File6-2「不審な通知文」
異世界転生仲介課の事務室で、報告書や転生先候補への転生申請の書類を作成していたアラタのもとに、一通の通知が届いた。左手首に装着した共鳴具に触れると、文字化けしたような文章が虚空に表示される。
「なんだ、これ……?」
思わず声を上げ、アラタは眉根を寄せた。
いくら操作しても宛先の情報が出てこない。
文章が左から右へ流れる画面を指先でつつくと、今度は紋章が表示される。
――「交差する翼の間に鍵」の紋章だ。
アラタは目を見開き、思わず顔を上げて周囲を見回した。
オギナは転生者調査課の窓口へ赴き、ジツは己が抱えている転生者の転生候補先への申請書を提出に行ってしまって不在だった。
課長のナゴミやツナギは部内会議に出席中であるし、事務室内に残っている管理官たちも、最近滞りがちとなっている転生業務の処理で手が離せない様子だ。
アラタは少し悩んだ末、席を立った。
異世界転生仲介課の事務室を出ると、アラタは資料倉庫の中へ入る。しっかり扉を閉めた後、もう一度左手首に装着した共鳴具に触れた。
再び、虚空に「交差する翼の間に鍵」が描かれた紋章が浮かび上がる。
異世界間仲介管理院において、特殊な暗号を用いた通知文だった。
アラタはごくりと喉を鳴らすと、虚空に浮かんだ紋章を指先でつついた。
文字列がアラタの目の前に浮かび上がる。
――W・Syart.xxx-xxx-xxx,593.8-665.47,Filexxxxx,bou-Lv.X……
養成学校時代に習った、特定の機密情報に対して付与される暗号だ。しかし、そこは養成学校で習ったものとは段違いで、かなり複雑な法則になっている。
「冒頭は……あ、組み替えてあるが、異世界シャルタの登録番号じゃないか? その後は世界軸線の座標地点……」
暗号を見つめて唸っていたアラタが、ハッと息を呑んだ。
急いで異世界間気象観測課のデータベースへアクセスする。虚空にいくつもの球体が無数に合わさった映像が出現した。
アラタは暗号通知文に記載されていた座標地点を入力する。
それまで異世界シャルタ近郊を映し出していた地図が大きく移動する。入力した座標は、異世界シャルタと異世界アルノダの間にある境界域を示していた。
アラタの中で確信する。この暗号通知文に記されているのは、『人工魔王』に関する一連の事件についてである。
「オギナやジツにも、この通知文は届いているのだろうか?」
アラタは暗号通知文を見つめたまま、ぽつりと呟く。
異世界間仲介管理院において、暗号通知文の扱いは最重要機密事項である。受け取った本人以外、内容を周囲に口外することや第三者への情報提供を行うことは禁止されている。
迷ったのは一瞬だった。
内容が内容だけに、アラタとしても知らん顔することはできない。
虚空に映し出された暗号通知文の表示を指先でつつき、開封を選択する。
画面が切り替わり、暗号解除パスの項目へ開封のための「鍵」を入力するよう求められる。
「本来、暗号通知文の解除パスは世界軸線の座標地点やその事件での重要単語が基本だが……」
この暗号を解く鍵には、もっとふさわしい解除パスがある。
アラタは入力項目に、ある単語を打ち込んだ。
――Alpha
アラタが表示した暗号通知文が開封され、たった一行の命令文書が表示される。
――七日後、XX:XXにて、西部基地操縦訓練場作戦会議室Aに集合せよ。
短い一文がアラタの目の前に躍った。
アラタはすぐさま命令文を記憶する。
やがて、表示されていた画面が大きく揺らいだ。ブツッと画面が消え失せ、アラタの共鳴具に保存された通知履歴からも抹消される。
わずか三十秒にも満たない出来事だった。
アラタは共鳴具に手を触れ、ギュッと手首を握りしめる。
「いよいよ、動き出すんだな……」
険しい表情を浮かべたまま、アラタは静かな倉庫内でぽつりと呟いた。
それからの七日間、アラタはひたすら普段通りに振舞うことに注力した。
長いと感じたのも最初のうちだけで、仕事に追われてしまえば、いつの間にか命令文の日時が迫ってきていた。
アラタは終業時刻になると、異世界転生仲介課の事務室を後にした。
オギナやジツは転生先申請の書類を提出にしに行くと言って、まだ戻ってきていない。アラタとしては好都合だった。
結局、二人のもとにも暗号通知文が届いたかどうかは確認できなかった。
アラタは西部基地へと足を向ける。ここのところいつも三人で行動していたせいか、一人でいると妙に静かすぎて落ち着かない。
「いやいや、俺は寂しんぼうか……」
アラタは首を振って、自分の額に手を当てた。自分の中で膨らむ弱気を振り払うように、遠目に見えてきた西部基地へ駆けた。
「ああ、アラタ管理官ですね。お話は伺っています。どうぞ」
門の詰め所でアラタが名乗ると、門番をしていた管理官が本人データを確認しただけですぐに門を開けてくれた。
アラタは思わず拍子抜けした。
転生者保護業務で西部基地へ出入りしていたときですら、用件を事細かく聞かれたものである。
アラタは戸惑いつつも、西部基地内へ足を踏み入れた。
できるだけ顔見知りと鉢合わせしないように、ドーム状の屋根を持つ操縦訓練場へ向かう。
