File7-8「元凶」
待魂園の敷地内には「集会所」が設置されていた。待魂園に勤める職員が使うこともあるが、研修や会議がない日は転生者も利用できるよう解放されている。室内は絨毯が敷かれ、可動式の椅子や円卓が壁の収納空間に収められていた。
今回は、この集会所を貸し切りにしてもらい、アラタが担当しているトルカの記憶調査を行う予定だった。
集会所の備品類を万が一壊してしまってはいけないので、アラタは管理官権限「完全保護」を建物全体に付与して回る。その間、トルカはどこか不安そうに集会所内を見回していた。
「すまない、待たせた」
そうしてアラタが作業を終えたところで、集会所にツナギ、先導者のツイと転生者調査課のアキラの三人が入ってきた。
「あの、アラタさん……」
不安そうにアラタを見上げるトルカに、アラタは彼を安心させるように微笑む。
「大丈夫ですよ、トルカさん。先程もご説明しましたが、トルカさんを苦しめる原因を取り除くためにも、トルカさんの記憶を拝見させていただく必要があります。調査中にトルカさんが危険に晒されることはありません。ただ、どうしても辛くなったときは仰ってください。すぐに調査を中止いたします」
「は、はい……よ、よろしくお願いします」
トルカはそう言って、アラタたちにそっと頭を下げた。アラタとトルカのやり取りを見守っていたツイがその紅の双眸を細めた。
「では、術式を組もう」
ツナギの言葉に、アキラとアラタが頷く。ツイは無言で四人から距離をとると、集会所の壁際で一連の作業を見守っている。死神であるツイはあくまで立ち合いであり、管理官の業務に直接関わることができないためだ。
アキラが絨毯の上に持参した敷布を広げる。そこにはすでに魔力含有の強い色液で術式が描かれていた。敷布の中心にトルカを座らせると、ツナギ、アキラ、アラタが彼を囲むように立つ。
「大丈夫です。息を大きく吸って、目を閉じていてください」
アラタはトルカの視線を受け、そっと微笑んだ。
彼は小さく頷くと、アラタに言われた通りに息を吸い込み、ぎゅっと目を閉じる。
「では、始める」
ツナギとアラタがサッと右手を前に突き出した。
「管理官権限執行、空間隔離」
「管理官権限執行、入眠」
透明な防壁がアラタたち四人を包み込む。ふっとトルカの体から力が抜け、そのまま敷布の上で規則正しい寝息を立て始めた。
アキラが右手を差し出し、トルカの額に触れる。
「管理官権限執行、同調探査」
アキラが目を閉じ、トルカの中の記憶を探り出す。彼女の様子を、ツナギとアラタが黙って見守った。そうして、どれほどの時間が経過しただろうか。
眠っているトルカの表情が俄かに苦しげに歪められる。アキラの唇が無意識に引き結ばれたのを見て、ツナギとアラタは互いに目配せした。アキラが魂の深部――『心核』に触れたようだ。
「管理官権限執行、意識保護」
アラタは左手を掲げるとトルカとアキラに精神保護魔法を付与する。
トルカの呻きが途絶え、強張っていた全身から力が抜けていく。
「……」
ツナギは絶えずトルカとアキラの表情の変化を見守り、アラタは保護魔法を維持する。
緊張した時間が静かに流れた。不意に、ツイが弾かれたように目を見開いた。
「まずいっ……この魔力はっ!」
離れろ、とこちらに駆けだしてきたツイと、目の前でアキラが悲鳴を上げたのは同時だった。
「アキラ管理官! 同調を解除しろ!」
ツナギがアキラの肩を掴んで叫ぶ。すると、強い力で壁の方へ吹き飛ばされた。空中で咄嗟にアキラを抱え、ツナギは背中から床に沈む。
「アキラ管理官! ツナギ管理官!」
振り向いたアラタの腕を、強い力が掴んだ。目を向ければ、黒々とした眼窩を晒したトルカが目の前にいた。ニタァッと口元が弓なりにつり上がる。光すらも吸い込んでしまうほどの闇を前に、アラタは息を呑んだ。
「アラタ管理官、避けろ」
アラタは咄嗟に左半身を大きく引いた。そのすぐ脇を、振り下ろされた大鎌がすり抜ける。
「明日、ごちそう、ギギッ……楽しみ、してて……暗く、なる前に、帰るのよ……あなた、もういない……」
ツイが振り下ろした大鎌の刃を避け、トルカは大きく後ろへ跳躍した。四肢を床につき、その黒々とした眼窩を絶えずアラタに据えている。笑みの形を浮かべた口からは支離滅裂な単語がボロボロとこぼれていた。
「助かりました、ツイさん。トルカさんに一体何が……」
「アレは『魔王化』しかけている」
