File7-2「相互の交わり」
「ツイさん、お久しぶりです。転生者保護活動の折はご協力いただき、ありがとうございました」
頭を下げるアラタに、ツイは軽く手を上げて制した。
「礼には及ばない。我々もまた、己の責務を全うしたに過ぎない」
異世界間仲介管理院内で行われていた転生者の魂を無断で遺棄した事件。その被害者の保護活動は冥界側の協力により、被害に遭った転生者の八割を保護することができた。今も防衛部側で転生者の保護活動は続いているが、残り二割の被害者保護はあまり進展がないと聞いている。
もちろん、異世界間仲介管理院としては被害者全員の保護を完了することを目指している。しかし、未だ保護できていない二割の転生者たちの足取りはとんと掴めぬままだ。半ば絶望的、と現場の管理官たちは噂している。それでも五千年前の惨状に比べれば、今回は被害を抑えられた方だと言えるだろう。
「ところで、何かあったんですか? その……随分と深刻そうなご様子だったので」
アラタは努めて明るい声でツイに尋ねた。
正直、先導者の表情を読み取ることは至難の業だ。アラタは内心、自分の問いかけが的外れでないか冷や冷やしながらツイの様子を伺う。
ツイは小さく息をつくと、両手を組んだ。
「貴殿の指摘通り……少々、厄介なことが起きた」
心なしか、ツイの周囲の空気が再び重くなった気がする。
ここまで深刻な様子で思い悩むツイは珍しい。よほどのことがあったのだろう。
「ツイさん、よければ話していただけませんか? 一人で思い悩むより、誰かに相談してみた方が何かしらの解決策が見つかるかもしれませんよ?」
アラタは落ち込むツイを励ますように言葉を継いだ。
「一介の管理官の身に余ることでしたら、上司に掛け合うこともできます。先導者の皆さんには普段からお世話になっておりますし、遠慮はしないでください」
微笑むアラタを、ツイの双眸がじっと見上げる。
「感謝する、アラタ管理官」
ツイは少しだけ迷うように目を彷徨わせた。やがてぽつりとこぼした。
「もうすぐ、異世界間連合会議が開催されることは貴殿もすでに耳にしていることと思う」
ツイの言葉に、アラタは無言で頷いた。
近々、サテナとカイが所属する異世界間防衛軍の第一部隊、並びに第六部隊も外界への派遣が決定している。異世界間連合会議中はどの世界も神々の目が行き届かなくなる。そのため、会議中の境界域における監視・警邏は、神々に代わって異世界間仲介管理院の防衛部が担うことになっていた。
「同僚から聞いた噂なのだが……異世界間における物流の制限について、今回の異世界間連合会議で提言されるということだ」
「異世界間の物流制限……」
呟きながらアラタは目を細めた。
異世界間における流通の制限の背景には、心当たりがあった。
異世界グロナロスでの一件でも、その前の転生者保護任務の折にも、流通経路不明の危険物が利用されていたためだ。
――アヴァリュラスの永獄、その防壁片である。
かつて異世界アヴァリュラスの神を討った勇者が魔王化し、報せを受けた異世界間連合の神々がその総力を挙げて異世界アヴァリュラスが存在した世界軸線ごと魔王を封じ込めた。アヴァリュラス神より過分な加護を得た勇者は死ぬことも、消滅することもできずに今なお神々の生み出した無限に再生する防壁を破壊しながら今は消滅した異世界アヴァリュラスの世界軸線に囚われていると聞く。異世界アヴァリュラスへの経路は神々によって完全に閉ざされてしまい、現在では行き来する手段は失われてしまっていた。
それにも関わらず……封じられた魔王が破壊した防壁片を、どういった経緯で手に入れたのか。
アラタは険しい表情で考え込む。そんなアラタの様子に気づかないツイが、大きくため息をついた。
「その異世界間の物流制限において、異世界の動植物、中でも鉱石などの物品は厳しく取り締まられることになるだろうという噂だ。そうなれば、私は終わりだ」
ツイの沈んだ声に、考え込んでいたアラタは顔を上げた。
「鉱石類ですか……確かに、それは異世界間仲介管理院としても他人事ではありません」
異世界間仲介管理院は業務上の必要性から冥界側より様々な物品を輸入している。鏡光石を代表とした魂封じの鉱石を初め、封魂石、幻惑草などである。何より死神の姿隠しは隠密活動をする上で欠かせない必需品だ。これは死神たちの紡績技術なくして作製できない代物である。それらの輸入が制限されれば、少なからず異世界間仲介管理院の業務にも支障をきたすことだろう。
「異世界からの物流が制限されてしまったら……私が、私がせっかく冥界で育てた花々の命運は刹那に尽きることだろう」
頭を抱え、項垂れるツイが嘆いた。
「ええ、冥界と異世界間仲介管理院にとっての損害は免れ……って、花?」
ツイの言葉に、アラタは思わず気の抜けた声で聞き返した。
「私が冥界において栽培している花々は、豊富な栄養を含む肥料土が不可欠。冥界に命を育む土壌はない」
冥界は生物が必ず向かう終着の地であり、「死」そのものである。冥界という世界そのものが、生物の抱く「死」への信仰から生み出された。そういった経緯から、冥界の大地には枯れ果てた植物の残骸が折り重なっているのみである。その中でも稀有なものとして冥界に生える植物は総じて血のように赤い果実やどす黒い花弁の死霊花、幻惑草くらいである。
