File1-13「逃走」
待魂園にやってきたアラタを、園長は快く迎え入れてくれた。
新人管理官たちの中では、アラタが最もこの施設を訪れているだろう。
門番とも世間話をするくらいには、アラタはこの場所にすっかり馴染んでいた。
「百香さんの転生先が決まりました。こちらが提示した条件も、ほぼ飲んでくれて」
「まぁっ! なんて嬉しい知らせかしら!!」
手を取り合う勢いで、園長も満面に笑みを浮かべている。
「百香さんは? 急いでお知らせしたいんですが……」
アラタがそう言って顔を上げると、園長の背後――廊下の先でこちらを見つめて佇んでいる百香がいた。
目を大きく見開く彼女に、アラタはすぐさま駆け寄った。
「百香さん、朗報だ! こちらが提示した条件をほぼ飲んでくれた神さまがいて、その方が治める世界への転生が決まったんだ!」
おめでとう、とアラタが百香に笑いかける。
当然、彼女も心から喜んでくれると疑わなかった。
しかし、いくら待っても百香からの反応はない。
彼女は表情を強張らせ、顔を真っ青にしたまま黙り込んでいる。
さすがのアラタも、彼女の様子がおかしいことにすぐさま気づいた。
「あの……どうかした?」
アラタが百香の肩に触れようと手を伸ばした。
すると、百香はアラタの手を払いのけ、彼を突き飛ばして駆け出した。
園長も驚きのあまり悲鳴を上げる。
「ちょっ、百香さん!!」
アラタは駆け出した百香を追いかけ、待魂園の園舎を飛び出した。
しかし、すでに百香の姿はない。
急いで門番のところへ駆け寄り、彼女が出ていかなかったか確認した。
「い、いえ……」
「門へはアラタ管理官以外お通ししていません」
「そうか、ありがとう!!」
門番たちへの事情説明もそこそこに、アラタは園内を駆け回って百香の姿を探す。
ガランッと何かが崩れる音がした。
アラタが音のした方へ駆けつけると、積み上げられた木箱が目に入る。その傍に転がっているのは、割れた木桶だ。駆け寄って拾い上げる。割れ目に付着した泥に触れた。湿っている。
アラタは背後を振り返った。
花壇がある。
水をあげたばかりの花壇の傍の地面は、まだ濡れていた。
「……っ、くそっ、なんでっ!!」
アラタは悪態をつきつつ、すぐに木箱の上を駆け上がると壁を乗り越えた。
着地すると同時に、周囲を見渡す。
待魂園の裏側は商業地区だ。
左は行き止まり、右は通りに出るが――
「正面っ!!」
アラタは迷わず正面の道を全速力で駆け出す。
百香の行動パターンは、すでにアラタの頭に入っていた。
他人との接触を極度に嫌う彼女が、見知らぬ土地でいきなり人通りの多い道に出るとは考えられない。
人を避けて、避けて、避けて行けば――
「見つけたっ!!」
視線のはるか先、桃色のパーカーにスカートを揺らしながら走る百香の背が見えた。
アラタは走る速度を上げる。
こう見えて、養成学校時代は実技訓練などの体術部門で上位の成績を残したアラタである。
十四歳の少女が逃げ切れるわけもなく、伸ばしたアラタの手がしっかりと百香の腕を掴んだ。
息を切らしてこちらを振り向いた百香の目には、涙が溜まっていた。
「なんで逃げる!!」
アラタは叫び、百香の腕を引いて強引に足を止める。
人通りのない路地の真ん中で、アラタは百香と向き合った。
「……っ、別に」
「別に、じゃないっ!! 理由を言え!!」
百香の腕を握る手に、自然と力がこもった。
せっかく彼女が望んだ転生先を見つけたのに、それを喜ぶどころか逃げ出されては、アラタは混乱するばかりだった。
「君の要件を、ほぼ飲んでくれた転生先だ! そこを治める神さまも、君を無碍にしないと約束してくれたし、約束を反故にするような方じゃないっ!!」
アラタはうつむいて黙っている百香の肩を掴んだ。
「教えてくれっ!! 何が気に入らないんだっ!? 話してくれなきゃ、俺はどうすればいいのかわからないじゃないかっ!!」
「――……っいの」
かすれた声が、百香の唇から落ちた。
