File6-17「魔竜王」
裂けた空間を見上げ、ヒューズは小さくため息をついた。
デルタとアラタの衝突によって引き起こされた亜空間の損傷は、甚大な被害をもたらしていた。今も裂けた空間を中心に、ボロボロと亜空間の欠片が裂け目の奥にわだかまっている闇へと落ちていく。空間の裂け目は大きく、ちょうど大地に地割れが起きたようにヒューズたちのいる側とアラタたちがいるあちら側を隔ててしまっていた。
「まずい状況になりました」
ヒューズの傍らに歩み寄ってきたキエラが眉根を寄せる。
「アラタ管理官なしに、我々だけで神竜へ辿り着けますでしょうか?」
「いや、事態はそれ以上に深刻だろう」
ヒューズは困り顔で思わず小さく息をついた。負傷したカイを手当てしているアリスがヒューズとキエラに顔を向ける。
「こうなっては進むしかないだろう。その方がすぐに向こうと合流できる可能性が高いんじゃないか?」
「アリス管理官のおっしゃる通りです」
アリスの意見を、キエラは支持した。
「危険です!」
声を上げたのはカイだった。左肩を大きく裂かれ、苦しそうに顔を歪めている。
「今の亜空間の状態は……一方向に無理な力を加えたために、周囲の空間がその力の中心に引っ張られて裂けています!」
亜空間を風船に例えるなら、ヒューズたちは今、割れた風船の残骸にどうにかとどまっている状況だった。それも消滅するのは時間の問題だろう。
全滅は避けるべきだ。今すぐ出入口へ引き返せば、アリスやサテナが外から亜空間をどうにか維持し、アラタたちが脱出する時間を稼ぐことは可能だろう。
そう――あくまで、ヒューズたちが逃げ出す時間は確保できる。
しかし、ヒューズたちの任務は囚われの「神竜」を救い出すことだ。その任務が果たせなければ意味はない。
「強い魔力を感じます」
険しい顔で沈黙していたヒューズは、サテナの言葉に顔を上げた。振り返ると、長杖を手に岩の通路の先を鋭い目で見据えているサテナの姿があった。
「ゲルダとかいう奴とは違う魔力です。それも、かなり強い……もしかしたら、『魔王』の可能性もあります」
「ゲルダじゃなく、デルタだろ。もしかして……神竜?」
カイとアリス、キエラが顔を見合わせた。
「距離は?」
「近くです。『俊足』で五分とかからないでしょう」
ヒューズの視線がカイに向いた。
「問題ありません。動けます」
カイが傷の消えた肩を回しながら具合を確かめている。ヒューズは決断した。
「よし、このまま進む。神竜の状況を見て、救助に時間がかかるようならアリスとサテナは先に出入口を目指せ。亜空間の崩壊を少しでも遅らせるんだ」
「了解」
皆が返事とともに、管理官権限「俊足」を使って移動を開始した。
途中、ヒューズたちの姿を見て襲い掛かって来る魔物もいたが、先程の空間崩壊が影響してか、襲い掛かって来る魔物たちも統率が取れていなかった。
「はっ!」
すれ違いざま、ヒューズの大剣が翼の生えた異形の魔物の胴を薙いだ。
「管理官権限執行、炎弾!」
キエラの放った弾丸が五匹の魔物の額を穿ち、爆発と同時に頭部を吹き飛ばす。
「このまま真っ直ぐ!」
瞳に魔力を宿したサテナが叫ぶ。
「一気に抜けるぞ!」
ヒューズが己の大剣に「衝撃付与」を行うと、一閃した。
「管理官権限執行、風刃!」
「管理官権限執行、雷辿!」
アリスとカイが風の刃に雷を纏わせて群がる魔物を一掃する。
魔物たちの防衛網を突破すると、ヒューズたちの前に巨大な結晶が聳えていた。
「ぐっ! 瘴気か……」
辺りに立ち込める瘴気に触れた途端、ヒューズたちの身体に火傷を負ったような痛みが生まれる。
「管理官権限執行、浄化!」
「管理官権限執行、守護結界!」
即座に、サテナとカイがヒューズたちを包み込む結界を構築し、結界内の瘴気を浄化した。
