File7-1「忙しない日々」
出勤して早々、アラタは青ざめた顔でため息をついた。
彼の前には、昨日と変わらず大量の書類が積まれた己の机がある。昨日、アラタは机の書類を半分近くまで減らした記憶が確かにあった。それがどうだ。今朝になって書類の山が倍に増えていた。
「なぁ、オギナ……」
「うん、確実に増えているね」
アラタの傍らで、オギナも苦笑を浮かべている。
さすがの彼も、連日の書類整理に疲れた表情だった。
「何でまたこんな急激に転生者が増えたんですか?」
ジツはもはや半泣きだ。両手に書類の束を掴んで天井を仰いでいる。彼の嘆きは、異世界転生仲介課の管理官全員の心情を代弁していた。
異世界間仲介管理院は異世界間を移動する人・モノ・事象を管理・統制するために創設された専門機関であり、そこで働く管理官は日々、様々な世界を行き来するモノたちを厳正な審査の下、異世界へと送り出していた。
中でも異世界転生部における役割は、異世界間仲介管理院が創設された理念の一つに掲げられている。異世界間における魂の循環によって転生者の心残りを解消し、神々の存在に欠かせない「信仰」を獲得すると同時に、世界秩序の維持に努める。
アラタが所属する異世界転生仲介課の役目は、それまでの世界から新たな世界へと旅立とうとしている転生者の希望を聞き出し、彼らの生前に上げられなかった声なき「想い」を汲み取って、転生先の神々に彼らの要望を伝え、できる限り、転生者たちが望む形で来世への旅路を支援することにある。
「やっぱり、あの噂のせいかな……」
さっそく自分の机に積まれた書類に目を通しながら、オギナが呟いた。
アラタも眉間のしわを深める。
異世界グロナロスで信心深き神竜が魔王となった。
この事件はかの世界を治める女神――グロナロスから異世界間連合へと報告された。その発端が、異世界からの来訪者によってもたらされたと女神は述べたらしい。それを聞いた異世界間連合の一部の神々が、一度は嬉々として受け入れた転生者・召喚者を早急に手放そうと相次いで動いたのである。そのおかげで、異世界グロナロスの事件から一か月も経たないうちに、異世界間仲介管理院への転生者・召喚者の仲介業務は目に見えて増加した。
「嫌な風潮ですね。すぐに落ち着いてくれればいいのですが……」
ジツがアラタを一瞥すると、落ち込んだ声音で呟いた。
異世界間仲介管理院は、転生者・召喚者を己の治める世界から追い出す神々に対して、過剰な追放行為は慎むよう警告を発している。
しかし、異世界間仲介管理院にできることはあくまで「警告」までだ。
神々が「不要」と言って放棄した転生者や召喚者を受け入れることを拒否することは、異世界間仲介管理院の理念に反する。結果として、神々の異邦人追放の状況に歯止めがかからない有様だった。
「周囲の風聞に突き動かされて自分たちを捨てるような神など……転生者や召喚者の側も願い下げだろう。俺たちはいつも通り、彼らが自由に生きていけるよう支援していくだけだ」
書類を睨みながら、アラタは言った。自然と、書類を握る手に力がこもる。
「そうだね……」
オギナも微笑む。ジツも歯を見せてどこか嬉しそうだ。
「女神グロナロスさまみたいな神さまだったら、僕も自分から縁を切ってやりますよ!」
「こら、ジツ管理官。仕事中は神様の悪口を言わない」
すぐさまオギナの注意が飛ぶ。
「仕事が終わったらいいんですか?」
「それは個人の自由だからね」
頬杖をついてニヤニヤ笑うジツに、オギナも朗らかな笑顔で返した。二人のやり取りに、アラタも思わず噴き出す。
ジツだけでなく、オギナもこの状況にかなり腹を立てているようだ。
「なら、久しぶりに『蟻巣亭』に行くか? サテナ管理官やカイ管理官、キエラ管理官も誘って」
アラタの提案に、ジツとオギナが即座に賛成の声を上げた。
「サテナ管理官とカイ管理官のお二人は、確かもうすぐ魔王出現領域への警邏任務ですよね? 異間会議の間、手薄になる世界軸線の警護でしたっけ?」
「ああ、異世界間防衛軍の人事もすべて終了したからな」
アラタが書類にサインを書き込みながら、次の書類を手に取る。
「こうも忙しすぎると、愚痴の一つも言いたくなるだろ?」
アラタが笑いながら言うと、ジツが俄然やる気になった。
「件の任務以来ですからね、楽しみです!」
ジツの楽しそうな声を聞きながら、アラタも手にしたペンをペン立てに戻すとファイルを手に立ち上がる。
「それじゃ、俺はこの後面談が入っているから。また昼休みに」
「いってらっしゃい」
「はい、アラタさん!」
オギナとジツに見送られ、アラタは早足で異世界転生仲介課の事務室を後にした。
アラタが異世界間仲介管理院の中央塔を出ると、光の「道」が空を覆い、その眩い光を地上へと注いでいた。青々と茂る芝生に散った細かな水滴が光を受けてきらりと輝く。遠くで花壇に水を撒いている作業員の姿があった。
ここ数日、事務室に閉じこもって書類整理に追われていたせいもあり、外の空気が一層おいしく感じる。アラタは制服の詰襟を締めると小さく息を吐いた。
整備された公園を進むと、不意に黒いものが視界の端を掠めた。
なんとはなしに振り返ると、アラタは目を丸めて変な声を上げる。
公園に設置された長椅子に座り、ずんっと暗い空気を纏っている男が一人。この光の中でも際立つ白い肌と髪、血のように鮮やかな紅の双眸を曇らせた男性はかっちりとした黒スーツを着込んで長椅子に座り込んでいた。表情はないが、その纏う雰囲気が尋常ではないほど重い。
アラタとしても、顔見知りでなければ声をかけることを戸惑うほどだ。
「あの、ツイさん?」
「ん? ああ、これはアラタ管理官」
久しいな、と普段と変わらぬ抑揚の乏しい声がアラタに挨拶した。ツイの沈んだ双眸が緩慢な仕草でアラタへと向けられた。
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