「堂々と正面から入るのは初めてだな」
アラタは苦笑いとともに、操縦訓練場の建物を見上げた。
たった二か月前のことなのに、転生者を遺棄した現場を探っていた時のことがひどく昔のことのように思える。
建物内に入るとすぐ二階に上がる階段へ進む。二階の廊下の奥まった部屋が、七日前に受け取った命令文に記された作戦会議室Aである。
アラタは周囲に人の気配がないことを確認すると、部屋の扉をノックして中へ入った。
まだ誰も来ていなかった。
天井から注ぐ人工灯の白い光だけが、無人の室内を照らしている。
アラタは共鳴具に触れ、現在の時刻を確認する。集合時間の十五分前だった。
「……はやく到着しすぎた、かぁっ!?」
呟いている途中で背後の扉を誰かがノックした。思わず全身が跳ねる。
「アラタさん!」
背後を振り返れば、見知った顔が二つ、室内に入ってきた。二人も驚いた表情でアラタを見つめてくる。
「オギナ、ジツ!」
「やっぱり、アラタのところにも届いていたんだね」
アラタはオギナとジツに歩み寄る。二人もどこか緊張した面持ちを緩めた。
「ジツとはちょうどそこで出くわしたんだ。それでもしかしたら、とは思ったけど……」
「俺は少し早めに到着したからな」
「よかった。最初、通知文を受け取った時はお二人に相談できなくてすごく不安だったんです!」
ジツが心底からホッとした様子で胸を撫でおろしている。
「いや、さすがに安心するのは感心しないかな」
オギナが苦笑を浮かべ、その双眸を鋭くした。
「この顔ぶれってことは、もう疑う余地はないからな」
アラタも気を引き締めるように腕を組んだ。
「異世界シャルタ、並びに境界域での一件について、何かしらの動きがあったということですよね。やはり、アラタさんやオギナさんが話してくださった、例の白い装束を着た連中が絡んでいるのでしょうか」
「たぶん、そうだろうねぇ~」
ジツの疑問に答えたのは、作戦会議室に入ってきたサテナだった。
彼の後にはカイやキエラの姿も続く。
「サテナ管理官、カイ管理官、キエラ管理官、お久しぶりです」
「お久しぶりです、アラタ管理官、オギナ管理官。あなたが、ジツ管理官ですね?」
アラタと挨拶を交わしたキエラが、ジツに振り向いた。
「はい、初めまして。異世界転生部異世界転生仲介課のジツです。キエラ管理官のことは、アラタ管理官やオギナ管理官より伺っております」
ジツも管理官敬礼で挨拶する。
「うん? ってことは、君がイルト管理官の部屋にある鍋に綺麗な術式を組んだ管理官だね?」
「サテナ管理官、イルト管理官じゃなくアラタ管理官だ」
「うわー、本当に名前を間違えるんですね!」
すでにアラタたちから話を聞いていたジツが、どこか感動した様子で呟いた。
「初めまして、ジツと申します。サテナ管理官、カイ管理官のこともアラタ管理官やオギナ管理官より伺っています!」
ジツは笑顔のまま、サテナたちと奇妙な挨拶を交わした。
アラタやオギナから事前に話を聞いていただけあり、サテナの名前間違いに動じることなく対応している。
「そうだったのか。俺はカイだ。よろしく」
カイもジツに笑いかける。その横で、サテナも笑顔でジツに言った。
「よろしく~。あの鍋の術式、すごく丁寧に組んであったから、君には会ってみたかったんだよ」
「そうですか? えへへ、そうほめられると嬉しいですね」
ジツは少しばかり照れた様子ではにかんだ。
サテナの翡翠色の双眸が細められる。
「本当……君のことは興味深いなぁ。それで、本当はどこまでやれるの?」
「え? 何がですか?」
サテナの問いかけに、ジツは戸惑ったように首を傾げた。
「おい、サテナ管理官。訳わからないことを言って絡むな。悪いな、ジツ管理官。サテナ管理官の言動がおかしいのはいつものことだから気にせず流してくれ」
「は、はぁ……」
「あはは、ルイ管理官は手厳しいなぁ~」
「カイだ」
普段通りのやり取りを交わしていたところへ、共鳴具が警告音を発した。
弾かれたように皆、己が装着している共鳴具に触れる。
虚空に映し出された赤い画面に、上位権限からの干渉通知が流れた。
「な、なんですかっ!?」
「上位権限による、干渉だね」
慌てるジツに、オギナが冷静に言った。
共鳴具から発せられた光が、アラタたちを包み込む。足元に魔法陣が展開した。
「今度は何ですかっ!?」
「慌てない、ツジ管理官。この術式は……転移だよ」
「僕、ツジじゃなくてジツです」
サテナの双眸が足元に注がれる。
「上位権限による共鳴具への干渉。それにこの干渉術式、転移先への追跡を遮断している。そしてここに来て強制的な転移方陣の展開。これらのことができるのはこの異世界間仲介管理院で――ただ一人だけだ」
サテナが顎に手をあててぶつぶつと呟いている。やがて、アラタの視界に映った部屋の風景が歪んだ。
アラタたちは、豪奢な造りの見慣れぬ部屋に降り立った。
「ここは……?」
アラタが目を向ければ、そこには黄金の髪に、全身を白い法衣で包んだ異世界間仲介管理院の院長――マコトの姿があった。
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