですよ、アラタ管理官」
唐突に横合いから伸びてきた太い腕に、アラタは地面へと叩き伏せられた。
「がっ……」
口内に血と砂の味が混ざり合う。目を向ければ、全身を白い外套で覆った巨体がアラタの頭を地面へ押し付けていた。目深に被った覆いから覗く唇が笑みを浮かべる。
「アラタ!」
オギナがアラタを抑えつける大男に向けて矢を放つ。
「〝拡散〟」
ミューがすかさず妨害した。オギナの放った氷の矢が無残にも砕け散る。
「くそっ、お前は……オメガッ!」
アラタがギリッと歯を食いしばる。己の頭を抑えつける男を見上げ、その鋭い目に憎悪を滲ませる。異世界グロナロスで、かつての旧友を魔王へと貶めた連中の一人である。アラタの視線を受け、オメガはどこか嬉しそうに笑った。
「またお会いしましたね、アラタ管理官」
オメガはアラタを見下ろしたまま、声を低める。
「あなたに刻まれた加護の数には及びませんが……もうあの時のように遅れは取りません」
「……あの時?」
オメガの言葉に、アラタは怪訝な顔になる。オメガの手が無造作に己の覆いを払った。
灰色の髪に深紅の瞳、そしてピンッと立った狼耳を持つ男を見上げ、アラタは驚愕に目を見開いた。
「あなたは――タダシ管理官?」
アラタは己を見下ろしたまま、暗い笑みを浮かべる男を呆然と見つめた。
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