File7-13「潜入調査」
異世界ヴァヴォルスは「祈り」が力となる世界であった。
意志の強さこそがヴァヴォルスにおける「強さ」の源となり、ヴァヴォルス神は人々の「願い」を受けて己が住まう世界の人々にその祈りの深さに応じた様々な「加護」を付与していた。
雪がちらつく街中を見つめ、アラタは小さく息を吐いた。真っ白な呼気が灰色の空へと立ち上り、儚く消えていく。
異世界ヴァヴォルスの北方地域は冬季に入り、街全体を大規模な防御結界で覆われていた。結界より外は豪雪の荒れ狂う嵐であり、害獣たちもこの時期は巣穴に籠って冬眠している頃である。
アラタたちがこうしてヴァヴォルスへ降り立つことができたのも、この防御結界でこの世界を治める神の目をごまかすためだった。
「アラタ管理官」
背後から名前を呼ばれ、アラタは身を潜ませていた路地を振り返った。
そこには真っ白な髪に、血のように鮮やかな紅の双眸を持つツイが全身に漆黒の外套を纏って佇んでいた。
「そこに立っていては人目につく。貴殿の立場上、世界への干渉はできる限り避けるべきだ」
「はい、すみません……」
アラタはツイから借りている死神の外套の襟を詰めると、覆いを目深に被り直す。死神の外套には周囲からその存在を隠蔽する魔法が付与されている。潜入調査となれば、これほど心強い味方はいなかった。
でも、そのせいで冥界の主神が異世界間連合の神々に疑われているんだよな……。
アラタは複雑な表情でツイの背を見つめる。
「何か懸念事項か?」
視線を感じたツイが立ち止まり、アラタを振り返った。
アラタは慌てて首を横に振った。
「いいえ、そういうのではありません……」
アラタはツイから目をそらし、ちらりと路地裏から見える表通りへ目を向けた。
真っ白な雪が舞う中を、防寒着を着込んだ人々が行き交っている。この防御結界のおかげで行き交う人々の表情に不安や恐れの感情は見受けられない。彼らは談笑を楽しみながらアラタたちのいる場所から家路に向かって離れていく。
家族連れ、恋人同士、友人知人と連れ立って歩く人々の姿が目に映るたび、アラタの中に言い知れぬ感慨が湧き上がってきた。まるではるか昔に経験し、置いてきてしまった感情を見せられているような気分だった。
「なんだか……『懐かしい』です」
「……」
アラタの呟きに、ツイは無言で彼の横顔を見つめる。我に返ったアラタはツイに向き直った。
「あ、いえ……俺はアディヴで育ったので、こういう感覚はおかしいんですけど……職務上、色々な転生者の方とお話する機会があるから、こう郷愁のようなものを感じるようになりまして……」
アラタが「転生者」であることは異世界間仲介管理院の中でもごく一部の者しか知らない事実である。ツイとはそれなりに付き合いがあるせいで、つい本心が出てしまったようだ。
「ああ、別におかしなことではない」
慌てるアラタに、ツイは表情を変えることなく頷いた。
「世界が違っても、生まれる魂には共通項が発生する。それらの事例を、我ら冥界の神々は数多見てきた」
ツイの紅の瞳がアラタと同じように表通りを行き交う人々に向いた。アラタはホッと胸を撫でおろす。どうやら違う意味にとってくれたらしい。ツイは言葉を続ける。
「我らは『死』していながらにも存在する神であるが……死神とて、己が所属する冥界に戻って来るとどこか落ち着くもの。人間世界では、こういう感覚を『帰属意識』と呼ぶのだったか?」
「おそらく……?」
アラタは自信なさそうに首を傾げた。
「おい、二人とも! こっちだ!」
街を囲む城壁の付近で、アラタたち同様、外套で全身を隠したツナギが顔を覗かせた。
「ツナギ管理官」
アラタとツイは彼女の傍に駆け寄る。ツナギの後ろには壁に背を預け、共鳴具で情報を整理しているオギナの姿もあった。
「そちらはどうでしたか?」
「微かな痕跡を発見した。今、ノア管理官にも問い合わせているところなのだが……外部からの干渉によって生じた進入路だと思われる」
ツナギが簡潔に述べ、オギナを振り返った。
「ちょうど、ノア管理官からも返答が来ました。異世界シャルタでの痕跡と一致したようです」
共鳴具から映し出された画面から視線を外し、オギナがアラタたちを振り向く。
「やはり……。その侵入経路の場所は、ここから遠いのですか?」
「いや……晴れた天候であれば二、三日といった距離だろう」
ツナギが苦い顔で腕を組んだ。アラタの目が防御結界の外へと向けられる。吹き付ける吹雪が凍り付き、街は氷のドームに覆われている。
