File1-14「少女の旅立ち」
百香が待魂園を逃走した日から、三日後。
彼女の異世界転生の日がやってきた。
異世界間仲介管理院の敷地内。その最北にある聖堂に設置された転移方陣が起動音を上げた。
「第二方陣、起動します」
機器を片手に、女性管理官が声を上げた。
魔法陣が刻まれた台座が輝き出し、それまで乳白色だった床が透けて見えるようになる。台座の下では、複数の魔力石や歯車が回転していた。
「魔力安定率、七十パーセント。供給率は三十四です」
「随分低いな。了解。こちら装備部交通手段開発整備課、管理部転移方陣管理課に申請。第二方陣の魔力供給率が低い。もう少し上げてくれ」
「転移座標の入力完了、安全装置点検中……異常ありません」
虚空に映し出した画面と転移方陣を交互に確認し、複数の管理官たちが行き来している。
空間転移は装置に細かい調整が入り、様々な段取りを経て起動する。最終的には管理部転移方陣管理課の承認を得て、転生者たちを送り出す流れだ。
僅かな座標のズレも、設備の不備も許されない。
確認に次ぐ確認作業に、第二方陣の周りはちょっとした戦場だった。
「なんか、大変なんだね。異世界転生って」
作業中の管理官を眺めたまま、百香はぽつりと呟いた。
「変なところに飛ばされたら嫌だろ? だから入念にチェックするんだ」
「確かに」
百香と並んで待機しているアラタは、傍らの少女をちらりと一瞥した。
三日前のような動揺は見られない。百香はこうして待っている間も、落ち着いた様子で管理官たちの作業を物珍しそうに眺めていた。
彼女の目は光輝く方陣に注がれている。
これから赴く世界に挑む。
そんな気概が、全身からあふれていた。
もう、彼女が弱音を吐くことはないだろう。
「準備が整いました」
転移方陣の準備をしていた管理官が声をかけてくる。
「……それじゃ、ね」
「ああ、行ってらっしゃい」
百香が素っ気なく言い、アラタも静かに頷く。
彼女はしっかりした足取りで転移方陣へ向かう。
その背を、アラタはただ見守った。
「あ、忘れてた」
不意に、百香が声を上げた。
何事だ?
アラタを含め、周りで待機していた管理官たちが怪訝そうに百香を見つめる。
転移方陣からくるりと踵を返すと、百香はアラタの方へ駆け寄ってくる。
「挨拶するの、忘れちゃった」
百香がにっこりと微笑んだ。
アラタは百香の行動に呆れ返る。
「はぁ!? 事前に伝えておいただろう!! ったく、挨拶をし忘れたのは待魂園の女性職員か? あるいは園長? すぐに呼んでくるから――」
ぐいっとアラタは腕を引っ張られた。
右の頬に、柔らかいものが当たる。
一瞬、アラタは何が起こったのか理解できなかった。
熱を帯びた柔らかいそれは、すぐに離れた。
不敵な笑みを浮かべた百香は、アラタに背を向けると光に包まれた転移方陣の中へ飛び込む。
「今までありがとう!! 私の一番の理解者、アラタさん!!」
振り向きざまに百香は片目を瞑って見せた。
アラタが返事をする前に、彼女の姿は光に包まれ、そのまま空へと飛び立っていった。
「あいつっ……」
その場に取り残されたアラタは、一部始終を見ていた管理官たちから生暖かい視線を浴びせられる。自分の顔が熱を帯びるのを自覚した。
「これはまた……」
「あらあら、青春ねぇ」
「爆死必須」
「あんたも隅に置けないなぁ」
「ご、ご協力ありがとうございました!」
にやつく管理官たちの視線から逃げるように、アラタは転移方陣のある部屋を飛び出した。
とんだ復讐に遭ったものだ。
アラタが早足で廊下を歩いていると、紅い髪の女性が出口に佇んでいた。腕を組み、扉に預けていた背を起こす。
「ツナギ先輩……」
アラタは思わず立ち止まった。
「二十点」
ツナギは厳しい声音でそう言うと、アラタへ歩み寄ってきた。
「及第点には遠く及ばない」
アラタはそっと頭を下げる。
「すみませんでした」
