File7-14「兄神と弟神」
集いの場の一角、咲き誇る花々と流れ続ける泉を見渡せる東屋の下で、冥界の主神カルトールとスグルは長椅子に腰を下ろしていた。
カルトールは相も変わらず無表情だが、その実、内心ではひどく落ち込んでいるのが傍目からはよくわかる。スグルの視線がカルトールの足元へ向く。彼の足元でざわざわと蠢く黒い靄や影が、彼の落ち着かない心境を如実に語っていた。
思わずため息がもれる。
「それで、今度は何と言われたのかね?」
「『貴神の眷属である死神は異世界間連合の許可なくあらゆる世界へ行き来することが可能である。それは死を司る神としての責務ゆえに我らは甘んじてその行動を容認してきたが、今回のように貴神の職務上の特権を悪用するなど言語同断である。身の潔白を証明するのであれば、速やかに審問を受け入れられよ』」
「ふむ……ではこう言い返したまえ。『貴神は馬鹿か?』」
「っ!?」
スグルの物言いに、それまで顔を俯かせていたカルトールが弾かれたようにスグルを見つめた。顔こそ無表情だったが、彼の足元で黒い靄と影が縮こまっている。
カルトールの様子を、スグルは鼻で笑った。
上に立つ存在として、こういう時こそ毅然とした態度で臨まねばならない。そうでなければ配下の者に申し訳が立たないのだ。それなのに、目の前にいる冥界の主神は何を縮こまっているのやら……スグルはもはや呆れを通り越して笑えてくる。
「では、こう言いたまえ。『そもそも審問にかけられるような不正など行っていない。何より、冥界側は異世界間連合と異世界間仲介管理院より要請を受け、転生者の魂の運搬を担ってきた。死者の魂の采配を預かるゆえに、我らはその責務に従事してきたまで。そうして培ってきた信頼を裏切るような真似を我らが行うことなどあり得ぬ。冥界の主神カルトールの名において断言してもよい。それにも関わらず、何故、貴神はアヴァリュラスの防壁片を不正に流用したなどと、根拠のない疑心を我らに向けられるのか。謂れのない疑心に我らは憤りすら覚える。まずは貴神がそのような妄言を信じるに至った経緯の説明を願おうか』」
カルトールは黙って頷くと、目を閉じて思念を送るのに集中する。
スグルはカルトールの様子を眺めながら、その双眸を細めた。
なんとも不毛で、生産性のない応酬であろうか。
神々はその終わりなき永久の時を、有効活用する術を知らずに持て余していると言っていい。こんな不毛な会話など交わしている暇があるならば、その無限の時をすぐにでも解決せねばならない問題へと向けるべきである。考えるべき問題を放り出しておいて、責任だの信頼だなどと、どの口が言うのか。スグルはカルトールを通して行っているこのやり取りに、だんだん苛立っていた。
「っ!?」
ビクリとカルトールが全身を震わせた。表情の乏しい顔がそれとわかるほど強張る。今日は無駄に客人が多い日のようだ。
スグルはカルトールの表情の変化に、目を鋭くさせた。
「ふむ……客人か。よい、貴神は身を隠されよ。あとは私が引き受ける」
「……感謝する」
初めて、カルトールの表情が苦しげに歪んだ。黒い靄が彼の全身を包み込み、そのままスグルの足元の影へと吸い込まれて消えた。
同時に、それまで色を失っていた花々が急激にその生命の輝きを増した。鮮やかなまでに色づく花々の様子を眺めていると、眩い輝きが集いの場の一角に現れる。
光が四散すると、一柱の神が佇んでいた。長い黄金の髪と深い碧空色の瞳が白磁の肌に映える。上等な白い装束には余すことなく金糸でかの神を湛える言葉とかの神を示す紋章が縫い込まれている。
スグルは東屋の下で立ち上がると、現れた男神へ恭しく頭を下げた。
「天界を束ねる最も高貴なる主神、アスラさまにご挨拶申し上げます」
「久しいな、スグル」
現れたアスラはその美しい顔に柔らかな笑みを浮かべた。見る存在すべてを虜にしてしまうほど、その柔らかい笑みには抗いがたい魅力があった。
スグルはアスラを直視することなく目を伏せたまま、頭を少しだけ深く下げた。
同じ母神から生まれた兄弟神の中でも、周囲からの扱いに落差が激しい典型的な兄弟例だろう。
アスラ神――冥界の主神カルトールの弟神にして、異世界間連合の常任理事世界の一角……そして「判定者」の立場にある神である。
「判定者」とは、異世界間連合会議における議案の採決に、決着がつかなかった場合、最終的な決定を下す権限を持つ神のことである。常任理事世界の神々の中から三柱のみが選ばれ、その三柱が賛成派と反対派が拮抗する議案の再検証を行い、最終的な判断を委ねられる。再検証の結果、「判定者」の称号を持つ三柱が出した結論が、そのまま異世界間連合会議における「決定」として扱われる。
「……もしや、兄神がいらしていたのか?」
アスラの碧眼がわずかに細まった。その輝かしい光が曇る。
「異世界間連合会議が始まる前に、ご挨拶をいたしました。その後、すぐに冥界へお戻りに」
「そうか……兄神は息災であったか?」
アスラは東屋の屋根の下まで歩み寄る。そのまま、カルトールが座っていた場所に腰を下ろした。
「はい。お変わりなく……」
「そうか」
スグルはアスラに頭を下げたまま告げる。
アスラは淡々とした相槌を返し、すぐさま険しい表情になった。
「今後、可能であるならば、兄神との接触は控えた方がよかろう」
「それは……何故でございましょう? 異世界間仲介管理院は冥界の神々に対し、転生者の先導をお願いしている立場でございます。業務上、不明点などが出てきた場合、我々は冥界の神々に真偽の確認を行う必要がございます」
スグルは素知らぬ顔でアスラに告げた。
「うむ、その方らの立場は重々承知しておる」
スグルの言い分は妥当なもので、アスラも何ら疑うことなく頷いた。
「しかし、つい先ほどのことだ。異世界間連合会議で、兄神さまがその方らと結託し、口に出すもおぞましい禁忌を犯したという知らせがもたらされた。現在、私のもとに審問申請の許可を願う嘆願が届いている」
「っ!? 何故、そのような恐ろしいことをっ! 何かの間違いではございませぬか……っ!?」
アスラの言葉に、スグルは審問申請のことを初めて知ったかのような声で驚いて見せた。
「無論、私も兄神やその方らに限って、そのような不正など行っていないと信じている。しかし……異世界間連合会議の場でそのような発言を見逃せぬも事実……だからこそ、こうしてその方に話を聞きに来たのだ」
「……どうか、我らの身の潔白を示す機会を」
スグルの申し出に、アスラも真面目な顔で頷いた。
「無論だ。異世界間連合会議において、その方らへの弁解の機会を設けるよう準備しよう。我が兄神の名誉とその方らへの期待、このような形で失われるなど私としても許しがたい。とはいえ、私の立場では表立って手助けしてやることができぬ……もどかしいものだな」
「お心遣いだけでも感涙の極みでございます。貴神の慈悲に感謝申し上げます」
「よい。その方らの意思も確認できた故、私は戻る」
アスラは立ち上がると、東屋から出て降り注ぐ陽光の下に出た。スグルに背を向けたまま、アスラが口を開く。
「もしも、兄神にまた会うことがあれば、私が心配していたと伝えてくれ」
「御意」
アスラの姿が光に包まれたかと思うと、跡形もなく消え失せた。
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