File6-21「再会」
アラタの振り下ろした剣を、顔のない人物は剣身を手であっさりと掴んだ。掴まれた剣身から魔王の瘴気がアラタに迫る。
「管理官権限執行、守護結界!」
アラタは己の全身に結界を張って、顔のない人物の瘴気から身を守る。
左手の剣を振り下ろす。振り下ろされた刃は顔のない人物の首を確実にとらえた。しかし、手ごたえはなく、刃は首筋をすり抜ける。アラタは咄嗟に炎を放って、顔のない人物から距離を取った。
「くっ……物理攻撃が利かないのか」
アラタは顔のない人物を睨み据えたまま歯噛みした。
威力の強い魔法は避けたい。ここはエヴォルの心核の中であり、すでに魔王化の進んだエヴォルは暴走する魔力から常に圧迫を受けている。そこへ追い打ちをかける結果になっては本末転倒だ。
顔のない人物が指先を鳴らした。アラタは咄嗟に右へ跳ぶ。足元から生えた氷の柱が頬をかすめた。アラタは氷柱を避けながら、顔のない人物の動きを注視する。顔のない人物とアラタの間を氷柱が遮った。
――今だっ!
アラタは足元に手をつく。
「管理官権限執行、風刃」
周囲の氷柱を刻み、風の刃に乗った氷片が顔のない人物へ襲い掛かる。
顔のない人物が再び、指を鳴らした。顔のない人物は己の周囲に炎の渦を生み出すと、アラタの攻撃を防ぐ。そのまま風の刃を乗せた炎の渦をアラタへ放ってきた。
「!? 管理官権限執行、水竜渦!」
アラタは水の渦を炎の渦へぶつける。殺し切れなかった風の刃が、アラタの全身を刻む。
「ぐぅ……」
痛みに顔を歪め、アラタは顔のない人物を睨んだ。
こちらの攻撃意図を察して、それをしっかり利用してきた。間違いなく、顔のない人物には思考能力がある。
「どうにかこちらから注意をそらして……」
そこまで言って、アラタは黙り込んだ。
思考能力があるということは、目くらましの類も通用するのだろうか。
そんな疑問がアラタの頭に浮かんだ。
肉体がないということは、目の前の魔王は亡霊などと同じ精神体であろう。亡霊相手ならば精神干渉系の魔法が有効だが、果たして魔王相手にも通用するものだろうか。
魔王とは暴走する力が凝縮した存在である。糧となった魂すらも最終的にはその膨大な力に押しつぶされ、後には荒れ狂う力の奔流のみが残るからこそ、異世界間連合の神々や異世界間仲介管理院はその対処に難儀している。しかし、アルファたちの生み出そうとしている「人工魔王」のように、「自我」を宿しているならば、精神へ直接干渉する魔法も有効であると言えるのではないか。
顔のない人物が腕を振った。アラタは咄嗟に大きく背後へ跳ぶ。それまでアラタが佇んでいた場所に、影の槍が生えた。
迷っている暇はない。
アラタは双剣で影の槍を払いながら、行動に移した。
「管理官権限執行、幻影!」
アラタは顔のない人物に向けて、権限を執行する。すると、それまで攻撃の手を緩めなかった顔のない人物の動きが止まった。戸惑った様子で辺りを見回している。
「よし……行ける!」
アラタが生み出した幻影によって、顔のない人物はアラタの居場所を特定できずにいる。その証拠に、顔のない人物は己の周辺に向けて無作為に魔法を放っていた。アラタは即座に攻勢に転じた。
「管理官権限執行、光矢!」
アラタの周囲に出現した魔法陣から、無数の光の矢が放たれる。聖なる光の矢は流れ星のような軌跡を描いて、顔のない人物の身体を貫いた。
顔のない人物が大きく体を仰け反らせる。心核内が軋み、大きく震えた。すると、魔王の破壊された部位がみるみる再生していく。
「くそ、あの『鬼』と同じ原理か……」
アラタ一人では、顔のない人物と戦闘しながら、エヴォルと顔のない人物との間に繋がれた魔力供給路を絶つ権限を同時に執行することは難しい。
アラタは唇を噛み締める。