「何に対して謝罪を示しているか、具体的に述べよ」
ツナギは容赦ない。
アラタは頭を下げたまま、そっと目を閉じた。
「管理官として、至らぬ点が多々あったことは自覚しております。先輩からご指導いただいた転生者に対する態度も、業務を行う上で必要な手順も、私はなっておりませんでした」
それだけではない。アラタはグッと拳を握りしめた。
「さらに私は……相沢百香に対し、同情から必要以上の干渉を行いました」
管理官は転生していく者の新たな門出を祝福し、新しい世界へ送り出す立場だ。
仕事上、転生者の生前の行いやその過程を知ったとしても、そこに個人的な悲しみや怒りなどの負の感情を持ち込んではいけない。
オギナの助言で気づかされた、百香の矛盾する言動。
そして彼女の経歴を再度見直し、アラタが行動を改めた結果――三日前の騒動である。
百香のためを思って行動したつもりでも、アラタの行動は裏目に出た。結果的に百香をより一層不安にさせてしまった。
その後のフォローももっとスマートに……他にやりようがいくらでもあったのではないか。
オギナのような器用さもなく、ただ正面からぶつかることしかできなかったアラタは、そう自己評価を下した。
殴られるだろうな……。
ぼんやりとそう思っていると、ツナギが組んでいた腕を解いた。
来たる衝撃に備え、アラタは目をつむる。
今回は、ツナギの強烈な拳を受けるべきだと、アラタは覚悟していた。
しかし、いくら待てどもアラタの頭に拳が落ちてくる気配はない。
不思議に思って顔を上げると、ツナギは無言のままアラタを見つめていた。
「……先輩?」
「管理官たるもの、常に転生者の不利益になるような言動は慎まねばならない」
ツナギはアラタを見つめたまま、ぽつりとこぼした。
「しかし、時に管理官の抱く感情こそ、転生者を真に救うことがあることも事実だ」
普段の堂々とした佇まいのツナギにしては珍しい。どこか罰の悪そうな表情だった。
「あの、叱責は……」
「自ら反省する者に拳を振るうほど、私は鬼ではない」
ツナギは目を鋭く細め、アラタに命じた。
「お前が担当した少女は、ここでのことを忘れる。だが、お前は決して忘れてはならない」
はい、とアラタはしっかりと頷く。
異世界間仲介管理院での記憶は、転生者・召喚者が異世界へ旅立った時点で強制的に抹消される。異世界での新生活に早く馴染んでもらうためと、組織の秘密保持による不利益の回避。そして何より、管理官によってもたらされた転生者の過去の傷を少しでも癒すためだ。
管理官は転生者の要望を聞き出す際、生前の記録を参考にする。それは、転生者にとって思い出したくない、触れられたくない記憶であることがほとんどだ。
悲しみや苦しみ、怒り、憎しみなどの感情はその人の魂を歪めてしまう。
だからこそ、異世界間仲介管理院はできる限り、転生者の心のケアに努めている。
それでも業務上、どうしても触れなければならない場面が多いのだ。
だから転生者は旅立ちと同時に、管理官のことを忘れ去る。
対して、管理官は彼らとのやり取りの記憶を持ち続ける。それが、管理官が課せられた転生者たちへの贖罪行為なのだ。
同じ過ちは繰り返さない。
アラタは胸の内で呟く。
記憶を持ち続けるということは、常に己の言動を省み、正し続ける義務があるということだ。
ツナギはくるりとアラタに背を向けた。
「転生者に同情するのはかまわない。ただし……決して、彼らを軽蔑してはならない。絶対に、だ」
カツカツとブーツのかかとを鳴らしながら、ツナギは聖堂を出ていった。
アラタは姿勢を正す。左腕を腰の後ろに添え、右手を心臓の上に当てた管理官敬礼をとった。
「はい!!」
アラタの返事を背に聞き、ツナギの口元が静かに弧を描いたのだった。
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