「あれはっ!」
キエラが表情を強張らせ、悲鳴を上げた。アリスも片手で口を覆っている。
巨大な結晶の中には、変わり果てた姿の神竜が浮かんでいた。
ひび割れた全身は黒ずみ、傷口からどす黒い血が大地を濡らしている。項垂れた頭はぴくりとも動かず、眼球は潰れてしまったのか黒い眼窩が地面に向いていた。
「まずい……『魔王』になりかけてんぞっ! 急いでここを離れろっ!」
キエラと入れ替わったキトラが叫んだ。
「あの竜はもう助からねぇっ!」
「なんだ、あの女……魂を二つ持ってんのか?」
呑気な呟きに、ヒューズたちは頭上を仰いだ。
神竜の封じ込められている結晶のすぐ傍――崩れかけた柱に腰かけている人物と目が合った。
紫色の髪と瞳を持つ男――ベータは手に小型機械を持ち、何やら忙しなく指を動かしている。その傍らには全身を覆い付き外套で覆い隠した長身の男性が佇んでいた。二人とも、全身を覆うのは真っ白な装束だ。
「アルファやデルタの仲間か!」
一斉に武器を構えるヒューズたちを横目に、ベータは傍らの男性に声をかけている。
「オメガ、デルタに撤退するよって伝えてきてくれる? あいつ、一見大人しそうに見えるけど、気性はゼータと同類だから。言うこと聞かなかったら殴り倒してでもいいから連れてきて」
「……っ」
長身の男性が笑いをこらえるように肩を震わせ、無言で頷く。彼の足元に魔法陣が出現し、長身の男の姿が消え失せた。
「さて、と……」
ベータが立ち上がると、値踏みするようにキトラを見た。
「それにしても、あんたいい『目』を持ってんのな。あんたが間借りしているその女性、彼女さん? うん、羨ま死ねばいい。このリア充め」
なぜか面白くなさそうにベータが顔を顰めた。
「人の自信作にズケズケ侵入ってきた挙句、散々暴れ回って……言っとくけど、いくら俺が優秀だからって、一から空間をデザインしたり設計したりすんの、大変なんだからな!」
「知るかよ。『世界』を破壊する『魔王』を生み出しているてめぇらの方がずっと質が悪ぃだろうが」
不満をたれるベータに、キトラは冷めた態度で応じる。
「本当の意味で『世界』に悪影響を与えているのはあんたらだろ。すべての元凶がこの世界の行く末を示したのに、神々は見て見ぬふりを決め込んだ。そんな神々にゴマすりするしか能のないお前らの言葉なんか聞く価値もねぇ」
「……それはどういう意味だ?」
「さぁね。自分の頭で考えてみたら?」
キトラの問いかけに、ベータは取り合わなかった。ただ、何かをひらめいたのか、パチンッと指をならす。
「いいことを思いついた。どうしてもその続きを聞きたかったら、魔王を倒してみなよ」
ベータの掲げた手には、禍々しい瘴気を宿した欠片が浮かんでいた。
「アヴァリュラスの防壁の欠片っ!?」
「古の魔王の力が宿ったこいつでさらに強くなる。お前らに倒せるかな?」
「やめろっ!」
ベータは嬉々とした表情で、欠片を神竜が封じられた結晶へと投げつけた。
「生き残れるもんなら、生き残って見せろよ! 管理官ども!」
哄笑を残し、ベータの姿も掻き消える。
ベータが投げつけた欠片は結晶の中へ溶け込み、さらに濃い瘴気を周囲へ放った。竜を封じた結晶に巨大な亀裂が生じる。
「まずい、逃げろっ!」
キトラが叫んだのと、結晶が砕けたのは同時だった。
ヒューズたちの身体は、放たれた咆哮の衝撃で後方へ大きく吹っ飛ばされる。
「ぐっ……」
地面に叩きつけられ、ヒューズは遠のく意識を必死に繋ぎ止めた。頭を軽く振って身を起こす。
ヒューズの青い瞳に映ったのは、全身に漆黒の闇を鎧のように纏った竜の姿の「魔王」だった。
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