「……下手に干渉して出ようとしたら、確実にヴァヴォルス神に気づかれますよね」
「ああ……春まで身動きがとれん」
アラタががっくりと肩を落とし、ツナギがため息交じりに頷いた。
これだから「潜入調査」とはやりづらい。
「ちなみに、この世界で外部から犯人を招いた存在はいないか?」
「共犯者、の存在ですか……」
ツイの確認に、オギナは少しだけ困った顔になって首を横に振った。
「さすがにそこまではわかりません。ただ、この世界の内部から外部へ連絡を取ろうとすれば、ヴァヴォルス神が何らかの異変として察知していたはず。この外部干渉にヴァヴォルス神が気づいていなかったとしたら、内部に協力者がいるという可能性は極めて低いでしょうね」
「外部干渉を受けた時期はどうだ? 確か最近、ヴァヴォルスでは魔王が出現して勇者の召喚要請があったはず」
アラタの言葉に、オギナが素早く虚空の画面に指先を滑らせた。いくつかの画面が移り変わっていく中で、該当の箇所を見つけたようだ。
「外部干渉を受けた日から逆算して……この世界の時間軸で五年前のことですね」
「干渉前に魔王が出現したのであれば、必ずしもアヴァリュラスの防壁片が原因であるとは断定できない」
「……」
ツイの言葉に、皆が沈黙する。外部からの干渉を受けたことによって魔王が出現したのであれば、異世界間仲介管理院が保護した転生者と同じように、何者かによって魂に防壁片を埋め込まれた可能性が高い。しかし、現時点での調査結果からは、ヴァヴォルスでの魔王出現の時期と放棄された転生者の魂に防壁片が埋め込まれたこととは関連がなさそうだ。
「アラタ管理官たちの方はどうだ? この街に住む人々に変化はなかったか?」
ツナギの問いかけに、アラタはツイを振り向く。ツイは小さく頷いた。
「ざっと視える範囲のみではあるが、どの魂も読み取ることが可能だった。待魂園で見た件の魔力の残滓も見当たらない」
「……そうか」
ツイの返答に、ツナギは難しい表情のまま黙り込む。
傍らのオギナが口を開いた。
「ひとまず、ノア管理官には今の話と調査結果をまとめて報告しますね」
「ああ、頼む」
オギナの視線を受け、ツナギは頷いた。
「ヴァヴォルス神に直接……当時の状況を聞けたらいいのに――」
そこまで言って、不意にアラタが弾かれたように顔を上げた。
「あの……このヴァヴォルスに出現した魔王、それを討伐した『勇者』に話を聞くことはできませんかね?」
「ああ、なるほど。俺たちと同じように、異間連に加盟した世界を行き来できる彼らなら、この世界を訪れた際に何かを見聞きしている可能性はありますね」
アラタの意図に気づいたオギナもパッと表情を和らげた。
「彼らの協力を仰ぐことは可能でしょうか?」
ツナギに向き直り、アラタが尋ねる。ツナギは顎に手をかけると、唸った。
「ふむ……勇者については召喚部の管轄だからな。オギナ管理官、ナゴミ課長に連絡を入れて、どうにか協力を取り付けてもらえるようお願いしてみてくれ」
「了解しました」
オギナがすぐさま虚空に映し出した画面に指を走らせる。
「貴殿は相変わらず鋭いな」
「い、いえ……」
ツイの賛辞に、アラタは僅かに顔を赤くした。ツイはどこまでも事務的で言葉を飾らない。そのため、そう真っ直ぐに褒められると、なんとなく照れくさい気分になる。
「うむ、着眼点はなかなかだ。だが……問題は該当の勇者が誰か特定できた上で、相手から話を聞ける状況かどうかだ」
ツナギの懸念に、アラタとオギナも表情を曇らせる。
勇者とは、神々の代行者である。魔王を討伐し、世界秩序を正すことで魔王によってもたらされた世界の歪みを修復する。勇者は魔王討伐に必要な加護を神々から受ける反面、その行動をすべて神々によって決定される。そのため、勇者の魂不足は異世界間連合が抱えるもっとも深刻な問題であった。
現在、魔王を討伐するために世界を飛び回っている勇者たちに、これ以上負担を強いることは気が引ける。しかし、事が「アヴァリュラスの永獄」に関わることともなれば、多少強引な手段でも押し通さなければならない。
「何はともあれ、打てる手は全て打つべきだろう」
沈黙したアラタたちに、ツイは静かな声音で結論付けた。
舞い散る粉雪を視線で追い、アラタは氷の壁に閉ざされた街の空を複雑な表情で仰いだ。当分、吹雪は止みそうになかった。
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