「正直、うまくいくかは賭けだが……やってみるしかないか。管理官権限執行、通信!」
アラタは己の魔力波長をエヴォルのそれに同調させた。アラタは手にした剣身に光を乗せ、全身に炎を纏うと顔のない人物へ切り込む。
「エヴォル! 俺がいない間に、随分と腑抜けたじゃないか!」
アラタは顔のない人物に斬撃を繰り出しながら叫んだ。
「神竜の力は所詮、その程度だったのか? お前こそ、グロナロスの頂点だって言われ続けていたくせに、せっかくの力を振るうこともせずふて寝ばかり! 正直、がっかりだよ!」
アラタは顔のない人物の繰り出す槍をよける。鋭い穂先がアラタの肩をかすめ、激痛に顔を歪めた。
「その点、見ろよ! 俺は生まれ変わった後、お前なんかよりもずっと強くなったんだ! こうして魔王を相手に一人で戦うくらい、力を手に入れたんだ!」
ざわり、とアラタを取り巻く空間が揺れる。アラタの口元に笑みが浮かぶ。
顔のない人物がアラタの狙いに気づき、攻勢を強めた。雨のように注がれる魔力の塊を必死にさけながら、なおもアラタは叫んだ。
「そんな腑抜けた友でも、俺は見捨てないから安心しろ! なんたって俺は、優しいからな! お前の力がなくても、目の前の魔王くらい一人で倒せるさ! だからお前はそこでだらしなく寝転んでいればいい!」
アラタは双剣を交差させて、顔のない人物が生み出した槍を受け止める。その槍の隙間から、顔のない人物の真っ白な腕が伸びた。アラタの首を掴んだ腕が、強い力で締め付けてくる。
アラタは双剣に力を込める。チカチカと明滅する視界の中で、眩しい光が一筋、差し込んできた。アラタの口元に、満足そうな笑みが浮かんだ。
「悔しかったら、いつもみたいに言い返してみろよ――エヴォル!」
アラタの全身が深紅の炎に包まれた。顔のない人物が大きく跳び退く。アラタの首を掴んでいた腕の先が、炭化して消滅していた。
「我への不敬極まりない台詞を吐いたのは、どこの無礼者か?」
アラタの全身を覆っていた炎が揺らめき、竜の姿を象る。炎の中に浮かび上がった紅の双眸が、咳き込むアラタを慈愛のこもった眼差しで見下ろしていた。
「ははは、怒らないでくれ。ああでも言わないと、お前……魔王に囚われたまま出て来られなかっただろ?」
「ふんっ、我の力を見くびるなよ。お前に言われずとも、我一人でも奴の束縛から抜け出せた」
「へぇ、その割には随分と時間がかかっていたな?」
「う、うるさい! 我の力は膨大ゆえ、その圧力になかなか起き上がれなかっただけだ!」
互いに視線を交わすと、どちらからともなくその顔に笑みを宿した。
「なぁ、エヴォル。俺、お前とたくさん話したいことがあるんだ。聞いてくれるか?」
「奇遇だな、友よ。我もお前に言いたいことが山とある」
二人の目が、顔のない人物に向いた。
「よし、なら邪魔な魔王をさっさと倒そうか!」
「ああ。我の力をお前に託す――負けるなよ、友よ」
大丈夫だ、とアラタは己の中に注がれるエヴォルの力を感じながら、不敵な笑みを浮かべた。
「お前と一緒なら、俺が負けることはない」
アラタの瞳が紅に染まる。炎がアラタの皮膚に触れ、硬質な鱗が鎧となってアラタの身体を覆った。エヴォルの持つ加護――身体硬化を使ったのだろう。
「一撃で決める。エヴォル、最大火力で行くぞ!」
「うむ、神竜の業火――その身にとくと味合わせてやろう」
顔のない人物へ双剣を手に突っ込む。生み出された槍を纏った炎で払い、アラタは吠えた。
「〝神竜の業火〟!」
燃え上がる深紅の炎が広がり、闇を照らす。
アラタの振り下ろした刃が顔のない人物を両断し、その剣はアヴァリュラスの防壁の欠片を粉々に砕いたのだった。
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