File7-4「怯える転生者」
「蟻巣亭」での飲み会から一週間ほどが過ぎた。
その間に異世界間連合会議は予定通り開催され、異世界間仲介管理院も今回の会議での決定を注視していた。それだけ、今回の会議にかけられている案件は今後の業務に大きく関わってくるからである。会期中にも関わらず、異世界間仲介管理院では定期報告会議以外でも何度か、部長・課長たちを呼び出した会議が行われるほどだった。
サテナやカイ、キエラも各々の任務のために外界へと派遣されていった。
アラタはチェックし終えた書類をまとめると、転生者の情報を綴じ込んだファイルを手にする。そのまま席を立って、事務室を後にした。
人々が行きかう回廊に出ると、アラタは意識して歩調を緩める。のんびりと歩くアラタの横を、どれだけの管理官たちが通り過ぎたか。もはや数えるのも億劫になるほどだった。自分の傍らを小走りに通り過ぎた同僚を横目に見ながら、アラタは小さく息をつく。
「……」
どこの部署も、普段よりどこか忙しない雰囲気だった。
異世界間連合会議で扱われている議題への関心の高さからか、皆がどこか落ち着きを無くしているのだろう。
それでも、異世界間仲介管理院の通常業務に大した変化はない。アラタの所属する異世界転生仲介課はその担当する転生者が増えていること以外、拍子抜けするほど普段通りだった。
「でも、こういう何もない平和な時に限って、アラタさんが何かの事件をかぎつけるんですよね?」
数日前、異世界転生仲介課の事務室で大真面目な顔をしたジツがそう嘯いていたのを思い出す。その時のアラタは手にしたファイルを、ジツの癖のある茶髪に落とすことで黙らせた。
「まったく……人を疫病神か何かのように……」
眉間にしわを寄せ、ぶつぶつと呟きながら回廊を進んでいたアラタは、小脇に抱えていたファイルを開いた。
新しく担当となった転生者の名前はトルカ・マディ。
疫病により他界し、その死後の魂を魔術師によって使い魔として利用されたことを受け、彼が生前に過ごした世界の神が魂の所有権を放棄したとある。
「なんとも……不憫だな」
神々の多くは、己以外の存在が生き物の魂に干渉する行為をひどく嫌う。神々が治めている世界秩序の安定を図ることは、良質な魂の循環が不可欠。それを私利私欲のために神々以外の第三者――たいていの場合は魔術師などの魔法に精通している者によって勝手に他者の魂を縛り付けられることは邪道以外の何物でもない。
魂を縛った側は当然、神々が治める世界から追放される。しかし、被害者である魂もまた、神々は見放す傾向が強い。
「魂を縛られたからと言って、その存在が損なわれるわけでもないのに……」
アラタはため息交じりに呟く。
神々の「穢れなき魂思想」は今日においても根強いことをうかがわせた。
担当する転生者に関する情報を読み込み、アラタはファイルを閉じた。
中央塔を出て、整備された公園の通りを進んでいく。雑木林のトンネルを抜けた先には、高い塀に囲まれた木造建築の建物――待魂園が見えてきた。
正門の前には警護のために二人の門番が控え、アラタを見るなり敬礼を寄越す。
「おはようございます、アラタ管理官」
「おはようございます。今日もご精が出ますね」
互いに軽く挨拶を交わすと、アラタは待魂園の門をくぐって奥まった木造家屋へ足を踏み入れる。玄関ホールから二階へと続く階段を上ると、ずらりと廊下に並ぶ部屋の扉が現れる。アラタは担当となった人物が使っている部屋を見つけると、手の甲で扉を叩いた。
「ど、どどどうぞ……」
「……失礼します」
ひどく切羽詰まったような声に、アラタは一瞬眉を寄せた。しかし、すぐに社交的な笑みを浮かべると、部屋の扉を開いて中へと入った。