「怖い、の……また、新しい場所に馴染めなかったら……また、暴力を振るわれて……拒絶されたら……能力をもらえても、本当に安全でいられる? 保証してくれる? でも、人間なんて、わからないもん……自分以外の、人間が、どう動くかなんてわからないもんっ!!」
ぼろぼろと涙を流しながら、百香はアラタを見つめる。
アラタは泣き出した百香を前に、困惑した。
「転生なんかしたくないっ!! ここにいたい……ここなら、みんな優しくしてくれるっ!! お願い、アラタさん!! もう能力がほしいとか言わないからっ!! 仕事があるなら働くからっ!!」
百香がアラタの腰に腕を回し、必死に懇願してくる。
「百香さん」
アラタは自分に抱き着いて泣きじゃくる少女の頭をそっと撫でた。しかし、すぐに彼女の両肩に手を乗せ、自分の身体から引き剝がす。
「それはできない」
「っ……どうしてっ! それも規則だから!?」
百香の口から悲痛な声がもれる。泣きじゃくる百香を前に、アラタは無言でハンカチを差し出した。
「もちろん、規則もある。けれどそれ以上に、ここに残っても君のためにならないからだ」
「何でよぉ……アラタさんの、いじわるっ! 私がさんざんわがまま言ったから、そんなこと言うんでしょっ!」
嗚咽混じりに訴える百香に、アラタは少しだけ寂しそうに笑った。
アラタの手が、百香の頭をそっと撫でる。
「百香さんが教えてくれたんじゃないか。異世界転生は選ばれた人間だからできるんだって。そして事実、そんな君は神さまに受け入れられた。違うか?」
アラタの指摘に、百香はグッと唇を尖らせた。
「でもぉ……」
「能力がほしいと啖呵を切ったかと思えば、今度は転生するのが怖い? 君は思ったより、臆病なんだな」
アラタの言葉に、百香は不満そうにぐぅっと押し黙る。
「な、何も知らないくせに……」
口を開いたかと思えば、苦しい主張だった。
「何も知らない、か。確かに、俺は百香さんが生前どんな風に過ごしてきたか知らない。けれど、君と話しいく中で、君がどんな本を読んだか、どんなことに興味を持ち、そしてどういった事柄に触れれば幸福を感じるか。今の君のことを、俺は生前の君の家族や友人たちより知っている」
顔を上げた百香に、アラタは笑いかけた。
「俺は、君に確かに言った。君がやりたいことをやれる世界を、二人で徹底的に探すぞ、と」
彼女は目を大きく見開き、唇を尖らせた。
「でも……」
「百香さん。君は今までの人生から変わる機会を得た。それも、前世とは違う。万能に近い魔法と武技、絶世の美貌と約束された地位……その他、諸々。君は無力な赤子でなく、神々から事前に多くの武器を貰って、完全武装で生まれ変わるんだ」
アラタは自分の胸に手を置き、断言する。
「だから俺は、君にその機会をしっかり掴んで離さないでもらいたい。世の中にはどれほど願っても、受け入れてもらえない人もいるんだ」
アラタが百香にしてやれることなど、微々たるものだ。
それでも、彼女の「助けて」にできる限り答えたいと思っている。
「君は負けない。それは君がこれから赴く世界の神さまが保証している。君はただ、前を向いて堂々と進めばいいんだ」
それでも心残りが消えないなら、何度でも助け出す。
何度でも送り出す。
そして、何度でも寄り添う。
異世界間仲介管理院は、そのために在るのだ。
アラタは百香の両肩を軽く叩いた。
「散々駄々こねて、それでも意思を曲げずに君が掴み取った転生先だ。君が望みを叶えられないまま、また人生途中退場なんかしてみろ。そんなこと、絶対許さない。君が勝利を掴み取るまで、何度だって君を助けるよ」
ひどく顔を歪めて涙を流す百香に、アラタは断言した。
「君は今度こそ、幸せになるんだ。これは――決定事項だ」
百香はぐしょぐしょに濡れたアラタのハンカチから顔を上げる。
「当然、だもんっ!!」
涙目のまま、百香はかすれた声で叫んだ。
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