眼窩に炎を宿し、骸骨が外套を纏った本来の姿に戻ったツイは、警戒するように手にした鎌の刃先をトルカに向けた。
「そんな……」
アラタは愕然とトルカを見つめる。そこには恐怖で眠れず、不安そうに震えていた青年の姿はない。意味不明なことを口走りながらケタケタ笑っている「化け物」は、関節を無視した動きでアラタとツイに襲い掛かって来た。
「管理官権限執行、拘束蔓!」
アラタは左手を掲げると、トルカに向けて光の蔓を放った。光の蔓はトルカの全身を拘束する。
「やぁ、また会った……成長したね……君を、守るよ……」
トルカは全身を縛り付ける光の蔓を力任せに引き千切ろうともがいていた。
「トルカさん! 私です、アラタです! どうかそれ以上暴れないでください! あなたの魂が傷ついてしまう!」
「無駄だ。もう理性はない」
ツイは大鎌を振り上げると、毅然と告げた。
「冥界における死神の権限を以って、魂の消滅を開始する」
「ツイさん、待ってください!」
鎌を振り下ろしたツイを、アラタが腕を伸ばして制止しようとする。
トルカが拘束を破り、ツイの振り下ろした大鎌を弾いた。
「ツイさんっ!?」
大きく背後へ跳んだツイは片膝を折った。その眼窩に揺らめく赤い炎が弱まる。
「アハハ、会いたかったよ! お別れだね! ずっと離さない!」
トルカがアラタの肩を掴んで床へ叩きつける。背中を強打し、アラタは一瞬息が詰まった。
アラタへ噛み付こうとするトルカを必死に腕で退ける。鋭いトルカの牙がアラタの腕の肉を裂き、鮮血を周囲へまき散らす。
「ぐっ……トルカさん!」
アラタは必死に目の前の青年の名を呼ぶ。下手に攻撃してはトルカの魂を傷つけてしまう。そうかと言って、このまま「魔王化」が進めば異世界間仲介管理院に甚大な被害が出てしまう。
「アラタ管理官!」
迷うアラタの耳に、ツナギの鋭い声が届いた。
「異世界グロナロスの時と同じだ!」
ツナギの指示に、アラタはハッと我に返った。
「トルカさん、少しの間、辛抱してください!」
アラタは空いている方の手で床を叩いた。複雑な魔法陣が幾重にも展開する。
「〝魔力性質変換〟」
咄嗟に逃げようと身を引いたトルカを、今度はアラタが掴んで抑え込む。
「あ、ああああああっ!」
仰け反って苦しげな叫びをあげるトルカへ、素早く駆け寄ったツナギの手が彼の背に触れた。
「管理官権限執行、守護結界」
ツナギがトルカの背から黒々とした何かを引き抜いた。すると力が抜けたトルカがそのままアラタの方へ倒れ込んだ。
「トルカさん! しっかりしてください!」
トルカを受け止めたアラタが、青年の肩を揺さぶる。瞼が震え、碧い瞳が己をのぞき込むアラタを見た。
「……アラタ、さん?」
「トルカさん、よかった。平気ですか? どこか苦しいところは――」
アラタが言い終わらぬうちに、トルカの全身に大きな亀裂が走った。
「……え?」
目を見開くアラタに、トルカが震える手を伸ばす。
「お願い、助け……」
トルカの伸ばされた腕が、ガラスが砕けるように消えていく。アラタはトルカの消えた空間を呆然と見下ろしていた。
「な、にが……?」
「……魂の消滅を確認」
いつの間にか、黒スーツ姿へと戻ったツイが、アラタの肩にそっと手を添えた。その紅の双眸が、引きつった顔で振り返ったアラタを見つめる。
「アラタ管理官、貴殿の担当していた転生者の魂は著しい破損によりその存在を保てず、たった今、消滅した」
「嘘……です。だって、そんな……彼はまだ魔王になっていなかったじゃないですか!」
首を横に振り、アラタはツイの両肩を掴んだ。しかし、ツイは表情を変えない。そして、目の前の死神が嘘を言わないことを、アラタもよく知っていた。それでも、信じたくなかった。
「ここは最果ての園アディヴです! 異世界間仲介管理院の管理下にある世界です! 転生者への魂に負担がかからぬよう、管理部の権限管理課と異世界間事象管理部の異世界間環境保護課が常にこの世界の環境維持に務めています! 転生者の魂の保護を優先したこの場所で、魂が消滅するなんてあり得ない!」
「落ち着け、アラタ管理官」
ツナギの低い声が、アラタに現実を突きつける。結界に封じ込められたものを見て、アラタはもう何の言葉も出なかった。
「原因は我々ではない。かの転生者の内部に巣食っていた、この防壁片だ」
ツナギの手にあったのは、黒々とした瘴気を纏うここ最近で見知った防壁片だった。
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