部屋の中央に佇んでいたのは、二十代後半の青年だった。長い青髪を一つに結わえ、落ち着きなく視線をあちこちに流している。装いは動きやすさを重視した上衣と脚衣、それに長靴である。手や指にできた肉刺からして、長年畑仕事をしてきた人だろう。
アラタはトルカの様子に、小さく息をついた。
今日は相手の要望を聞き出すまではいかないか。
これほどまでに怯え切っている様子からして、まずこちらの話を聞ける体勢ではない。死後、その魂を魔術師によって使役されたとの事前情報から、彼が他者を警戒する様は当然と言えた。
アラタは以前、ジツとオギナから貸してもらった報告書の内容を思い出す。転生に対して後ろ向きである転生者への対応の手順を頭に浮かべながら、青年に自己紹介を行う。
「初めまして、私は担当管理官のアラタと申します。短い間ではございますが、トルカさんの新たな人生を充実したものとするべく、お手伝いさせていただきます。本日はよろしくお願いいたします」
にっこりと微笑んだ途端、強い力で両腕を掴まれた。
ギョッとしてトルカを見下ろすと、恐怖にとり憑かれた青い瞳がアラタを真っ直ぐ見つめていた。
「頼む! 助けてほしい! 『あいつ』から逃げられるなら、どんな場所でもいい! とにかく、逃げたいんだ!」
「ま、待ってください! 落ち着いて……」
「このままじゃ殺される! 俺は見てしまったんだ! 一緒にいた仲間も、あいつの傍にいた白い服の奴に、ああ、吸い込まれていってっ! 俺を連れてきた奴から聞いた! あんたたち管理官は俺みたいなやつを助けてくれるって!」
「は? 仲間? 白い服……?」
己の腕を掴んで強く揺すってくるトルカを前に、アラタは一瞬動きを止めた。
「どうか、落ち着いてください。ここは異世界間仲介管理院が所有する敷地内です。いかなる世界の神々も、異世界間仲介管理院へ干渉することはできません」
アラタはトルカの手にそっと己の右手を添えた。
「ここでのあなたの安全は保障されています。大丈夫です。助けを求めているあなたを、私たちは見捨てません。ですからどうか落ち着いて、あなたが抱えている事情をお聞かせください」
「あ……あああ……ああ……」
トルカは膝から崩れ落ち、床の上でうずくまる。
アラタもしゃがみ込むと、嗚咽をもらす青年の背をそっと撫でた。そうして、トルカが落ち着くのを辛抱強く待つ。
「あの日……俺が、死んだ……故郷では神祀りの日だった。住んでいた村に、強い戦士が訪ねてきて……祝祭を邪魔していた魔物を、一掃してくれた。俺たちは感謝した……それで、彼の歓迎も含めて、例年以上に豪勢な祝祭をしようって……」
トルカは目を真っ赤に腫らしながら、訥々と語った。
アラタは無言で頷き、トルカの言葉を遮らないよう促す。
「祝祭の準備が整って、数人の仲間と一緒に……あいつを呼びにいったんだ。そうしたら、魔物があいつに、ひれ伏していて……傍に、真っ白い服を着た男が立っていた。そいつと話しているところを見てしまった。気づいたら、仲間の一人があいつに胸を剣で刺されて――」
それ以上は恐怖がぶり返してきたようで、トルカは言葉をつぐんだ。ガタガタと体を震わせる青年を見下ろし、アラタは何度も「大丈夫ですよ」と声をかけることしかできなかった。
トルカの断片的な言葉から、アラタの脳裏を過ったのは白装束を纏う男たちだ。
これまで世界を巻き込んだ一連の出来事に関与してきた白装束の集団は、人工的に魔王を生み出し、世界秩序を混乱に陥れようとしていた。
これはもしかしたら、かなり特殊な案件かもしれない。
嫌な予感に、アラタは表情を曇らせる。
窓の外で、木の葉が一枚、音もなく地面に落ちていった。
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