「このままでは私が丹精込めて育ててきた花々の命運が尽きてしまう」
そう呟いてツイはこの世の終わりと言わんばかりに項垂れた。
落ち込むツイに、アラタは何と声をかけるべきか必死に考えを巡らせる。
「もういっそのこと……ツイさんが育てている花と冥界に自生する花で交配させて、新たな冥界の花を生み出すことができればいいのでしょうが――」
顎に手を当て、虚空を睨みながら呟いたアラタの肩をツイが物凄い力で掴んだ。驚いたアラタが顔を向けると、真っ赤な目を見開いたツイの顔が間近にあった。その両眼に揺らめく炎を見て、アラタは冷や汗を流しながら黙り込む。
「それは、どういう意味だ? 詳しく聞かせてほしい」
「あ……いや、その……つまりですね」
アラタは思わずツイの顔を手で押し返しながらしどろもどろに言葉を紡ぐ。
「ツイさんも花が種を生み出す過程はご存知ですよね?」
「無論、知識として心得ている」
「つまり、その過程で冥界に自生する花の花粉、あるいは逆にツイさんが冥界で育てている花々の花粉を受粉させて、新種の花を生み出してみてはどうかと思ったんです。可能性は低いかもしれませんが、そこで冥界でも自生できる花が生まれれば異世界の肥料土に頼らずとも冥界の土壌で育てることができるようになるのではないかと思ったんです」
ツイはアラタから体を離すと考え込むように腕を組んだ。
「アラタ管理官、礼を言う」
しばしの沈黙の後、ツイがアラタに目を向けてくる。
「植物を育てる私にとって、新種の花を生み出すというのは非常に魅力的な挑戦だ。もしもこの偉業を成し遂げることができれば、私は冥界の大地に命を吹き込むことに成功した死神として名を遺すことだろう」
ツイは言いながら、どこか楽しそうにくつくつと喉を鳴らしている。たぶん、笑っているのだろう。そんなツイの背に、アラタは思わず口を開いた。
「ツイさんは……死を司る神でありながら、どうしてそこまで『命』を生み、育もうとなさるのですか?」
質問を口にしてから、アラタは慌てて己の口を手で押さえた。あまりにも不躾すぎる問いかけだったと気づいたからだ。
「あ、いや、今のは……」
「ふむ……まぁ、当然の質問だな。あまり深く考えたことはないが、私が『死』を司る神であるがゆえとでも言えるだろうか」
ツイはアラタの質問に嫌な顔一つせず、むしろ初めて気づいたといった調子で続ける。
「我ら『死』は『命』の誕生とともに生まれた。私も管理官との関わりを通して、我ら死神は命ある存在が思う以上に、『生』を愛しているのかもしれない。渇望している……いや、これは羨望という感情の方が近いかもしれない。『生』なくば『死』もまた存在し得ぬ。『生』の側からすれば、我ら死神の存在は忌むべきものであろうが……そういった我らに向けられる感情すべてを含めて、我らは命ある存在が愛しくて仕方がない」
ツイは己の中にある感情をどう言葉にすれば適切であるのか、考えながら話しているようだった。
「我らは『命』を刈り取り、時に罪深き魂を滅すことも行う。他の神々から忌み嫌われる我らの存在意義も、この世界の均衡を保つためには必要なことだ。その一方で、命を生み出し、育む能力を持つ神々は愛される……」
そこまで言って、ツイはスッと目を細めた。
「ああ、もしかしたら……我らはただ、愛されたかったのかもしれない。だからこそ、私は一瞬の『生』を『死』を司る自らの手で育むことで、その願望を満たそうとしているのかもしれない。少なくとも、植物は動物と違って、我らの元から逃げようとはしない」
ツイは呟いた後、すぐに首を振った。
「まぁ、『死』を愛おしむ変わり者は稀だがな」
「……先日、アキラ管理官やツナギ管理官と食事をする機会があったんです。その時、異世界間仲介管理院では何故『死神』のことを『先導者』と呼ぶのか。その理由を教えていただいたんです」
アラタはツイを見つめたまま、そっと微笑む。
「まだ異世界間仲介管理院が創設されて間もない頃、初代院長が冥界の神々をそう呼んだことが始まりだったそうです。異世界へと旅立つ魂を送り出す我々にとって、『先導者』は対象となる魂にとって新たな旅立ちを促すために必要な『終わり』をもたらしてくれるのだと……」
アラタは脳裏に浮かんだ友の姿を思い起こす。長い間、変わらぬ世界に閉じ込められた神竜は、先に逝ってしまった友を想い、孤独に泣いていた。そして、己の住まう世界を、その世界を生み出した女神すらも恨んだ。心に蓄積していった悲しみが一匹の竜を魔王へと変えてしまったのだ。
「時には、生き続けることの方が地獄であることもありますから。私は、ツイさんたち『先導者』の存在こそ、世界を維持していく上で必要不可欠であると思っています。少なくとも、私たち管理官は輝ける『生』を支援するために、しがらみを断ち切る『死』の重要性を誰よりも理解しているつもりです」
アラタの肩に、ツイの手が乗った。相変わらずの無表情だったが、その両目に灯った炎が穏やかに揺れている。
「再び礼を述べねばならない。アラタ管理官は私の良き隣人であるな」
ツイはどこか穏やかな声でそう呟いた。
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